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Act9-342 巨狼降臨

 恒例の土曜日更新となります。

 まずは一話目です。

 土の味が広がっていく。


 全身がひどく痛い。右目はもちろんだけど、いましがたあの女に腹を蹴られたことで、喉の奥から血の味がしていた。臓器を傷つけられたんだろう。破裂はしていないのが救いと言えば救いだった。

 でもそれも時間の問題かもしれない。


 いまの蹴りだって、あの女の全力かはわからない。でもいまのあの女には余裕があるようだった。


 それがブラフなのか、それとも本当に余裕があるのかはわからないけど、少なくとも俺の内臓を破裂させることくらいなら、あの女には余裕でできるはずだ。


 それをなぜかあの女はやっていない。その理由はいまいちわからないけど、加減され続けたとしてもいつかは破裂する。


 そうなればもう俺は動けなくなる。モーレの仇を討つことも、カルディアを汚したことを償わせられないし、サラさんの夢を踏みにじった罪を自覚させることもできなくなってしまう。


 動けなくなる前にあの女を倒さないといけない。


 目的が完全に変わっていることは自覚している。それでも、それでも俺はモーレの仇を討ちたい。カルディアを汚したことを償わせたい。サラさんの夢を踏みにじった罪を自覚させたい。


 そのためにはまだ動けなくなるわけにはいかない。俺はまだ戦っていなければならないんだ。


 だからこそ、俺は立ち上がらなければならない。


 あの女を倒さないといけない。俺が倒れている暇なんてないんだ。


(動けよ、俺の体!)


 激痛に苛まされながらも立ち上がり、再び黒狼望を構えた、そのときだった。


「旦那様!」


 サラさんの声が聞こえた。それもかなり焦った声だった。


(なんだ?)


 黒狼望を構えながら、あの女の喉元に切っ先を合わせながら、サラさんの方を見やるとカティの体が黒い靄のようなものに包まれていた。


「え?」


 呆気に取られて、抜けた声が出た。それは思いもしなかった光景だった。


 カティは傍らにいたプーレとの間に黒い靄のようなものを纏っていた。黒い靄のようなものを纏いながらカティは瞳孔を縦に割けさせていた。


 その目も雰囲気にも覚えがあった。「鬼の王国」でシリウスがなった巨狼の姿。ガルムはあのときシリウスが「フェンリル」になったと言っていた。


 あのときは「フェンリル」に体を乗っ取られたと思っていたし、実際にシリウスは「フェンリル」に体を乗っ取られていた。


 けど、シリウスのときとは違い、当のフェンリルはカティを溺愛していて、もはや孫煩悩なツンデレおばあちゃんと化している。


 そのフェンリルがカティの体を乗っ取るというのは考えられない。


 でもいまのカティの姿は当時のシリウスそのものだった。


(いったいなにが起こっているんだ!?)


 なにが起きているのか、まるでわからない。ただこのままだとカティを失うことになるかもしれない。そんな予感があった。そしてそれは──。


『すまぬ、カレン! 我ではもう抑えられん!』


 ──現実のものになった。


 フェンリルは悲鳴のような声を上げた。普段のフェンリルらしくなかった。


 だがいまカティの身に起ころうとしていることは、それほどのことだという証拠だった。


「なにがあった、フェンリル!?」


『……カティは「フェンリル」になろうとしている』


「は?」


 フェンリルが言いたい意味が理解できなかった。


 カティがフェンリルになる?


 フェンリルはあんただろうと言いたくなったけど、フェンリルの雰囲気からして、冗談の類いではないようだった。


「「フェンリル」になるってどういうことだ!? フェンリルはあんただろう!?」


『……そうだ。フェンリルとは我のことだ。しかし狼の魔物はみな「フェンリル」になる可能性があるのだ』


「だからどういうことだよ!?」


 狼の魔物はみなフェンリルになる。その言葉の意味がわからなかった。


 けれど、悠長に説明してもらう時間はないようだった。


『っ! 身構えろ、カレン!』


 フェンリルが慌てて叫んだ。その一瞬の後にカティから、カティがあげたとは思えない咆哮があがり、示し合わせたかのようにカティの体を黒い靄のようなものが覆い尽くしていく。


 覆い尽くしてもなおカティの咆哮は止まらない。止まることなく咆哮が上がり続けていく。


 咆哮が上がるのに比例するように背筋を冷たい汗が伝い始めた。


「……なにがあったんだ? カティ、カティ! 返事をしてくれ、カティ!」


 カティを呼びかける。けれどカティからの返事はない。聞こえるのは咆哮だけ。それもカティのものじゃない。


 いや、もとはカティの声だったけれど、いまはもうカティの声には聞こえなかった。聞こえてくるのは二重の重低音な唸り声だけ。俺の大切な愛娘の声じゃなかった。


 それでも俺はカティを呼んだ。ただカティを呼び続けた。やがて靄が晴れた。そこには蒼い目をした黒い巨狼がいた。縦に割けた瞳孔でスカイディアを睨み付けた巨狼がいた。


「カティ?」


 巨狼に向かってあの子の名を告げる。でも巨狼の目に俺の姿は映っていなかった。その目に映るのはスカイディアだけ。巨狼は大きな唸り声を上げると、口を大きく開いてスカイディアへと向かって突撃していく。


「カティ!」


 腕を必死に伸ばす。けれど俺の手がカティを掴むことはなかった。カティはまっすぐにスカイディアの元へと駆け抜けていった。黒い暴風となって、ただ駆け抜けて行ったんだ。

 続きは十六時になります。

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