Act9-341 狂獣の咆哮
ママがまたいなくなってしまった。
カルディアママの次はエレーンママだった。とてもあっさりとエレーンママはいなくなった。
『ジールヘイズごと、か。助けようにもその時間さえもなかったな』
ヘン様は淡々としていた。いや、違うか。ヘン様は責任を感じているみたいだ。ヘン様の号令のすぐ後にエレーンママは殺されてしまった。
ヘン様なら責任を感じないわけがない。だってヘン様はそういう人だから。優しすぎる人だから、こういうときは間違いなく責任を感じているはずだった。
ただどちらに対してなのかは、エレーンママの死の原因を作ったことなのか、それともジールヘイズを失ったことに対してなのかは判断ができなかった。
ひとりの命と神器。
どちらがより世界に対して痛恨事になるかなんて考えるまでもない。私がヘン様なら神器であるジールヘイズを失ったことに対して責任を感じる。
だってヘン様は本来なら神獣の一角になる人だった。
それがあの女の癇癪によって、化け物としての悪名を広げることになった。
ヘン様がなしたとされる悪行はすべてあの女の癇癪によるものなのに。ヘン様はなにも悪いことはしていない。
そもそも産まれてすぐ牢獄に囚われてしまったヘン様がどうやって悪行をなすのか。
ヘン様は利用されただけ。
あの女のマッチポンプの対象に、あの女自身がなした悪行を擦り付けられ、悪名を高く広げられて殺されてしまった。
だからヘン様は誰も殺していない。なにも壊してもいない。すべてが濡れ衣だった。
あの女の悪行をその一身に押しつけられた被害者だった。
でもそのことを知っているのは先代くらい。シリウスお姉ちゃんの中にいる先代だけが、ヘン様はマッチポンプに利用されただけであることを知っている。
だけど、先代は知っていてもなにもできなかった。
ただ見ていることしかできなかった。
でも先代は見て見ぬふりをしていたわけじゃない。
先代はヘン様の処遇についてあの女に何度も直訴していた。
けれど、あの女はその直訴を無視した。
それどころか、先代さえも殺したんだ。あの女に楯突いた。たったそれだけの理由で神獣を2柱滅ぼしたんだ。子供の癇癪のような理由でだ。
(……なにが母神だ。おまえのどこが母神なんだ。おまえなんて邪神以外の何者でもないだろう?)
ゴトッと大きな音がどこからか聞こえてきた。その大きな音に突き動かされるように、大きな音がいろんなものを掻き消していく。見えるのはあの忌々しい女だけだった。
『……すまぬ、カティ。我はそなたのママのひとりをまた守れなかった』
ヘン様は申し訳なさそうだった。
申し訳なさそうに謝っていた。
だけど、なんで謝るのかがわからない。
悪いのはヘン様じゃない。
ヘン様はなにも悪いことなんてしていない。
悪いことをしたのは、私からママを奪ったのは、すべてあの女だった。あの女が悪い。そう、あの女が生きているのが悪いんだ。だからヘン様は悪くない。
「大丈夫だよ。ヘン様はなにも悪くナイヨ」
『カティ? いま声が』
ヘン様が不思議そうにしている。どうしたのカナ?
「どうしたの、ヘン様?」
『いまそなたの声がおかしかったのだが』
「そんなことナイヨ? 私は普通ダモノ。気にしすぎダヨ?」
『いや、いまたしかに……っ! 待て。待つのだ、カティ! 呑まれてはならぬ! 心を静めよ!』
ヘン様がなぜか慌てている。どうしたんだろう? なんで慌てているのかな? よくわからないや。
まぁ、ヘン様がオカシイノハ、イツモノコトダケド。
「なニを言ッてイるノ? 私は落チ着いテいるヨ?」
『そうではない! そなたはいま呑まれかけている! 落ち着くのだ! そちらに堕ちてはならん!』
ヘン様が叫んでいる。
でもおかしいな。その内容がよく聞こえない。聞こえてはいるけど、とても遠かった。遠くから声を掛けられているように思える。
ヘン様はなにを言っているんだろう?どうしてそばにいてくれないんだろう?ヘン様はずっとそばにいてくれたのに。どうして私から離れているんだろう?
(まぁ、いいか。いまはただあの女を噛み殺せればそれでいいだもん)
ヘン様のことは気になるけど、いまはただあの女を噛み殺せればそれでいい。
いまもあの女は、パパを傷つけていた。
エレーンママを殺されて怒り狂って斬りつけたパパの剣を避けて、パパのお腹に蹴りを入れていた。パパは地面を転がっていく。それでもパパは血走った目であの女を睨み付けていた。まるで一頭の獣になったかのように。
(……そうか、そうだよね。パパだって獣になっているんだもの。なら私がなってもいいよね? だって、おまえはそんなに死にたいと言っているんだもん。私の大好きなパパとママたちを奪い、傷つけるんだもの。それはつまり──)
「私に噛み殺されたいってことデショウ?」
声が裏返っていた。いや、声が二重に聞こえた。それに気づいたとき、私は吼えていた。
空を仰ぐようにして吼えていた。
その声はもう私の声じゃなかった。血を求める狂獣のようだった。
狂獣の咆哮に掻き消された誰かの声があった。でも私はもう自分の意思では止まれなかった。止まれないまま大地を4つの脚で駆け抜けた。




