Act9-340 風とともに消えゆく
死ネタとなります。
苦手な方はご注意ください。
モーレの体がぶら下がっていた。
そう表現するしかない光景だった。モーレの体はその身を貫通したスカイディアの左手にぶら下がる形で宙に浮いている。
胸を貫かれたモーレはなにも言わず、力なく四肢を投げ出している。足元には血だまりがあり、スカイディアの左手や貫かれた胸から伝うようにして血が滴り落ちて、血だまりを徐々に大きく広げていた。その身を包んでいた「神衣」は、本来の緑から大きく色を変えていた。緑色の稲穂が病気に罹り、あっというまに紅く変色していくかのように、緑色の「神衣」は通常の緑ではなく、異常を示す紅に染まっていく。
いや、紅だけじゃない。「神衣」から覗いていた素肌が徐々に爛れていく。顏だけではなく、その身さえも爛れて腐り落ちていく。モーレを構成していたものが少しずつモーレの体から切り離されて、その体を徐々に小さく縮めていった。
「モーレ、モーレ、モーレ!」
必死にモーレを呼ぶ。けれどモーレはなにも言わない。なにも言わないまま、その体はボロボロと肉を零れ落していき、その体から肉が次々にそぎ落とされていく。あまりにもな光景に俺はバカみたいに叫ぶことしかできない。モーレの名を呼び続けることしかできないでいる。
だけど、どんなに呼びかけてもモーレは応えてくれない。応えることなく、ただの腐肉と化していく。ほどなくして、からんと軽い音を立ててなにかが転がった。
すでにスカイディアの腕にぶら下がっていたモーレはどこにもいない。その足元には腐り落ちた、ぐじゅぐじゅの肉塊だけがある。その肉塊も蒼い目になったスカイディアが近づくだけで黒い灰となった。黒い灰は山頂特有の強い風に攫われていき、そのまま風の中に消えてしまった。
『──私の灰。まだ持っている?』
灰が消えていく光景に、俺はかつての、「清風殿」の中でモーレと一緒に生前のモーレの、天使になる前のモーレの灰を風の中に流していったときのことを思い出していた。
あのときはまだモーレが一緒にいてくれた。モーレと一緒にモーレ自身の遺灰を流した。それだけを聞くととたんにおかしなことを言っているように思えるけれど、実際俺はモーレと一緒に彼女の遺灰を風の中に流したんだ。かつての彼女を構成していたものを、この世界の一部にした。
『──一緒に流そう?』
そう俺に言ったときのモーレはどんな気持ちだったのか。当時もいまも俺にはわからない。いや、もうそのときの彼女の気持ちを知る術はない。だってモーレはまた世界とひとつになってしまった。
今度はもうそばに彼女はいない。彼女を構成していたものは、俺の目の前の地面に突き刺さったジールヘイズと地面に転がり落ちると、風によって俺の方にまで吹き飛んできた彼女の姿を隠していた仮面だけだった。
「エレーン、ママが」
カティの声が震えている。あっという間のことだった。瞬きをする間もなく、モーレの体は、天使となった彼女の体はあっという間に崩れ落ちた。まるで元からこの世界には存在していなかったように、彼女が生きていたという証をほとんど残すことなく消え去ってしまった。
足元にまで吹き飛んできた仮面をそっと抱き締める。でもどんなに抱き締めたところでモーレのぬくもりはすでに感じることはできなくなっていた。だってもう彼女はどこにもいないのだから。そのぬくもりを感じることなんてできるわけもなかった。
それでも俺は彼女が遺してくれた形見である仮面を抱き締めることしかできなかった。それだけがモーレが少し前までこの世界にいたというなによりもの証拠だった。その証拠をただ強く腕の中にしまい込むことしか俺にはできなかった。そんな自分にひどく嫌気がさした。
けれどどんなに嫌気が差そうとも、絶望を憶えようとも。事実は変わらない。モーレを再び喪ったという現実は消えてくれない。
「……モーレ」
震える声で彼女の名前を呼ぶ。でも返事は聞こえない。ただ吹き抜ける風だけが俺の耳をくすぐっていく。鼓膜を震わせる彼女の声はもう聞こえない。
「旦那様! 前を!」
サラさんの声が不意に聞こえた。顔を上げるとそこにはジールヘイズを握ったスカイディアが立っていた。ジールヘイズもまたモーレの形見だった。その形見を触られたことで抑えもない怒りが沸き起こった。
「触るなぁぁぁぁぁ!」
「黒狼望」で斬りかかっていた。けれどスカイディアはあっさりと後ろへと跳んで避けてしまう。その手にジールヘイズを握りながらだ。
「おまえぇぇぇぇぇ!」
「ふふふ、なぁに、カレン? 私はただ目障りな羽虫を潰しただけよ? そう、とても目障りな羽虫をね? そしてこれから」
すっとジールヘイズを掲げてスカイディアは妖しく笑い、そして──。
「あの羽虫が生きていた証を粉々にしてあげる。こんな具合にね?」
──その手にあったジールヘイズを握り潰した。音を立ててジールヘイズは砕け散っていく。まるでモーレとの日々もまた砕け散ったかのようだった。
「あぁぁぁぁぁ!」
声にならない絶叫を上げながらまた「黒狼望」で斬りかかった。技も型さえもない。ただ振り回すだけの剣を、力任せに剣を振り回すようにスカイディアにと襲い掛かった。
スカイディアは笑っている。その笑みに怒りを燃やしながら俺は絶叫とともにスカイディアにと斬りかかったんだ。




