Act9-323 悲しみの叫び
本日二話目です。
「……え?」
足が止まった。
無意識に足を止めていた。
パパたちがいるあの館にまではもう少し。ようやく館の輪郭が見えてきたところだった。
そんなとき、ふたつ感じることがあった。
ひとつはパパの気配だ。いままで消えていたパパが戻ってきた。
でもパパが戻ってくるのとほぼ同時にカルディアママの気配がなくなった。
入れ違いになったかのようにカルディアママを感じることができなくなってしまった。
少し前まではカルディアママはたしかにいたはずだったのに。
「シリウス、ちゃん?」
腕の中のアイリスさんが首を傾げていた。
いきなり立ち止まった私を見て心配になってしまったのかもしれない。
まぁ、いきなり立ち止まられたら誰だって心配はするというか、どうしたんだろうと思うよね。
でもいまの私にはアイリスさんに答えられる余裕はなかった。というか理解できないでいた。
カルディアママを感じられない。
いままで感じられていたカルディアママが急にいなくなったなんて言っても信じてはもらえないと思う。
でもそれ以外になんて言えばいいのかが私にはわからなかった。
「カルディアママがいなくなっちゃった」
「え?」
「カルディアママを感じられなくなったんだ。パパは戻ってきたみたいなんだけど、カルディアママがどこにもいないの」
嫌な予感がする。
あのときと同じだ。
カルディアママがまた死んでしまったんじゃないかって。
もう生き返ることはできないのに、また死んでしまったんじゃないかって。そう思ってしまった。
でもありえないことじゃない。
相手はあの人だ。いくらカルディアママでも殺されてしまう可能性はある。
またカルディアママが、死んじゃう?
「やだ」
「え?」
「やだよ、嫌だよ!死なないで!カルディアママ、死なないで!」
嫌だ。カルディアママがまた死んじゃうなんて嫌だ!
急がなきゃ。急いでママを助けなきゃいけない。
じゃないとまたいなくなっちゃう。もうママがいなくなるのは嫌だ!
「シリウスちゃん、落ち着いて!」
「ママ、カルディアママ!」
ママはきっとパパのところにいるはず。パパのところに急いで向かえばきっとまだ間に合う!まだ助けることができるはずで──。
「……ごめんなさい」
──声が聞こえた。そう思ったときには頬に痛みが走った。
「あい、りすさん?」
頬がじんじんと痛む。
アイリスさんは申し訳なさそうな顔で私を見つめていた。
「少し落ち着いて。シリウスちゃんがママたちのことが大好きなのはわかっている。でも落ち着いて」
「だけど、カルディアママが」
「……いなくなったかもしれないのでしょう?でもまだ可能性なだけ。急いてはダメ。落ち着いて行動しないとかえって危険かもしれない。もしかしたら罠の可能性もあるのだから」
罠。
言われて初めて気づいた。
たしかに罠の可能性は十分にあった。
私がママたちを大切に思っていることは、私のことを少しでも知っているのであれば誰だって知っていること。
となれば罠を用意していることは十分に考えられた。
むしろなんで考えなかったのかと思わずにはいられない。
「……わぅ。ありがとう」
「……いえ、お礼を言われることじゃない。だって私は、あなたがママを失うことに恐怖を抱かせる原因を作ったひとりなのだから」
「……わぅ」
なんて言えばいいのかわからなくなってしまった。
ノゾミママを奪ったのは、ルシフェニアだった。
そしてアイリスさんはそのルシフェニアの大幹部。
いわば私の敵。
でもアイリスさんを敵と思うことはできない。
むしろ守ってあげなきゃいけないと思えた。
どうしてそう思うのかはわからない。
敵にこうして叩かれたら、噛み殺したくなるのに、アイリスさんには不思議とそう思うことがない。本当に不思議だった。
なんでアイリスさんだけは噛み殺したいとは思わないんだろう?
こうして抱え込んでも嫌じゃないし、むしろドキドキする。
アイリスさんの顔がすごく近くにあるし、体は鍛えているはずなのに柔らかいし、すごくいい匂いがする。それにママたちと一緒にいるみたいですごく安心できる。
でもアイリスさんがママになると思うと、なんかすごく嫌だ。
でもアイリスさんのことが嫌いというわけじゃない。
パパの敵だった頃は正直嫌いだったのに、味方になってくれてからは不思議と嫌いにはなれなくなった。
「……わぅ?」
わからない。
どうしてなんだろう?
「シリウスちゃん?」
「アイリスさん。私に魅了かなにかした?」
「え?」
アイリスさんは言われた意味がわからないのか、首を傾げてしまった。
わぅ。失敗したの。
いまそんなことを言ったら、アイリスさんを怪しんでいると言っているようなものじゃん!
「わ、わぅ!ち、違うの、変な意味じゃないの!ただ、その、わぅぅぅ!」
あぁぁぁぁーっ!もう意味がわからないのぉぉぉぉぉーっ!
なんなの!なんなの、これぇぇぇぇぇーっ!?
「し、シリウスちゃん?」
あぁぁぁぁーっ!もう!アイリスさんも呆れているしぃぃぃぃぃー!なんなの、本当になんなのの!?意味わからないんですけどぉぉぉぉぉーっ!?
「わぅぅぅぅぅーっ!」
あまりにも意味がわからなさすぎて、気づいたら叫んでいた。
だって仕方がないんだもん。意味が全然わからないのだから。だから仕方がないの!
「し、シリウスちゃん、落ち着いて!」
「わぅぅぅぅぅーっ!」
落ち着いて?
落ち着けるわけがないの!
こんな意味がわからないことで、落ち着けるわけが──。
「えっと、とにかくごめんなさい!」
──アイリスさんが不意に叫んだ。同時に柔らかなものに顔が包まれた。いい匂いもするし、それにとても落ち着く。
「なにがあったのかはよくわからないけど、落ち着いて。……あなたからママを奪った私が言うのはお門違いかもしれないけど、いまは落ち着いて」
ママを奪った。たしかにアイリスさんはノゾミママを奪ったルシフェニアの一員だった。
でもいまはもうアイリスさんはルシフェニアの一員じゃない。
だけど当時のアイリスさんはたしかに奴らの一員だった。
そういう意味ではアイリスさんを恨むことはできる。
でもこの人を恨もうという気はなかった。
どうしてなのかはわからない。
でもこの人を恨むのはなぜか嫌だと思った。
どうしてなのかは本当にわからない。
だけど、この人を恨みたくないと思うことだけはわかっていた。
「……わぅ、ごめんなさい」
「いえ、気にしないで」
アイリスさんは笑っているみたいだ。
でも目の前が見えないからよくわからない。わからないけど、不思議と落ち着ける。
まるでママたちに抱き締められているみたいに、とてもいい匂いが──。
「……え?」
「シリウスちゃん?」
──アイリスさんの匂いがする。
でもいまたしかに違う臭いがした。これは──。
「血の臭いがする」
「血の臭い?」
「うん。パパたちの方からするの」
濃厚な血の臭いが私たちの進もうとしている方向から漂ってきていた。それもわりと近い。
だけど、血の臭いだけならまだよかった。
でもいま血の臭いの中に嗅ぎなれた匂いがあった。この匂いは──。
「レアママの匂いだ」
「蛇王様の?」
「かすかにだけど、間違いないの!」
──レアママの匂いだ。
レアママが近くにいるんだ。
でもなんで血の臭いなんてするのかがわからない。
嫌な予感がする。
「急ごう、アイリスさん!」
顔を上げるとなぜかすぐそばにアイリスさんの顔があった。
思わず慌てそうになったけど、どうにか抑え込んで走り出す。
臭いがする方へと向かうとレアママの匂いは強まった。でもそれ以上に血の臭いがより濃厚になっていく。
「レアママ」
カルディアママも気になるけど、レアママの確認をしても遅くはないはず。
逸る気持ちを抑えながら、レアママの匂いを辿っていくと少し開けた場所に出た。そこには──。
「……うそ」
「蛇王様が」
──そこには木に寄りかかるようにして倒れたレアママが、心臓に紅い剣が突き刺さったレアママが倒れていた。
「レア、ママ?」
レアママのそばによる。けどレアママはなにも言ってくれない。
いつもみたいに声を掛けてくれない。
いつもみたいに笑い掛けてくれない。
いつもみたいに抱き締めてくれない。
「レアママ、起きて?」
レアママの体を揺さぶる。
でもレアママはなにも言わなかった。
まぶたは閉じられたままだった。
「起きてよ、レアママ」
「……シリウスちゃん、蛇王様は」
「起きて。パパのところに一緒に行こうよ?」
呼吸が徐々に荒くなっていく。涙が溜まっていく。
信じない。
こんなのは嘘だ。
ありえないよ。
だってレアママは最強なんだもん。
こんなことあるわけがないの!
だから起きて?
起きてよ、レアママ。
「……もう蛇王様は起きることは」
「そんなことない!レアママは最強なんだもん!だから、だから死ぬわけがないもん!」
そう、レアママは死なない!
こんなことで死ぬわけがない!
だから、だから早く起きて。起きてよ──。
「レアママぁぁぁぁぁーっ!」
レアママに向かって叫ぶ。
けれどレアママは目を醒まさなかった。目を醒ますことなく、青白くなった顔で、ぬくもりを失った体で眠り続けていた。そんなレアママに私はすがりつくことしかできなかった。
続きは明日の16時予定です




