Act9-321 空を裂く慟哭
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言葉の意味をすぐに理解することができなかった。
アルトリアはカルディアを引きずっていた。カルディアの銀髪を掴んで引きずっている。引きずられているカルディアはなにも言わない。
意識を失っているからなにも言わないんだろう。それこそ痛みを感じないほどに深く気を失ってしまっている。だからこそなにも言わない。そう思っていた。
でもスカイディアが言ったのは、意味のわからない言葉だった。
「おまえ、いま、なんて言った?」
カルディアからスカイディアにと視線を戻す。スカイディアは大きく口元を歪めて笑っていた。その目は嗜虐の色に染まっていた。俺を苦しめることが楽しくて堪らないとその目は雄弁に物語っていた。
「あら、聞こえなかったの? アルトリアが引きずっている雌犬ちゃんは、もう死んでいると言っているのよ。アルトリアが引きずっているのはただの肉の塊であって、あなたのお嫁さんではなくなっているの。正確にはお嫁さんだったものになってしまっているのよ」
スカイディアは笑った。とても楽し気に笑っている。いや、スカイディアだけじゃない。アルトリアもまた笑っていた。
「ふふふ、お喜びください。ようやく「旦那様」を狂わせていた卑しい雌犬を始末できましたよ。褒めてください、「旦那様」」
ふふふ、と嬉しそうに笑うアルトリア。嬉しそうに笑いながらカルディアの体を引きずっていく。
「いやしい、雌犬?」
「ええ。この雌犬は卑しい存在ですよ? どうせ誰が相手でもみずから腰を振るような卑しい雌なんです。旦那様ひと筋に見えて、実際は誰とでも交わるんですよ? まさに雌犬ではないですか。それも卑しく、そしていやらしい、この女に相応しい言葉じゃないですか」
アルトリアは満面の笑みを浮かべていた。満面の笑みでカルディアを引きずっている。カルディアはなにも言わない。なにも言わないまま、アルトリアに引きずられたままだった。よく見るとカルディアの脚の角度はおかしな方向へと向いている。いや、脚だけじゃない腕だってそうだ。本来曲がるはずのない方向にと彼女の四肢は曲がっていた。
それでもカルディアは目を醒まさない。破れた服の裾からは骨のようなものが突き出ていた。それでもカルディアは目を醒まさない。
「うそ、だ」
「嘘じゃないですよ。この女は雌犬です。旦那様だけではありません。男の獣液に塗れて卑しく笑うただの雌犬です。旦那様の正妻にはまったくもって相応しくない、醜く卑しい女ですよ?」
アルトリアがぐだぐだとなにかを抜かしている。だが、どうでもいい。気狂い女の話なんてどうでもいい。むしろそれ以上知った風な口を叩くな。カルディアを悪く言うんじゃない。普段なら口にしないような罵声が浮かんでは消えていく。
「あぁ、それにしてもこの雌犬はしぶとかったです。おかげで喉が渇いて、ああ、ちょうどでいいですね。どうせ死んでいるんですから、血を飲み干しても問題はありませんよね。まぁ、淫売な雌犬の血なんてたかが知れていますけどね。それでも私が飲んであげるのだから感謝して──」
「黙れ、気狂い女」
気づいたときにはアルトリアのそばにいた。そしてアルトリアの頬を裏拳で張り飛ばしていた。アルトリアの体が舞う。同時にカルディアの体も持っていかれそうになっていた。でも持っていかれる前にアルトリアの右手首を切り落として、カルディアに触れられないようにしてやった。
それでもアルトリアの右手首はカルディアの銀髪を掴んでいた。その右手首をバラバラに切り刻んだ。カルディアの体を傷付けることがないように、注意しながらだ。
「あ、あぁぁぁぁ!」
アルトリアが痛みに喘いでいる。だが、どうでもいい。そんな雑音なんてどうでもいい。いまはただ、そう、いまはただ──。
「カルディア」
取り戻したカルディアを起こすことが先決だった。そっとカルディアの体を揺する。だけどカルディアの目は開かない。そのまぶたは固く閉ざされている。どうやってもそのまぶたは開きそうにはない。
「……カルディア」
もう一度カルディアに声を掛ける。少し強めに体を揺する。でもカルディアのまぶたは開かない。重く閉ざされたままだった。
「……カル、ディア」
視界が歪んだ。歪んだ視界のまま、カルディアの体を必死に揺する。けれどダメだ。カルディアのまぶたは開いてくれない。
「嫌だよ。起きてよ。起きてくれよ、カルディア」
涙が零れていく。まるであのときみたいだ。あのとき、「獅子の王国」でカルディアを失ったときと同じだ。状況は違う。
でも結果は同じだった。
「まだ眠る時間じゃないだろう? シリウスだってまだ来ていないんだよ? あのときはシリウスが来るまでまぶたを閉じなかったじゃないか」
あのとき、カルディアはシリウスと最後に話をするまでまぶたを閉じていなかった。いまこの場にシリウスはいない。だからまだまぶたを閉じるには早すぎる。
だけどどんなに声を掛けてもカルディアはまぶたを開けてはくれなかった。
おかしな方向へと曲がっている腕を取り、血に染まっている手を掴む。少し前まで感じられていたぬくもりは、すでになくなっていた。カルディアのぬくもりはまた消えてしまっていた。
「カルディア、ママ」
カティが呆然としていた。いや、カティだけじゃない。プーレやサラさん、ゴンさんもまた呆然としていた。呆然としながら俺の腕の中にいるカルディアを見つめていた。
「カルディアぁぁぁぁ!」
注がれる視線に耐えることはできず、俺は空を仰いで叫んでいた。でもどんなに叫んでもカルディアは目を醒まさない。目覚めることのない眠りに彼女は再びついてしまった。ぬくもりの失われた体を強く抱きしめながら俺はただ叫ぶことしかできなかった。




