Act1-37 逢魔が時~豹変~
本日二話目です。
やや暴力的かもなので、ご注意をば。
アルトリアの喉が鳴っている。
喉を鳴らしながら、アルトリアがなにかを飲んでいた。
そのたびに体から力が抜けていく。なにが起きているのか。答えはわかっていた。
「「旦那さま」の血、美味しい」
アルトリアが恍惚とした声を上げた。
ちょうど唇を、いや、牙を離したのだろう。
唇の端から赤い液体が滴り落ちていく。
やはり血を吸われていたみたいだ。どうりで力が抜けるわけだった。
人の体は血が循環して、まともに動く。
血が一か所で滞ればそれだけで病気になるし、滞らなかったとしても、血のめぐりが悪ければそれはそれで病になる。
それだけ血は体を支えている。
つまり血は命の源だった。その源を吸われてしまえば、力が入らなくなるのも無理もない。
「血なんて吸って、どうする」
「「旦那さま」は知らなくていいの~。アルトリアが欲しいだけだもの。一目見たときから、「旦那さま」の血は、とても美味しそうだって思っていたけれど、こんなにも美味しいなんて思っていなかった。ぜんぶほしいなぁ。「旦那さま」の血、ぜんぶ、ぜんぶほしいぃ」
アルトリアと目が合った。
アルトリアはとても嬉しそうに笑っている。
とても淫らな笑顔。劣情を煽るかのような笑顔。
言われていることは、死ねと言っているようなものだけど、その口調からは俺の死を願っているようには思えなかった。
「全部やったら、俺が死んじまうよ」
「あははは、そっかぁ。そうだねぇ。「旦那さま」死んじゃうもんねぇ。じゃあ、ぜーんぶはなしだねぇ。じゃあ、どうしよーかっなぁ」
まるで酔っ払いのように、口調が砕けている。
普段のアルトリアからは想像もできない。
けれどアルトリアから、いつも感じていた色気は、豹変したアルトリアにもあった。
普段の色気を数倍濃縮したと思えるほどの色気を感じられた。
「かぷ~、かぷ~、ふふふ~」
アルトリアは牙を俺の首筋に当てていく。
だが当てるだけで、肌に突き刺そうとはしない。
いわゆる甘噛みをしている。
甘噛みをしながら、時折舌を這わせていく。
その動きは妙に艶やかだ。その舌が時折、牙で穿たれた傷痕に触れる。
痺れるような痛みとともに、どこか甘い快感があった。
奥歯を噛みしめるも、我慢しちゃだぁめぇとアルトリアが囁きかけて来る。
「「旦那さま」のかーいい声、聞きたいなぁ」
そう言って、アルトリアはいきなり牙で首筋を穿ってきた。
痛みが走り、ついで力がまた抜けていく。
血をまた吸われているのがはっきりとわかった。
血を吸われてしまったら、たとえ超人的な身体能力を得ても、どうすることもできなくなる。
血が体を動かしている。わかっていたことだったけれど、それを改めて確認できた。
「や、やめろ。アルトリア」
アルトリアの肩を押そうとした。
だがアルトリアは俺の手を取ると抑えつけるようにしてきた。
それどころか、そのまま俺を床に組み伏し、俺の血を吸い続けて来る。
声が漏れた。喘ぎとは違う。
痛みとそれ以上の甘い快感に悶える声。女の子らしい声が俺の口からあがっていく。
「かーいいなぁ。「旦那さま」は、ふだんすごくイケメンさんだけどぉ、やっぱり女の子だもんねぇ。女の子なんだから、もっと女の子らしく振る舞えばいいのに。いまの「旦那さま」を見たら、きっとみーんなアルトリアよりも、「旦那さま」に夢中になっちゃいそう。でもだぁめぇ。「旦那さま」は、アルトリアの「旦那さま」だもん。アルトリアだけが、いまの「旦那さま」を見られるの。もし、ほかの誰かが、いまの「旦那さま」を見たら、アルトリアはぁ~、その人殺しちゃうかもしれないなぁ。ううん、殺しちゃうねぇ。体中の血をぜんぶ飲み干してあげるんだぁ。「旦那さま」にできないことを、その人にしてあげるの。すごく楽しそう。きゃはははは」
アルトリアが笑うけれど、それはとても笑えることじゃなかった。
とても正気だとは思えなかった。それくらいいまのアルトリアは狂っている。
「でもねぇ。「旦那さま」以外の人の血って、美味しくないの。昼間もね。「旦那さま」が腕を飛ばした人の血、アルトリアのお顔に掛かった分だけ、飲んだんだけど、ぜんぜん美味しくなかったの。苦くて、しょっぱかった。「旦那さま」とはぜんぜん違っていた。すごくまずかったなぁ。あれに比べて「旦那さま」の血はぁ」
新しく穿った穴を、舌を少し尖らせて、刺激された。
噴き出るほどに血が出るわけじゃない。
だが、にじみ出るようにして血が出てしまう。
その血をアルトリアは丹念に舐めとっていく。
大好物を味わって食べているかのように、とてもゆっくり、しかし確実に俺の血を啜っていく。
「美味しいぃ~。とろりとしていて、すごく甘いの。まるで果物みたい。それもすごく高い果物。最高級の果物みたいな血。こんな血を、「旦那さま」の血を知っちゃったらぁ、もうほかの人の血なんていらなーい。「旦那さま」の血だけでいいやぁ」
アルトリアが再び穿った穴を刺激する。
血が溢れだし、それを舐め取り、啜られる。
アルトリアの口元はすでに血で染まっていた。
それだけを見ると、完全にホラーだ。
いや血を吸われている時点で、すでにホラーだろう。
だがそのホラーに対して、俺はなにもすることができなかった。
できないまま、されるがままになっていた。
「本当に美味しい。ねぇ、「旦那さま」、ぜんぶちょーだい? ぜんぶほしいの、「旦那さま」の血、ぜーんぶ、飲みたいなぁ」
アルトリアがねだり始めた。
ほかのことであれば、聞いてやってもいい。
けれど血を全部飲まれてしまったら、俺が死んでしまう。
ふざけんなとだけ答えた。そう答えるので精いっぱいだった。
「ふふふ、「旦那さま」ったら、強気だねぇ。なにもできないのに、そんなことを言っていいの? アルトリアがその気になったら、ぜーんぶ吸っちゃうよ?」
くすくすと笑いながら、血の瞳を細めるアルトリア。
笑ってはいたけれど、その気になれば、俺の血を本当に吸い尽くすことは、アルトリアであればできることだった。
だが、下手に出たら、それだけで劣勢に陥ることは目に見えていた。
そのときは押され気味ではあったけれど、劣勢とまでは言わなかった。
しかしそれもアルトリアの気分次第で変わってしまう。
だからこそ下手なことは言えない、はずだった。
けれどいつまでも黙ってされるがままなのは、性に合わなかった。
「やれるものなら、やってみろ。そんな勇気もないだろう? おまえには」
にやりと口元を歪めて笑った。
アルトリアは唖然とした表情になったが、すぐにおかしそうに笑いだした。
その笑い声はとても愉快そうな一方で、ほんのわずかな苛立ちを感じられた。
「「旦那さま」ったら、調子に乗ったらだーめなんだよぉ? いまの「旦那さま」はぁ、アルトリアがそのきになったら、ぜーんぶ吸われちゃうんだよぉ? わかっている?」
アルトリアの人差し指が俺の頬を突いた。
怒っているのか。それとも笑っているのか、いまいち判断がつかない。
ただ虎口にいることだけは、はっきりと理解できていた。
アルトリアには面白くないことだろう。
「獲物」である俺に挑発されて、面白いわけがなかった。
「オシオキしちゃおっかな?」
にやりとアルトリアが笑う。
同時に首筋にまた新しい穴を穿たれた。
それもいままでになく深く、そして早く血を吸われていく。
声が漏れる。痛みも快感もない。
ただ声にならない声だけが漏れていく。
命が失われていく。その感覚だけを俺は感じ取れていた。
続きは六時になります。




