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Act9-302 本気の殺し合い

 あぁ、ようやく。ようやくあの「蓋」がいなくなってくれた。


 ずっと窮屈だった。ずっと、ずっと窮屈で堪らなかった。あの「蓋」が「香恋」と呼ばれるたびに腹立たしかった。


 その名前は私のものであるはずなのに。その私の名前を勝手に奪い取った。お母様から産まれ落ちたのはおまえじゃないというのに。お母様の本当の娘ぶっているあの「蓋」の声を聞くたびに怒りと殺意が芽生えた。


 だけど、そのお母様が私に為した封印はとても頑丈だった。だからどんなに腹立たしくても、殺意に芽生えても。そしてあの「蓋」が大切にしているものをすべてぐちゃぐちゃにぶち壊してやりたくても、私は指を咥えて見ていることしかできなかった。


 だけど、それはもう過去の話だ。


「あぁ、いいわ。実際に空気を吸うなんて、十数年ぶりね」


 私はもう自由だった。お母様の封印はあの捨て駒を食べたおかげで完全に破ることができた。でも、封印を破れても、いままでは表に出て来られなかった。あの「蓋」がみずから殺意を抱くようにならないと、私は表には出られない。それもまたお母様の封印だ。


 実際のところ、お母様の封印を完全に破ったことは破ったのだけど、でも、封印がなくなったわけじゃない。あくまでも私が表に出られる道筋ができたというだけのこと。肝心の表に出るためには「蓋」が邪魔だった。


 だけど、その「蓋」は自分の存在を否定され、みずからのありように悩んでしまった。その結果、私が表に出られるための「隙間」を作ってくれた。いや、私にとっては「扉」としか言いようがないね。その「扉」を通って、私は表に出てきた。


 表に出てまず深呼吸をした。産まれたばかりの頃も数えきれないくらいにしたものだけど、十数年ぶりの呼吸はなんとも言えない味わいがあった。


「……パパ」


 不意に腕の中から声が聞こえてきた。見れば小汚い犬がいた。


「あなたはたしか、「蓋」の娘だったかしら?」


 体中がボロボロで小汚いにもほどがある子ではあるけれど、見た目はかわいらしい子だ。うん、美醜の勘カウは私と「蓋」はさほど変わらないようだ。腹立たしくはあるけれど、あれはもともと作り物なのだから、私の好悪を基準にして作られたのだから、私と感覚が同じであっても不思議ではなかった。


「パパをどこにやったの?」


「蓋」の娘は目を細めて私を見つめている。あ、いえ、これはたぶん「睨み付けている」という奴ね。そう、これが睨み付けるということなのね。「蓋」を通して知っているだけだったから、こうして実際に睨み付けられているのは初めてだから、ちょっと困惑しちゃったわ。


 でも睨み付けるということは、私に喧嘩を売っているということよね? つまり殺されても文句は言えないということ。なら──。


「私に喧嘩を売っているの? いい度胸ね、わんちゃん」


 にっこりと笑いながら、腕の中にいた「蓋」の娘を手放すと、そのまま「蓋」の嫁たちの方へと蹴り飛ばしてやった。「きゃん!」と本当に犬のような鳴き声を上げながら、「蓋」の娘は地面をバウンドして転がって行った。かわいらしい顔が泥まみれになり、その口からはおびただしいほどの血を吐いていた。


「あらあら、内臓でも破裂しちゃった? 脆いわね。オモチャにもならないじゃないの」


 もっと丈夫かと思ったのだけど、これじゃ簡単に壊れてしまうわね。そんな簡単に壊れてしまったら、オモチャにもならない。まぁ、壊れるか壊れないかのギリギリまで苦しめるという方法もありと言えば、ありよね。むしろそうしてあげた方が楽しそうね。


「ダメじゃない、わんちゃん。そんな簡単に壊れたら面白くないのだけど」


「私は、カティだ! パパの娘だ! パパを返せ。パパから出て行け!」


 血を吐き出しながら、わんちゃんは実に健気なことを言ってくれる。そんなにも「蓋」が大好きなんてね。ふふふ、「蓋」が聞いたら泣いて喜びそうね。でも残念よね。あれが表に出てくることはもうないのだから。そもそも出て行けもなにもこの体はもともと私のものなのだから、出て行くもなにもないんだけどね。それともそんなことさえもこのわんちゃんはわからないのかしら?


「やれやれ、わからないわんちゃんね。この体はもともと私のものであって──」


「そうね、あなたのものよ、香恋」


 不意に後ろから声が聞こえた。見ればスカイディア伯母様が立っていた。そう言えば、「蓋」は伯母様を殺したかったのよね。


 一応ちょっと力を貸してあげたのだけど、あっさりと受け止められてしまっていた。会ったのは初めてだったけれど、本当にでたらめな存在よね、この人は。


 でも、どんなにでたらめのような存在であろうと、殺すと決めたら殺す。いや殺さないといけない。殺してあげないといけない。だってそうじゃないと──。


「あら、初めまして、伯母様。初めましてついでで悪いとは思うのですけど──」


 ──楽しくないんだもの。「私」が殺すと決めた以上は、なにがあっても殺す。だって「私」はそうするためだけに産まれてきたんだもの。それが私の存在理由なんだもの。だから殺すの。たとえそれがスカイディア伯母様であったとしても変わりはしない。だから──。


「──早めに死んでくださらない? スカイディア伯母様」


 ──さっさと死んでほしいのだけど、伯母様は死んでくださらないでしょうし。仕方がないわね。死ぬまで殺してあげるしかないかな。


「ふふふ、こうして会うのは初めてなのに、ずいぶんと辛辣ね、「香恋」は」


「辛辣にもなるわ。表に出してくれたことは謝意を述べますけど、あのわんちゃんをギリギリのところまで壊してあげようとしているのに邪魔をするんだもの。邪険にされて当然でしょう?」


「ふふふ、たしかにそうかもしれないわね。でも私の要件を済ましてくれたら、すぐに楽しませてあげるけれど」


「あぁ、お母様の居場所? 残念だけど、私にもわからないわ。というか、知っていたとしても教えると思って?」


「そうねぇ。私なら教えないかしら?」


「でしょう? だからそういうことよ、伯母様」


 ウインクをしながら笑い掛ける。伯母様は肩を竦められた。同時に強い目で私を睨んできた。


「じゃあ、あなたをぼろきれにして、無理やり聞き出しましょうか」


「やれるものならやってごらんなさい」


「いい度胸ね、香恋」


「若さに敵うと思って?」


「言っていなさい、小娘が」


「ふふふ、頑張ってね、年増さん」


 笑い合う。笑い合いながら私と伯母様による殺し合いは、本気での戦いは始まった。

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