Act9-299 捨て駒
まずい、と心の底から思った。
パパが怒りすぎている。いや、理性を失いつつあった。普段のパパであれば、怒ったとしてもそこまでの問題はない。
けれど、いまのパパは怒りすぎていた。
それこそ理性を失ってしまうほどに。自分自身を抑えきれないほどにパパは自分を見失っている。
レンゲを失ったことがパパの理性を奪った理由。
たぶんスカイディアはもともとこうするつもりでレンゲをパパの中に送り込んだんだと思う。
パパの中でのレンゲという存在が大きくなっていくことを見越したうえで、元から捨て駒にするためだけにレンゲを生み出したんだと思う。
『……おそらくは、そうであろうな』
『ヘン様、もう大丈夫なの?』
『あぁ、なんとかな』
ヘン様がようやく声を掛けてくれた。私自身の体はスカイディアの折檻によってボロボロになっている。
でもそのダメージのほとんどをヘン様が肩代わりしてくれていたんだ。でもそのせいでヘン様はいままで放すことはおろか、意識さえもなかったんだ。
おかげでパパが来てくれるまで、すごく心細かったけれど、ヘン様が起きてくれたからにはもう安心だった。
だけどそれはあくまでも私の精神安定という意味合いであれば、の話。現状は最悪と言ってもいい状況だった。
『状況は……ああ、どうやらかなりまずい状況のようだな』
『うん。サラママの怪我もあるけれど、パパがだいぶまずいことになっているの』
『……うむ。まずレンゲとやらの存在自体がカレンを追い込むための布石であった、というそなたの見通しはまず間違っていないだろうな。スカイディアであれば、そこまでやるだろう。いや、むしろやらないわけがない。ただそれだけでは不十分かもしれないと思ったからこそ、サラの腕を飛ばしたというところであろう。まったく、スカイディアの考えそうなことだよ』
ヘン様は吐き捨てるようにして言った。やっぱりレンゲ自体がパパを追い込むための存在だったというのは間違いないみたい。
ヘン様はスカイディアのことをよく知っている。スカイディアがどれだけ性格が悪いというか、人が嫌がることが大好きなのかがわかっていると言う方が正しいかな。
でも、一番苦しめるためには。パパの心をこれでもかと痛めつけるためだけに、レンゲを生み出し、パパの元に送り込むというのは、いくらなんでも迂遠にもほどがあると思う。
むしろ失敗する可能性の方が高いような気がする。そんな賭けみたいなことをスカイディアはなんでしたんだろう。
『簡単なことだ。スカイディアにとってはどちらでも構わなかったのだろう』
『どちらでも?』
『うむ。成功も失敗もあの女にとってはどっちでもいいことだった、ということだ。レンゲがカレンにとってなくてはならない存在となるのもよし。いてもいなくても構わない存在であったとしてもよし。あれにとってはレンゲという存在はただの暇つぶしの道具程度のものだったということだ。……レンゲ自身が抱いていた葛藤も含めて、な』
『そんな、ことって』
続く言葉を失ってしまった。あまりにもひどすぎる内容だった。
レンゲにとってはスカイディアの意思はなにがなんでも守るべきものだったはずだ。
レンゲには体がなかった。自分と言う存在が生きているという証拠がなにひとつなかった。
目に見える生きていると言う証拠がなにひとつ存在しなかった。
だからこそ、母親とも言うべきスカイディアの命令を聞くことはレンゲにとってはなによりも優先するべきことだったんだろう。
スカイディアの命令を遂行するということは、スカイディアからの命令があるということは、レンゲ自身が生きているからこそ。
体はなくても生きてそこに存在しているからこそできること。
だからこそスカイディアの命令をこなすことがレンゲ自身の生きているというなによりもの明確な証拠になっていた。
でもその命令の内容がパパの中に潜むということだった。
最初はなにも問題なく過ごせていたんだと思う。
けれどパパと触れ合ううちに、パパをお姉ちゃんだと思うようになった。
けれどスカイディアの命令を聞くことはレンゲにとっては生きる理由そのもの。
パパへの想いとスカイディアの命令。そのふたつにレンゲはいつしか板挟みになっていった。
でもその姿はスカイディアにとっては愉悦そのものだった。そのことをレンゲは気づくこともなかったんだろうね。
そしてレンゲが板挟みに合う中、パパにとってのレンゲの存在は大きなものへと変化していった。
スカイディアにとってはこれ以上とない成果となった。
すごい皮肉だよね。パパを思えば思うほど、レンゲは嘆くけれど、その分だけスカイディアが喜ぶことになる。
レンゲをそんな目に遭わせたのはスカイディアをパパは許せないでいる。
でもそれは同時にパパの中の封印が緩んでしまうということになる。どうにかしないといけない。
だけど、どうすればいいのか。わからない。わからないまま、パパは大きく息を吸い込み、そして叫んだ。
「覚悟しろ、スカイディア!」
スカイディアに向かってパパはゆっくりと近づいていった。
パパの腕の中にいながら、どうするべきかを私火は考え続けた。けれど、答えが出ることなく、そのときを迎えてしまうことになったんだ。




