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Act9-279 訣別と対峙

 速い。


 血の瞳を浮かべたあの人がまっすぐに突っ込んでくる。


 紅い残光を刻みながら移動するあの人はとても速かった。


(本気になったカルディアママとどっちが速いだろう?)


 殺される前のカルディアママは、当時のパパとそこまでの差はないくらいには強かった。


 でも生き返ってからのカルディアママは、生前よりもだいぶ強くなった。


 私が先代に鍛えられている間、カルディアママはなにもしていなかったわけじゃない。


 カルディアママも個人的に鍛えていたんだ。


 長い時の中を、それこそ気が遠くなってしまうほどに長い時間を、カルディアママはパパのために使っていた。パパを助けるために、パパを支えるためだけにあの長い時を過ごしていた。


 私もパパのために頑張ってはいた。


 けれどカルディアママの努力は、私以上のものだった。


 時には私以上にボロボロになることもあった。


 それでもカルディアママは弱音を吐かなかった。


 それどころか私の面倒も看てくれた。


 カルディアママだって鍛練で疲れているはずなのに。カルディアママはいつも「愛娘のためになにかをするのは当然のことでしょう?」と笑いながら言ってくれた。


 カルディアママの愛情に私は救われていた。


 あの時が止まった世界で、私が正気を保てていたのはカルディアママがいてくれたから。


 だから私はカルディアママには一生頭が上がらないし、カルディアママのことはママたちの中でも特に大好きだった。……それこそノゾミママとどっちが好きかって言われたら、選べないくらいには。


 そんなカルディアママとこの人の実力はさほど変わらない。


 カルディアママなら、自分よりも強いとか思うのだろうけど、私から見ればそこまで大きな差はない。

力であればこの人だろうけど、速さならカルディアママだと思っていた。


 けどいまのこの人の速さはカルディアママに匹敵する。


 総合的に見たら、この人の方がカルディアママよりも強いと言えるかもしれない。


 でもその差はわずかなものだ。子供の頃の私と先代たちとの差に比べたら誤差のようなものでしかない。


「死んじゃいなよぉ、偽物ぉ」


 間延びした話し方をしながら、狂気に満ちた目が私を射抜いていた。射抜きながら長くなった爪を振るってくる。振るわれる爪から逃れつつ、その手を取った。腕に込められた力は想像よりもはるかに強かった。


 そして爪を振るいつつも私を見やるその目は、私を殺そうと躍起になっていた。


 だが、その理由はいまいちわからない。


 なにが偽物だと言うんだろうか?


 私は生まれてこの方、偽物になったつもりなんてないのだけど。


(言っても無駄だろうけどね)


 どうにもこの人の中では、いまの私は偽物のようだ。


 この人の理想の私ではないからだろう。理想の私ではないからこそ偽物と呼んでいるのだろう。


(本当に自分勝手な人だよね)


 自分の認めないものは、意地でも認めないくせに。自分が認めるものは無条件に許す。


 暴君や独裁者の思考のようだ。


「私は偽物じゃない」


 だからこそあえて私は本物だと、パパの娘であるシリウスだと言ってやった。けど──。


「違うよぉ。シリウスちゃんは、おまえみたいなのとは違うのぉ!」


 ──この人はやはりいまの私を、カルディアママそっくりになった私を認めるつもりはないようだった。


 シルバーウルフの姿になったときから、この人はカルディアママに似た姿になったことを嫌がっていた。


 でも私が私であることをわかっていたから娘として扱っていた。


 でも本当はこの人は私を──。


「やっぱり、あなたは私を愛してなんかいなかったんだ」


「はぁぁ~? 私が愛しているのは旦那様とぉ~、娘のシリウスちゃんとカティちゃんだけだよぉ~? おまえみたいな偽物なんてぇ、愛しているわけないでしょぉ~?」


「バカじゃないの?」と言うかのようなその姿にただ胸が痛む。


 なにも知らなかった子供の頃にこのことを知ったら、きっと私は発狂していたかもしない。


 大好きだった「まま上」に愛されていなかった。


「まま上」が愛していたのは私ではなく、パパとの間の「娘」という存在だった。


 私はたまたまパパの娘になれた。だからその愛情が注がれていた。


 でもこの人が本当に愛していたのは、私という存在ではなく、私が持ったその付加価値、すなわち「パパの娘」という価値だけだった。


 私自身なんて愛してさえいないんだ。


 もし私がパパの娘でなければ、この人は私を愛するどころか、「雌犬」や「駄犬」と言っていただろうね。


 ……本当に私のことを愛してくれているのであれば、たとえ姿が変わっても愛してくれるはずだから。


 現にカルディアママは子供の頃のように愛してくれた。カルディアママだけではなく、みんなを騙していた私なんかを変わることのない愛情で包み込んでくれた。


 レアママは「同じ苦しみを背負う」と言ってくれた。私がひとりで背負っていたものを、レアママも背負うと言ってくれた。同じ苦しみを味わうと言ってくれた。


 サラママはまだわからないけれど、きっとのほほんとした調子で「大きくなっちゃいましたねぇ~」とかのん気なことを言うだけだろうね。でもそれが私には嬉しいよ。


 そしてプーレママはなにも言わずに抱きしめてくれた。プーレママの方がはるかに辛いのに。それでも私をぎゅっと抱きしめてくれた。そのぬくもりに私は救われた。


 私のママたちはみんな魔物でしかない私を、まるで実の娘のように愛してくれる。


 私が持つ付加価値じゃない。


「パパの娘」としてではなく、「愛娘のシリウス」として愛してくれている。


 なにも言わなくてもその愛情をたしかに私は感じ取れていた。


 だけど、この人は違う。この人は私自身のことなんてこれっぽちも愛していないんだ。わかっていた。わかりきっていた。


 それでも、それでもこうして突きつけられるとひどく胸が痛かった。張り裂けそうになる。でもその張り裂けそうな痛みをこらえながら、私はこの人と、いや、この女と対峙すると決めたんだ。


「私と私の妹を馴れ馴れしく呼ぶなよ、気狂い女」


「……やっぱりぃ、おまえは偽物だよぉ。私のシリウスちゃんはそんなひどい呼び方なんてしないものぉ~」


 気狂い女は腹立たしそうに私を見つめている。その視線にまた胸が痛んだ。けれど──。


「大丈夫だよ、シリウス。私もいるから」


「……ママ」


 いつのまにか背後にカルディアママが立っていた。大好きなカルディアママがいてくれるなら、この女になにを言われたって平気だった。


「いままでの報いを受けさせてやる」


「この子が本物のシリウスだってことをあなたに教えてあげるよ」


「生意気な雌犬どもだなぁ~。二匹揃って殺処分してあげないとねぇ」


 笑う気狂い女と私は、いや、私とカルディアママはふたりでの対峙を始めた。

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