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Act9-263 「冥」のアリア

(来るとは思っていたけどね)


 スカイディアの性格を考えれば、この光景を予想していなかったわけじゃない。考えていなかったわけじゃない。


 それでもやっぱり「来たか」とは、どうしても思ってしまう。こう、なってほしくはなかっただけに。わかっていたこととはいえ、それでも否定したい気持ちは俺の中にはあった。


「どうしたの? 香恋」


 目の前にはニコニコと笑う希望がいる。いや、希望の姿をした偽物が立っている。わかっている。こいつが偽物だってことはわかっているんだ。頭ではわかっていても、心が納得してくれていない。


(あぁ、本当に希望そっくりだよ。なにからなにまでもがあいつを想わせてくれる)


 声も口調もそしてその仕草さえも。すべてが希望だった。


 俺が知っている、俺が守らなければと思っている、天海希望そのものだった。


 だから思ってしまう。ありえないとは思っていても、「もしかしたら」と思ってしまう。


 ここにいるのは、本当は希望なんじゃないかって。


 俺の知っている希望のままで、ただ誰かに操られているだけなんじゃないかって思ってしまう。


 それがありえない願いであることはわかっていた。


 わかっていても願ってしまう。そのありえない願いを、現実になるようにと願い、祈ってしまう。


 だけど、どんなに願おうと。どんなに祈ろうと。それが現実になることはない。


 むしろその願いと祈りは形を変えて俺へと迫ってくる。俺の喉を抉るナイフとして迫っていた。


「……ノゾミさん」


 プーレが痛ましそうに表情を歪めていた。


 希望のことは、希望が偽物だということは、登山の間に話しておいたからみんなが知っている。


 誰もが言葉を失っていた。言葉を失いながらも現実として受け止めてくれていた。


 だけどどんなに受け止めたところで、その現実とこうして顔を合わせたら、誰だって動揺はする。


 それも希望と接していた時間が長ければ長いほど、その動揺は強く大きくなってしまう。


「……ありゃ? プーレちゃん、どうしたの? 目の色がおかしいよ? 大丈夫?」


 プーレの現状を確認して、希望の偽物は心配そうにプーレに声を掛ける。そう、たしかに心配しているようには見える。見えるけど、希望はそんな言い方はしない。


 いや、希望であれば、そんな軽い言い方をするわけがないんだ。


「……レンさん」


 タマちゃんが声を掛けてくれる。その声に爆発しそうな感情をどうにか抑え込めた。声を掛けられなければ爆発していたと思う。


 いや、爆発しないわけがないんだ。


 誰よりも守りたいと。誰よりも幸せにしたいと願っていた。


 希望がいれば、希望がいてくれさえすればそれでいい。


 そう思っていた。それほどの想いを向けていた希望を侮辱された。その存在そのものを凌辱されたんだ。


 怒らないわけがない。


 冷静でいられるわけがなかった。


 でも、その一方でまだこれが希望だと思っている俺がたしかに存在していた。


 そんなことあるわけがないというのに。そのあるわけがない可能性にすがっている俺が、俺のなかにたしかに存在していた。


 だから押さえ込めた。


 タマちゃんが絶妙のタイミングで声を掛けてくれたということもあるけど、まだ希望が操られているだけという可能性を否定されたわけじゃない。


 ほんのわずかしかない可能性であっても、その可能性に懸けていた俺がいた。だけど──。


「まぁ、目の色がおかしくなってもプーレちゃんはかわいいから問題ないかな?」


 ──そのわずかな可能性もあっさりと潰えた。


 希望なら言わないことだった。


 希望ならそんな能天気なことを言うわけがなかった。そんな、プーレを傷つけるだけのことを希望が言うわけがなかった。


 だからわかった。わかりきっていたけど、はっきりと理解した。


 万にひとつの可能性さえもないと。目の前にいるのは希望の姿をしたベツモノだということを理解できた。


 だから言うべきことはひとつだけだった。


「……黙れ。それ以上口を開くな」


 拳を握りながら、希望の偽物を睨み付ける。希望の偽物は唖然としながらも、なにかを言おうとした。


「口を開くな。おまえが希望じゃないことはわかっているんだ。だから黙れよ、希望の偽物!」


 痛みを堪えながら叫んだ。


 シリウスやカルディアたちが止めようとしているのがわかる。わかるけど、もう俺は止まれなかった。止めることができなかった。


「姿を現せ! それ以上希望を侮辱するな!」


 希望の偽物に向かって牙を剥く。希望の偽物は俺の反応を見て、またなにかを言おうとしたけど、寸前でなにかを見つけたのか、目を見開いていた。


 その視線を追うとそこには苦々しい表情を浮かべるアイリスがいた。


 アイリスを見つけたことで観念したのか、希望の偽物は肩を落としてため息を吐いた。


「……ふぅ、完璧だと思ったんだけどなぁ。まぁ、アイリス姉さんがいたら私のことは話しているよねぇ~」


 希望の偽物はやれやれと肩を竦めていた。その声は明らかに望みとは違う。アイリスやアルトリアに似ている。ふたりの声の中間とも言うべき声でかつ、ひどく甘ったるく、そして不気味な声だった。


 そのうえ自分の正体に気づかれたのはアイリスがいるからと、思っているみたいだけど、あいにくアイリスから一言もそんな話は聞いていなかった。


「……いいえ、アリア。私は一度もあなたのことを口にしていない」


「へぇ? 口にせずに私がノゾミちゃんじゃないと気づいたんだ?」


「……ひとつに気づけば、あとは悲しくなるくらいに違っていた。だからわかった」


「……主様」


 アイリスの表情が変わる。眉尻が下がり、申し訳なさそうに視線を落としていた。


「ふぅん。さすがは幼なじみだね? 私が目をつけただけのことはあるよ。すごいね、カレンちゃん」


 くすくすとおかしそうに笑う偽物。馴れ馴れしい態度の偽物に怒りが沸き起こっていく。


「馴れ馴れしいんだよ。勝手に俺の名前を口にするな」


「これは失礼。じゃあまずはご挨拶から」


 希望の偽物はスカートの端をつまみながら一礼した。その仕草はとても様になっていた。だけどその目はひどく歪んでいた。


「我が名はアリア。「ルシフェニア三姫将」のひとり「冥」のアリア。以後お見知りおきを」


 希望の偽物は、アリアはやはり歪んた笑顔でそう言ったんだ。

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