Act9-261 「剣仙」と「血刃」の間に
体の芯にまで響いていた。
軽いようでいて、本人は軽く振っているのだろうけど、その一撃はとても重たい。
『本当に重い一撃ですねっ!』
ミドガルズがいつものように減らず口を叩くも、その口調からは普段のこの子らしい余裕はない。
それだけ相手の一撃一撃が重たいという証拠だった。
ミドガルズだけではなく、手前もまた余裕などなかった。余裕があるわけがない。
「ふふふ、相変わらず力はないのだな、おまえは!」
「黙れ、偽者!」
兄上の偽者がうるさい。
言葉、仕草、そしてまなざし。そのひとつひとつが、雄弁に物語る。
「俺は本物だぞ? ティアリカ」
「っ!」
集中できなかった。
この男の言葉に心が乱される。
もしかしたら──。
そんなありえないことをみずから考えてしまっていた。
だって、言葉も仕草もまなざしも。そのすべては、そのすべてが手前が守りきれなかった兄上を想わせてくれるのだから。
だけど、ありえない。
旦那様だって言っていた。兄上が手前を殺そうとするわけがない、と。
そう、兄上がこんなことをするわけがない。
そもそも兄上が手前とまともに剣を交えられるわけがない。
だからこれは偽者。本物の兄上のわけがない。
そう、わかっている。わかっているのに──。
「違う!」
水平にミドガルズを薙ぐ。
渾身の力を込めたひと振り。しかしそれはあっさりと、憎たらしいほどにあっさりと受け止められてしまった。
「……迷いだらけだな」
「なに?」
「いまのおまえの剣には、迷いしかないぞ?」
「知った口を叩くな!」
円を描くようにして体を回転させてミドガルズを振り抜く。
男は驚いた表情で後ろへと飛んだ。
さすがに全体重を乗せた一撃は受け止め続けることはできなかったようだ。
「ふむ。いまの一撃はなかなか──む!」
男は油断していた。まだ手前の攻撃は終わってなどいない。
振り抜かなくても、次の攻撃には移れる。
しかし振り抜けば、振り抜いた勢いを殺さなければ、次の一撃ではなく攻撃を続けることができる。遠心力を利用した連撃を続けることができる。
そのための一歩を踏み込んだ。その一歩で懐に入り込めた。ここから防ぐことはできないし、次は避けさせない。
「これで!」
これで決める──。
手前の全身全霊を込めた一撃を迷いなく叩き込んだ──はずだった。
「……やはり迷いだらけだなぁ。そんなものでは、俺の命は奪えぬぞ?」
しかし全身全霊の一撃はあっさりと受け止められてしまった。
今度はいくら体を動かしてもびくともしない。まるで巌のように。
いや、巌であれば手前は斬れる。だけど、この男をなぜ斬れない?
(「剣仙」では斬れないのなら──)
「……バカが!」
「剣仙」では斬れないのなら、「血刃」で斬ればいい。そう思ったと同時に頬を打たれた。それだけでも意識が飛びそうになるほどに重かった。
「婿殿に言っていただいた言葉を忘れたのか、愚妹!」
男は怒っていた。
だけど意味がわからない。
(旦那様に言っていただいた言葉?)
なんのことなのか、まるでわからなかった。わからないが、旦那様のことをこの男が語ることが腹正しく思えた。
「っ、黙れ! 貴様が旦那様を語るな! 貴様が旦那様のなにを──っ!」
「──わかるさ。あの少女がおまえなどか嫁入りするには気後れするほどの器の持ち主であることは、な」
反論しようとした手前の口を男はその手で掴むことで無理やり黙らせた。
男の手は大きかった。兄上を想わせるほどに大きな手だった。
「いいか、ティアリカ。バカなおまえが忘れているであろうことを、婿殿に言われたことをこの兄が言ってやる。おまえは以前こう言われたのだ」
男が口にした一言に手前は息を呑んだ。なにせそれは「剣仙」と「鍛冶王」の間で揺られていた手前を救ってくれた言葉でしたから。
──なんで片方しかダメなの?
「剣仙」と「鍛冶王」のふたつの名に挟まれて揺らめいていた手前を、かつての自分を捨てていた手前を、兄上が生きていた頃の「手前」と兄上が亡くなられ、「鍛冶王」と名乗れるだけの実力を得た「俺」との間でふらふらと揺れ動いていた自分をいまの「手前」にとしてくれた言葉。
忘れていたわけではない。
でもそれは「剣仙」と「鍛冶王」に対してであり、「剣仙」と「血刃」に対してのものではなかった。
だから──。
「たわけ!」
「っ!」
「婿殿のお言葉を曲解するとは何様のつもりだ!?」
男が叫んだ。
目を見開き叫ぶ姿は、ますます兄上を想わせてくれる。
(違うと、そんなことはないとわかっているつもりだったのに)
そう、違う。
この男が兄上のわけがないとわかっている。わかっているのに心が言っていた。
目の前にいる男は、この強い剣士は──。
「だ、黙れ!」
「誰が黙るか、このたわけ者! 俺が死んだくらいで拗らせに拗らせよって! 「剣仙」も「血刃」もどちらもおまえだろうが! ならどちらにもなればいいではないか! 「剣仙」として「血刃」の技を振るえばいいだけであろう! 心まで「血刃」にはならず、「剣仙」のままで「血刃」の力を使いこなせばいいだけであろうが! もう少し頭を使え、頭を! この大たわけの愚妹めが!」
「剣仙」のままで「血刃」の技を使う。考えたことがないわけではなかった。それができれば、誰かを守れないことなんてない。
だけどそんなことはできない。
「血刃」の時の手前は「血刃」でしかない。「剣仙」にはなれないのです。それは手前が一番わかっていることでした。
「それができれば苦労はしません!」
「できる! なぜならおまえはこの俺の、「鍛冶王ヴァン」の妹だろうが! 俺の妹ならそれができる! そう俺は信じている!」
男が、兄上が叫ぶ。その言葉に、そのまなざしになにを言えばいいのかわからなくなってしまう。
「っ、うるさい、うるさいうるさいうるさい!」
口にできたのは、喚くだけの言葉でした。まるで子供のように喚くことしかできませんでした。
「この、たわけ者がぁぁぁーっ!」
兄上が叫ぶ。空いた左拳を迷いなく打ち込んでくる。打ち込まれた拳を手前はただ見つめていることしかできなかった。




