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Act9-255 歩(あるく)

 知られてしまった。


 知られたくないことだった。


 いや、知られてはいけないことだったのに、知られてしまった。


「勇ちゃんが、俺の弟?」


 聞こえてきた声は最愛の姉の声だった。


(見ないでくれ)


 子供の頃からずっと「どんな人なんだろう」と夢想していた。


(俺を見ないでくれ)


 夢想していたせいで孤児院内で割り振られていた仕事を寝坊してすっぽかすことがたびたびあった。


 アスラやその姉のシスターには何度も呆れられたし、それでも本当の姉やその上の兄たち、そして父や祖父祖母のことを、実の家族のことを考えずにはいられなかった。


 そんな俺を孤児院の仲間はなにも言わなかった。


 孤児の中には妄想と現実をごちゃ混ぜにしてしまう子もいるため、俺のような子は珍しくもなかった。

 そもそも俺の言葉をまともに相手している時間さえなかったんだ。


 当時の孤児院はかなり貧窮していた。どうにか明日の食べ物を得られてはいたが、その質がどれほど低いのかは考えるまでもなかった。


 そんな質の低い食べ物でもその日を乗りきるには必要なものだった。


 そしてその必要なものを手に入れるために孤児院の外で兄や姉たちが働いていることもわかっていた。


 それでも実の家族のことを考えずにはいられなかった。


 いま思えば、当時の俺は厄介者だったと思う。


 孤児院にいるくせに、実の家族のことを、それも会ったこともない家族のことを自慢げに話すのだから。


 それでも孤児院の弟妹だからと、仲間外れにするわけでもなく、苛めるわけでもなく、分け隔てなくほかのみんなと同じように接してくれた兄や姉たちには感謝してもしきれない。


 ただひとつだけほかのみんなと同じだったのは──。


「おれは、ゆうしゃになる!」


 ──「「勇者」になる」と常日頃から言っていたことだけだった。


 子供、特に男の子は幼ければ幼いほど、寝物語に聞かされる「英雄」と「六聖者」の話に憧れる。


 俺もそのうちのひとりだった。


 実の家族のことを語る妄想癖はあれど、「勇者」に憧れを抱くところは実にかわいらしいと当時言われていたらしい。


 らしいというのは、そのことを知ったのが本当に「勇者」になってからのことだったからだ。


 子供の頃からの友人で、冒険者として活動していた頃からの仲間だったアスラが苦笑いしながら教えてくれた。


 それまでそんなことを言われていたということさえ考えていなかったのだから、俺は相当にずれていたんだろう。


「まぁ、ずれてはいたが、嫌なずれ方ではなかったよ」


 アスラは当時のことを語りながらも笑っていた。


 当時に、子供の頃にそのことを話されても理解はできなかったと思う。


 でも話してもらえた頃には理解できていた。


 俺と同じようなことを言う弟妹たちを何人も見たから。


 だから、「そういうことか」と思えるようにはなった。


 だけど、その子たちと俺との違いは、妄想と事実ということだった。


「でも、本当におまえが「勇者」になるとはなぁ。子供の頃から言っていたけど、まさか本当のことになるとはなぁ」


 アスラは笑っていた。


 その言い方だと「なれるわけがない」と言っているようなものだったけど、アスラ曰く「なれるとは思っていた」ということだった。


 子供の頃から俺は他人とは違っていた。無理することなく自然と誰かのために行動する。そういう人間ほど「勇者」には向いているとアスラは言ったけど、とあることに関しては苦々しく思っていたらしい。


「子供の頃からおまえはほかの奴とは違っていたからな。だからなるだろうとは思っていたよ。ただ「母神様の息子」だとかいう戯言はどうかと思ったが」


 そう、俺は子供の頃から自分を「母神様の息子」だと言っていた。


 考えようによっては、それは当たり前のことだった。


 この世界は母神様が作った世界。であれば、この世界に生きるすべては母神様の子供だった。


 だから俺が「母神様の息子」と言っても敬虔な信者だと思われた。


「今どき珍しい。子供でここまで敬虔な信者がいるとは」


 孤児院に時折様子を見に来てくれていた司祭様は、俺を敬虔な信者だと言っていつも誉めてくれた。


 もっともアスラたちには俺が信者としてではなく、本気でそう言っていることに気づかれていた。


 まぁ、当時からすでに頭のネジがどこかおかしいと思われていたのだから、いまさらのことだったのだろう。


 ただ当時の俺でも「母神様」を誰かの前で「母さん」と呼ばないようにはしていた。そうした方がいいというだけの知恵はあった。


 だからみんなの前では「母神様」と言っていた。「母さん」と呼ぶのは夢の中か、部屋でひとりでいるときに母さん自身が会いに来てくれるときだけだった。


「こんばんは、(あるく)


「こんばんは、母さん」


 母さんが会いに来てくれるときはいつも時間は止まっていた。


 それが母さんの力である「刻」属性によるものであることを母さんからは教えてもらっていた。


 母さんに会ってもらえれば、みんなを納得させられるのだけど、母さんが言うにはそれだけはできないということだった。


「本当はあなたにも会ってはいけないのよ、歩。ただ香恋とは違って、こちらにいるのは私だけだから。だからこうして会っているの。……私個人の事情であなたたちを振り回しているのに、ひどい言い種だけど」


「そんなことないよ、母さん。俺母さんが会いに来てくれるだけで、すごく嬉しいよ!」


「……そう、ありがとう。あなたもとても優しい子に育ってくれているのね」


「……香恋姉ちゃんも優しいの?」


「……そう、みたい。母さんもあの子にはあの日以来会ったことがないからわからないけど」


 母さんとの話は大抵香恋姉ちゃんのことばかりだった。


 香恋姉ちゃんは、母さんとよく似ているけど、母さんに輪を掛けたお転婆な人らしいという話は前々から聞いていた。


 母さん自身がすでにお転婆なのに、それに輪を掛けたというのだがら、相当なお転婆というか、中身は女の子じゃなく、男の子なんじゃないかとさえ俺には思えていた。


 でも中身はどうであれ、香恋姉ちゃんもとても優しい人だとは聞いていた。


「母さん。母さんは姉ちゃんに会いたくないの?」


 ある日、母さんに香恋姉ちゃんに会いたいかどうかを聞いたことがあった。どうしてそんなことを聞いたのかはわからない。ただ聞きたくなったんだ。そうして尋ねると母さんははっきりと言った。


「……会いたいよ。会って抱き締めてあげたい。赤ん坊のあなたを捨ててしまってごめんねって、言ってあげたい」


 母さんはとても悲しそうな顔をして香恋姉ちゃんに謝っていた。母さんがどれほどに香恋姉ちゃんを愛しているのかがよくわかった。でもそれは俺にとっては少しだけ面白くないことだった。


「むぅ、俺には?」


「だって、歩はしようとしたら嫌がるじゃないの」


 会ったこともない姉ちゃんにヤキモチを妬いてしまった。


 俺には母さんしかそばにいない。でも姉ちゃんはその母さんと会ったことがないんだ。


 わかっていることだったけれど、母さんしかいなくても、母さんがそばにいてくれることはとても恵まれたことだった。


 それでも俺は姉ちゃんに対してのヤキモチを妬いていた。


「……俺はもうそんなことをされて喜ぶ歳じゃないし」


「それは香恋だって同じよ。あの子もあなたと同い年なんだから」


 ふふふ、と母さんは笑っていた。笑いながらも母さんは涙を浮かべていた。


 涙を浮かべる母さんに俺はなにも言えなかった。なにも言えないまま、母さんが帰るまでじっと母さんを見つめていたんだ。

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