Act9-241 十五歳の最後の日
「……んぅ」
悩まし気な声が聞こえてくる。
眠っていたプーレが身じろぎをしていた。そろそろ起きるのだろう。目は見えていないけれど、その目が少しずつつ開かれていく。
プーレの目は相変わらず白目の部分が真っ黒になっていた。
中心部分だけが青い、本来のプーレの目のままだった。
でもそれがかえって悲惨さを強調しているかのように思えてならなかった。
でもそれを顔に出さないように、いや、表に出さないように注意しながら目を醒ましたプーレの頬をそっと撫でた。
「おはよう、プーレ」
「……おはようございます、旦那様」
プーレは目元を擦りながら笑っていた。
すっかりと無理をさせてしまったのだけど、一度眠ったことである程度の体力は回復したみたいだ。でも回復するのはある程度までなんだろう。
いまのプーレの容態は本人にしかわからない。この街の医者を、いや、この国で一番の医者を呼んだところでいまのプーレの容態を正確につかめるとは思えない。
むしろ医療知識もあるプーレこそが自身の容態を完全に掴んでいるはずだ。
だからこそどの程度まで無茶が利くかどうかをわかっている。
……そういうのが一番厄介ではあるんだけど、当のプーレに言ったところで苦笑いされるだけなのは目に見えていた。だから言うつもりはない。
というかそんなことを言っている暇があれば、プーレが必要以上に無茶をしないかどうか見張っていることの方が重要だろう。
「体調はどうだい?」
「ん。まずまず、というところです。相変らず、旦那様のお顔を見ることはできないですけど」
あはははと困ったようにプーレは笑っていた。
俺を心配させないようにわざとそうしているというのはわかっていた。
俺としてはいくらでも心配を掛けてくれて構わないのだけど、当のプーレは決して頷かないだろうね。
(本当に困ったお嫁様だよな。俺のことなんかよりも自分の体調の方を考えろっての)
正直悪態のひとつでも吐いてあげたいところだけど、言ったところでプーレがいまさら自分の言動を顧みることなんてないだろう。
逆にプーレ自身が傷つきかねないし、もしかしたらかえって無茶をし始めるかもしれないから、かえって笑えない結果になりそうだ。
結局のところ、俺がプーレに対してしてあげられることはほとんど残っていないんだ。できることがあるとすれば、一緒にいてあげることくらいだった。
(本気で情けないよな、俺って)
惚れた女を助けてあげることもできない。大切な妹を救ってあげることもできない。
この手でできることなんてほとんどなにもないんだろう。そんな現実がただただ胸に痛かった。
でもそのことをあえておくびにも出さず、俺は笑っていた。笑っているつもりだった。でも──。
「……なにかあったのですか、旦那様?」
──でもプーレには通じないようだった。
俺の言動にわずかな違和感を憶えたんだろう。
目が見えていないことでより感覚が鋭敏化しているのかもしれない。
もしくは単に俺がわかりやすすぎるだけなのかもしれない。
どちらなのかはわからない。わからないけれど、このことをプーレには言わない方がいいと思う。
いや、それ以前に誰かに伝えられるほど、まだ俺の中で整理しきれていないんだ。
だから恋香のことは誰にも言う気はない。
ただ概要くらいは伝えた方がいいかもしれない。だいぶ噛み砕いた概要になってしまうけれども。
「恋香が、ね。いろいろと大変な状況になっているみたいでさ」
「レンゲさんが、ですか?」
「うん。いろいろと大変なことになってしまっているみたいでさ。なにかしてあげたいのだけど、どうすればいいのかがさっぱりでね」
実際は大変どころの騒ぎではないのだけど、これ以上はどう言えばいいのかがわからなかった。
言えたのはだいぶぼかした言葉だった。それでもプーレは恋香の身を案じてくれているようだった。
……わりと恋香のセクハラ発言の被害者になることが多かったと言うのにも関わらず、あんな変態妹を心配してくれるのだから、本当にプーレは優しい子だった。
そんな優しい子にこれ以上の心労を掛けるわけにはいかなかった。
「……まぁ、恋香のことはどうにかするよ。それよりもプーレは明日のことを考えておいて」
「明日?」
「あぁ。もう日付が変わったからね」
部屋に備え付けられていた時計を見やると、すでに日付は変わっていて、今日はもう──。
「今日は俺が十五歳でいられる最後の日だもの」
あははは、と笑い掛けるとプーレは「そうですね」と笑ってくれた。
その笑顔はなんだかいつもとは違っていた。なにか無理しているように見えたけれど、すぐにいつも通りの笑顔になった。
(見間違い、かな?)
笑顔がいつものものに戻ったことからして俺が見たのはなにかの間違いだったのかもしれない。
「とにかく、明日はよろしくね。いろいろと楽しみにしているよ」
「はい。お任せくださいなのです」
話をそらすためだけの言葉だったけれど、それでもプーレは笑ってくれた。
その笑顔に胸をときめかせつつも、俺はこうして十六歳の誕生を迎える前日、十五歳でいられる最後の日を迎えたんだ。




