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Act9-233 悲しみのただいま

 本日四話目です。

「ここだよ」


 カルディアが足を止めた部屋はそれまで前を通った部屋とさほど変わらない部屋だった。


 ただひとつ違うのは、その部屋からはただならぬ雰囲気があった。


 ほかの部屋と同じはずなのに、誰も近づいて来ないことがそのなによりもの証拠だった。


 胸騒ぎが強くなっていく。それでも俺はその部屋のドアノブを握った。


「ひとつだけ言っておくね」


 ドアノブを握るのと同時にカルディアが言った。


「中にいるのは、プーレだよ」


 カルディアがなぜか念を押した。


 どういう意味だろうと思ったけれど、カルディアはなにも言わなかった。


 胸騒ぎがまた強くなった。


 その胸騒ぎをどうすることもできないまま、部屋の中に足を踏み入れると──。


「誰、ですか?」


 ──足を踏み入れるとそこには真っ白な髪をした女の子がいた。


 その子は窓の近くに置かれたベッドに腰かけていた。でも窓の近くにいても窓の外を見ようとはしていない。


 かと言って俺の方を見ているわけでもない。


 彼女が見ているのは、なにもない虚空だけ。


 いや、そもそもなにかを見ようとさえしていないのかもしれない。


 部屋の中を見回す。その子以外には誰もいなかった。そう、ほかには誰もいなかったんだ。


(うそ、だろう?)


 その子に向かって一歩踏み出す。踏み出した足は震えていた。自分でもわかるくらいに足を、いや、体を震わせながら彼女に近づいていく。


「……どなたですか?」


 彼女は俺のことがわかっていないようだった。


 そのことに愕然としながらも彼女に近づいていく。


 声を掛けるどころか、声を出すことさえもできなかった。


「どなたか、いらっしゃいますよね?」


 不思議そうに首を傾げながら、彼女は言う。首を傾げたことで、現状をよく理解できた。理解できても納得はできなかった。できるわけがなかった。


「どなたなんですか? もうわからないので、お答えしてほしいのですが」


 彼女は苦笑いしていた。


 変わり果てたという言葉がここまで似合う状況も早々ないだろうなと思いながら、足を踏み出していく。


(あぁ、やっぱり君なのか)


 足を踏み出しながらようやく気づけた。


 いや、わかったんだ。彼女がそうなんだということに。


 だってその笑顔は彼女のものだった。彼女の面影がその笑顔にはあった。


 いや、笑顔が彼女と完全に重なってしまった。


「あの、お答えしてもらえますか? あまりいまの姿を見てもらいたくないのです」


 あははは、と困ったように彼女は笑う。


 その笑い声も彼女のものだ。


 なにからなにまで彼女だった。


 俺が会いに来た彼女だった。


 でもその姿はあまりにも変わっていた。


 記憶にある彼女とは似ても似つかない。


 肌は白いを通り越して青白く、手足はとても細い。筋肉が削げ落ちてしまっているのだろう。


 瞳は白目の部分が黒く染まっていた。だけど、あのきれいな青い瞳は変わらない。


 ただ声だけは変わらない。彼女の、プーレのものだった。プーレのかわいらしい声だった。


 ほかのすべてが変わっても声だけが変わらない。


 それがかえって辛かった。


 愕然としてしまった。


 どさりと床に膝を着いた。


 頭の中は真っ白になり、なにを言えばいいのか、なにをすればいいのかわからなくなってしまった。


「プー、レ」


 震えながら呼び掛けると、プーレは首を傾げていた。


「すみません。よく聞こえないのです。もう少し大きな声でお願いしたいのです」


 いまの声がプーレには聞こえていなかった。声は震えていた。それでもいつも通りの声量だったはずだ。


 だけどその声量でさえも、いまのプーレの耳には届いていないようだった。


 そんな現実に目の前が真っ白になった。


 真っ白になりながらも、俺は地面を這いながらプーレの元へと、プーレが腰を下ろしているベッドにまで這いより、ベッドの柵を頼りに起き上がると──。


「……ただいま」


 ──沸き起こる感情と浮かび上がる言葉を呑み込んで笑い掛ける。けれどプーレは首を傾げるだけだった。


「俺だよ、プーレ」


 そう言ってプーレの頬を撫でると、プーレは息を呑みながら、「だんなさま?」と言った。


 俺が誰なのかをわかってくれた。そんなプーレにもう一度俺は「ただいま」と言った。


 いつのまにか歪んでいた視界で目の前にいるプーレに向かって俺は「ただいま」と言ったんだ。

 続きは十六時になります。

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