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Act0‐12 侮蔑

罵倒や侮蔑的な言葉が作中に多いので、閲覧注意です。

 一週間前、俺は絶望の淵にいた。


「星金貨一千枚、か」


 元の世界に帰るためには、「天の階」と呼ばれる塔を登らなければならない。だが、その使用料は星金貨一千枚。おそらく日本円にしたら、一兆円くらい。どう考えても国家で運用する単位だった。


 まぁ、探せば個人資産が兆の人はいるだろう。だが、ゴロゴロといるわけがない。基本的に兆とかは、個人資産ではなく、国家で運用する単位だ。それを元の世界に帰るために、たった一回の使用料でそんな莫大な金額が必要だと言われたら、誰だって絶望すると思う。


 帰る方法があると言われたときはよかった。どんなに大変なことであっても、乗り越えてみせる、とさえ思った。けれど、これはさすがにない。さすがにこれはありえないだろう。まだ一千万とか、せいぜい一億程度であれば、棚ぼたラッキーが起きれば、一発逆転の可能性はある。


 しかし兆は無理だ。棚ぼたラッキーを何度繰り返せばいいのか。想像もできなかった。


「……そうなるのは、わかっていましたので、あえて言いたくはなかったのです」 


 エンヴィーさんは、申し訳なさそうに言う。真実を知れば、エンヴィーさんが言い淀んでいた理由もわかった。たしかに、これは帰ることができる、と希望を持たせたあとに言うことではない。というか、言いづらいことだろう。


 いきなり見知らぬ異世界に飛ばされ、帰る方法はあるが、莫大な金が必要だなんて、希望と絶望の両方を突き付けなければならないのだから。よほど性格が悪くない限りは、はっきりと言うことはできないだろう。少なくとも、俺だったらずっと言い淀んでいたと思う。希望を与えたのちに、絶望をプレゼントなんて、俺にはできない。たとえ、いつかは言わなければならないことであっても、それでも俺にはできなかっただろう。


「無理もないですよ。これは、言いづらいことでしょうからね」


「……怒ってはいないのですか?」


「怒れば、どうにかなるんですか?」


「……意味はない、でしょうね」


「なら、怒りません。それにお門違いだ」


 そう、こうなるのはわかっていたのに、エンヴィーさんは最終的には伝えてくれた。伝えずにいる、という選択肢もあったのに、この人はあえて伝えてくれた。それがどんなに精神的に辛いことなのかは、考えるまでもない。そのうえ悪役にされかねないことを、あえてやりとおした。そんなこの人を責められるわけがなかった。


「それにしても、どうしたものかな。このまま永住するのが一番楽なのかな」


 星金貨一千枚。どうあっても稼ぎようがなかった。冒険者になっても稼ぎようがない。最高ランクの冒険者が一年無理をして、星金貨数枚が関の山なのだから。仮にその無茶を星金貨一千枚稼ぐまでやるとしたら、数百年も時間がかかることになる。エルフやドワーフでもないのだから、そんな長い時間を生きられるわけもない。


 つまり実現不可能ってことだった。


「もう、会えないのかぁ」


 友達にも、常連さんにも、そして家族にも、もう二度と会えない。そんな現実を前に、俺の心は折れかかっていた。


「なんだ、その程度で諦めるのか? カレン殿」


 あざ笑うような声が聞こえて来た。ラースさんが俺を見下しながら笑っていた。


「エルヴァニアの狸も、とんでもない外れを引いたようであるな。まさか、この程度で絶望の淵に落ちるだなんてな。まぁ、無理もない。星金貨一千枚とは、我が国の公共事業費の一年分はあるからな。個人で稼ぐなど、できるわけもない。そう思ってしまうのも無理はない。だが、少なくとも、この千年間の転移者ないしは召喚者たちは、みな諦めが悪かったぞ?」


「俺のほかにもいたんですか?」


「ああ、いたよ。それこそ何十、何百人もな。だが、みな星金貨一千枚を稼ぐという夢半ばで倒れてしまったがね。しかし。半ばで倒れても、誰ひとりとて、そなたのように最初から諦めようとしたものはいなかったな。誰もが無謀とわかっていた。どう考えてもできるわけがないとわかっていた。それでも最後の最後まで諦めないまま、散っていた。そう、誰もが、不可能という名の現実に挑み続けていた。それがそなたはどうだ? ただ現実を突きつけられただけで、実に見苦しいさまを見せてくれる」


 にやり、とラースさんは笑う。挑発されているというのはわかっていた。俺を発起させるために、あえてそう言っているのだろうというのはわかっていた。しかし、なにもやる気が起きない。だって仕方がないじゃないか。途方もない金額をいきなり稼げなんて言われても、どうすればいいのかもわからない。お約束の冒険者になったところで、無理だと言われてしまったんだ。ならどうすればいい。お約束でも無理なんだ。無理なものをどうやって稼げばいい。


「……まぁ、やる気も起きぬような者にはなにもできぬか。そのままひとりなにもなせぬまま、のたれ死ねばよい。そなたにはそれがお似合いよな」


「おい、ラース。さすがにちょっと言いすぎじゃ」


「黙っていろ、グラト。娘と同年代とはいえ、これは貴様の娘ではない。これは所詮、虫けらよ。ただ同じ場所を這うことしかできぬ、なんの価値もない虫だ。人という、多様な可能性のある種として産まれたくせに、虫に成り下がった愚か者だ。いったいどうやったら、こんな風に産まれ育つのか。ああ、そうか。両親も同じ虫けらだからそうなったのか」


 ラースさんが高笑いしながら言った。その言葉に、自然と拳を握りしめていた。


「虫けら? 親父と母さんが、虫けら?」


 いつの間にか俯いていた顔をあげ、ラースさんを睨み付ける。が、ラースさんはなんでもないように俺を見つめている。その目にあるのは、明らかな侮辱の色だけだった。


「ああ、そうだ。貴様の両親は貴様と同様に虫けらよ。でなければ、貴様だけが虫けらになるとは思えぬな。さきほども言うたが、人間という種は可能性に満ちた者たちだ。その可能性をすべて否定し、ただ蹲るだけ。それのどこが虫けらではないと言う? そしてみずからの娘が虫けらになるのを放置していた。それは自分たちが虫けらであるからこそ、防げなかったのであろうよ。違うか?」


「違う。親父も、母さんも虫けらじゃない」


「ほう? どう違うと言うのだ? ……ああ、そうか。であれば、謝罪しようじゃないか」


「え?」


 いきなり変なことを言われてしまった。散々俺を挑発していたのに、いきなり謝罪するとか。あまりにも唐突な変化に、つい動揺してしまった。が、ラースさんの目は相変わらず俺を見下したままのものだった。


「貴様よりも上等な虫けらということだろう? まみえることがあれば、貴様らの娘は、貴様らの方が上等な虫けらであった、と褒めていたと言っておこうじゃないか」


 ラースさんの言葉で、目の前が白くなった。次の瞬間、右手に強かな手ごたえを感じた。オーバーハンドでラースさんの顔に右の拳を振るっていた。が、びくともしなかった。頬に深く入っているのに、ラースさんの顔の向きを変えるのが精いっぱいだった。それどころか殴った右の拳が痛んでいた。


「貴様、殺されたいのか?」


 ラースさんの目がすっと細められた。周囲の温度が下がったのがはっきりとわかる。自然と体が震えた。歯がうまくかみ合わなくなっていく。それでも俺はラースさんを睨み付けた。絶対に負けない。こんなことで負けてたまるか、と。かみ合わない歯を無理やり噛み込んだ。

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