Act9-214 深海にて
ホエールはどんどんと潜航していく。
少し前まではアルトリアが放っていただろう矢が飛んできていた。
もっとも俺たちに届く前に失速し、海面へと浮かび上がってしまっていたけれど。
それでも狙撃されているということはあまり気持ちのいいことじゃなかった。
その狙撃も少し前から終ったみたいだ。
おそらくは諦めたのかもしれない。
なんともアルトリアらしくないことではあるけれど、諦めてくれたことは素直にありがたかった。
「ようやく諦めたか、あいつ」
諦めるまで延々と矢を放たれ続けていたときは、正直生きた気はしなかったよ。だから狙撃がやんだのは助かったよ。
でも助かったのはそこまでだ。というか、現状はよくわからなかった。
「あ、えっと」
「……自分でしょうか?」
「はい。えっと、ホエール、で合っていますよね?」
アルトリアの魔手から逃れることはできた。
それは別にいいんだ。問題なのはそれを為すことができた理由であるホエール。
そう、ホエールがなぜ俺たちの助力をしようとしてくれたのかってことだ。
ホエールは「水」のリヴァイアサン様の眷属にあたる魔物であり、海の平和を守る魔物でもある。人と共存してくれる数少ない魔物のひとつだった。
でもそのホエールがなぜ俺とアイリスに助力してくれているんだろうか。
俺が神子であるとはいえ、現状俺とリヴァイアサン様の関係はあまりよろしくないはずなのだけど。
なにせリヴァイアサン様の巫女になるはずだったプーレを無理やり奪い取ったんだ。
リヴァイアサン様にとってみれば、喧嘩を売られたようなものだろうし、俺を敵視してもおかしくはない。
まぁ、ジズ様が俺を「妹ちゃん」と呼んでいることを踏まえたら、妹のわがままくらい聞いてあげても構わないかと思ってくれているというのであれば、話は別なのだけど。
「はい。自分はホエールのうちの一頭であります」
ホエールは妙に畏まった言い方をしてくれていた。
畏まったというか、まるで軍人さんと話をしている気分だよ。
……まぁ、その軍人さんと話したことはほとんどないのだけど。一応「獅子の王国」で話した将軍のリーオンさんくらいかな?
でもリーオンさんは軍人さんというよりも、好々爺という雰囲気の人だっただから、軍人さんという感じはあまりしなかった。
だけどいま俺たちを乗せてくれているホエールは、まさに軍人という雰囲気をかもちだしていた。
……もしかしてホエールたちって優しさではなく、命令を受けたからこそ船の護りをしてくれているのかな? 話をしたかぎりは、実にありえそうなことだった。
「えっと、ホエールさん」
「呼び捨てで構いませぬ。どうぞ気楽に「ホエール」とお呼びくださいませ、神子様」
「いや、でも」
「自分のような下級の存在に畏まる必要はございませぬ。ゆえに気楽にどうぞ」
腰が低いようで押しが強いホエール。これがこのホエールの個性なのか、それともホエール全体の特性なのか。いまいち判断がつかなかった。
「えっと、それじゃお言葉に甘えるね。早速だけど、どうして俺たちの手助けなんて? 君はリヴァイアサン様の眷属なんでしょう? 俺とリヴァイアサン様の関係ってわりと悪いような気がするんだけど」
恐る恐ると尋ねるとホエールは淡々と答えてくれた。
「閣下は特に気にされておりませぬ。「困った妹だ」と少々呆れておいででしたが、苛立たれた様子はありませんでした」
「そう、なんだ?」
「はい。ゆえに神子様への助太刀をしても問題はないと自分は考えました。おそらくは閣下もお怒りにはなられますまい」
「そっか」
なんとも反応しづらいことだった。俺自身リヴァイアサン様を嫌っているわけではないけれど、リヴァイアサン様からは嫌われているだろうなと覚悟をしていた。
でも当のリヴァイアサン様は大して気にはしていないようだった。リヴァイアサン様と対面することがあったらと考えていたこともあったけれど、身構える必要はないのかもしれない。
「ところで神子様」
「ん?」
「自分はいつまで潜ればよろしいでしょうか?」
「あれ? もしかしてノープランだった?」
「はい。とりあえず狙撃が届かない場所にまで潜ればいいかと思いましたので」
「そっか。ちなみにいまってどのあたりなのかな?」
「現在は「双竜群島」と「魔大陸」の間、やや「魔大陸」寄りの位置となります。ここからであれば、夕方までには「魔大陸」に向かえますが」
「じゃあ、「魔大陸」でお願いするよ」
「承知いたしました。「エンヴィー」近くでよろしいでしょうか?」
「そうだね。お願いするよ」
「畏まりました」
ホエールは頷くと、進路を変えて「魔大陸」へと向かい始めた。
もっとも俺にとってはもはや進行方向がどうなっているのかはさっぱりだ。
真っ暗な海の中だと、光も届かないほどに深くだと無理もないことだった。
「それでは、しばらくの間ごゆるりと」
ホエールの言葉に頷き、数時間ほどの船旅を満喫しようかと思っていた。
「……はぁ」
でもアイリスが不意にため息を吐いたことで満喫することはできなくなった。というのも──。
「これで私も終わりなのかな」
アイリスが半ばやけになったような顔で、悲しみに染まった顔で呟いたんだ。
アルトリアから逃げられたのだから、もう主従関係なんて放棄してもいいとは思うけれど、たぶんそういう融通は利かなそうな子だから、これかれも俺を主として立ててくれるとは思う。
となれば、主様としてやれることをやっておくべきだ。そう思った俺はアイリスにと声を掛けることにしたんだ。




