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Act9-208 二度目のキス

 アルトリアが笑っていた。


 笑いながらアルトリアはアイリスの前に立っていた。


 レアを刺し穿った黒い剣を手にして笑っていた。


「ね、姉様」


 アイリスが怯えた声でアルトリアを呼ぶ。


 けれどアルトリアは答えることなく、黒い剣を振り上げた。


 俺はとっさにアイリスとの間に入り込んだ。


「やめろ、アルトリア!」


 俺が間に入るとアルトリアは剣を止めた。剣を止めながらも不思議そうに首を傾げた。


「なぜ邪魔をされるのですか? 私はただそこにいる愚妹という名の泥棒猫を処分しようとしているだけなのに?」


 わけがわからないと、アルトリアの顔には書いていた。その顔には困惑の色しか見えない。


 自分がなにをしようとしているのかをわかっていないのか。


 いや、わかったうえでアイリスを殺そうとしているようだった。


 それも人を殺そうとしているという感覚さえもない。


 アイリスを「処分」するとアルトリアは言った。殺すと言っていない。「処分」と言った。


 つまりいまのアルトリアにとっては、アイリスは同じ人という括りにはなっていない。


 愛玩動物か家畜のような存在としか見ていないんだろう。


 その一言にアイリスが体をわずかに震わせるのが視界の端に写った。


 声もなくアイリスは体を震わせていく。そんなアイリスの姿に胸が痛くなった。


「おまえは自分がなにを言っているのか、わかっているのか、アルトリア!」


「わかっていますよ? だって、「それ」は私の所有物ですから。「それ」自体が所有物だと。私の所有物にしてくださいと言ったのですよ? だから私は「それ」の所有者です。所有者が所有物をどうしようと勝手ではないですか?」


 不思議そうに首を傾げるアルトリア。相変わらず俺の言いたいことを理解できていないようだった。


 本気で言っていることがわかる。アルトリアはいま本気で言っているんだ。


 アイリスを自分と同等とは見ていないということが。アイリスをただの物として扱っていることがはっきりとわかってしまう。


「……ねえさま」


 アイリスの声が少し変わった。


 涙声になっていた。


 きっと振り返ったらアイリスは泣いているかもしれない。


(泣くのも無理もない、か)


 なにせ自分の尊厳さえかなぐり捨てて、俺に仕えたんだ。姉様であるアルトリアのためにだ。


 そのアルトリアから文字通り捨てられたんだ。


 ショックを受けないわけがなかった。


「どうしたの、泥棒猫(アイリス)?  あぁ、それとも淫売と読んだ方がいいかしらね? ふふふ、あなたのような雌猫に姉様と呼ばれると虫酸が走るからやめてちょうだい? 穢らわしいのよ」


 アルトリアは笑っていた。笑いながら、はっきりと言い切った。  


 その言葉にアイリスはなにも言わなかった。


 恐る恐ると振り返るとアイリスは泣いていた。瞳から光を消して泣いていた。大粒の涙をこぼして泣いていた。


「あぁ、いい。いいよ、泥棒猫。その傷ついた顏がとても愛らしいの。その信じていた相手に裏切られたと、見捨てられたと思った顏。あぁ、やっぱりその顔がとてもかわいい。それがずっと見たかったよ。あなたが壊れるところを私はずっと、ずっと見たかったの。ふふふ」


 言葉もなく泣き続けるアイリスにとアルトリアが掛けた言葉は、優しさなど欠片もないものだった。


 むしろ泣き続けるアイリスを見て、アルトリアは頬を上気させて笑っていた。


 アイリスが泣く姿を見て興奮しているようだった。


「でももっと泣く姿を見たいなぁ。どうしたら泣いてくれる? 呪殺剣で少しずつ、少しずつ手足を貫いて、切り裂いたら泣いてくれる? もっとかわいい顔を見せてくれるよね? ねぇ、そうでしょう、泥棒猫」


 アルトリアはそう言って笑った。振りかぶっていた剣にゆっくりと力を込めていく。俺が間にいるにも関わらず、剣を振り下すつもりのようだった。


 とっさにアイリスを抱きかかえて距離を取った。その瞬間、忌々しそうな舌打ちが聞こえてきた。それが誰に対してのものなのかは考えるまでもなかった。


「……あぁ、やっぱりあなたは泥棒猫だったのね。私から「旦那様」を寝取るなんて。本当にひどい愚妹だこと。そんな愚妹はやっぱり死なないとダメよね?」


 アルトリアはやはり笑っていた。でもその目にはもう光はない。


 とても冷たい目をしながら、俺の腕の中にいるアイリスを見つめていた。


 けれどアルトリアになにを言われても、アイリスは答えなかった。


 ただ涙を流すだけだった。


「姉様」と呟きながらただ涙を流すアイリス。そんなアイリスを見て、俺はいてもたってもいられなくなってしまった。


「……アイリス」


 腕の中にいるアイリスを呼びかける。でもアイリスはなにも言わない。


 いや言ってはいるんだ。「姉様」と言ってはいる。


 でもそれ以上の言葉をアイリスは言わなかった。


 光を失った目で淡々とアルトリアを呼び続けている。


 けれどアルトリアはアイリスをもう妹として見ているかどうかもわからない。


 アルトリアの目にも光はないけれど、アイリスとは違ってその目はとても冷たく、恐ろしかった。


 姉妹としての情ではなく、アイリスへと憎悪を向けた目をしていた。


「……「旦那様」にお声を掛けてもらっているのに、なにも言わないなんて。何様のつもり、泥棒猫? そんなに死にたいのかな?」


 ふふふとアルトリアが笑った。開けた距離を少しずつ詰めてくる。アルトリアが持つ剣が地面を擦る音が恐怖を煽ってくれる。


 でもその恐怖の中で俺は気づいた。アルトリアの後ろに通常の空間が広がっていることに。ここの出口が広がっているのを見つけた。


(……いまなら通り抜けられるな)


 アルトリアは正常ではなくなっていた。憎悪に突き動かされたいまのアルトリアであれば、視界が狭まったアルトリアであれば、どうにかなるかもしれない。


 ただし必須の条件として、アイリスを連れて行くことになる。じゃないとアイリスはこの場でアルトリアに殺される。


 俺だけが逃げ出してもアイリスが無事じゃなければ意味はない。


 アイリスと一緒に逃げられなければなんの意味もなかった。


 でも逃げ出すためには相当のことをしなければならない。


 それこそアルトリアが取り乱すことをしないといけない。


 そのうえでアルトリアの動きを一時的に縫い止める必要があった。


 それには俺だけじゃ不十分だった。


 アイリスにも手伝ってもらわなければならなかった。


 でもいまのアイリスには言葉は届かないだろう。


 ならば、言葉が届くようにすればいいだけのことだった。


『……ごめんな、アイリス』


 行動に移す前に念話でアイリスに謝った。


 アイリスは光のない目で「え?」と呟いた。


 おあつらえ向きにちょうど俺の方に顔が向いた。


 もう一度ごめんと謝ってから、俺はアイリスに顔を近づけ、そして──。


「ん、んんっ!」


 ──アルトリアが見ている前でアイリスの唇を奪った。


 それも舌を絡めながらの、深い方のキスをした。


 いきなりのことでアルトリアが呆然と動きを止めるのが視界の端に見えた。


 アルトリアを視界の端に捉えながら、アイリスとのキスをし続けた。

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