Act9-207 ひとときの終わり
「これで少しはましになったはずだ」
主様が手を下された。
そのお言葉の通り、私の体にあった傷は、表面上の傷はほとんどが塞がっていた。
もっとも内面の傷まではまだ治っていない。
主様が使われた「治癒」で治せるのはこの程度だった。
それでも満身創痍だったこの体を治してくださったことは素直に嬉しかったし、感謝することもできた。
少し前まであれば、感謝なんてしようとも思わなかっただろうけれど、ほんの少し時間で私の中での主様の評価は変わってしまった。
(いままでなら女タラシとか、そんなことを考えていたのになぁ)
少し前までの私は主様を誤解していた部分が多かった。
まぁ、誤解というよりもわりと的を射ている部分もなきにしもあらずではあったのだけど。
なにせ傍から見れば主様のされていることはそういう風に見えてしまう。
常に女を侍らして、常にいやらしいことを考えている。
そういう風に私は思っていた。けれどそれは誤解だった。
主様はとてもお優しい人だった。それこそ昔の姉様や母様たちのようにとても穏やかな人だった。
そんな主様だからこそ姉様は、主様に恋をされたのだろう。
でも相手が悪すぎた。
というよりも初恋の姉様には荷が重すぎる相手だった。
でも当の姉様はそのことには気づいておられないはずだ。
そういうところは実に姉様らしいと思うのだけど、やはり相手が悪すぎている。
(そもそも、もう姉様の恋は叶わないし)
カルディアを殺したのが姉様だと主様に伝えた。
それさえなければまだ叶った可能性はあった。
けれどいつかは気づかれてしまう。
そのとき主様の心に宿るのは憎悪だけ。
愛憎とさえも言えない、ただの憎悪だけが宿ることになる。
でも今回お教えたしたことで主様は憎悪しないと約束してくれた。
でも憎悪を抱かれなくても姉様を愛されるわけじゃない。
姉様はやりすぎてしまった。
カルディアを殺したことから始まり、プーレとかいう女を殺そうとしたこと、蛇王を手に掛けたこと。
その三つだけでもすでに主様からのご寵愛がなくなって当然のことだった。
でも姉様はまだとびっきりの爆弾を抱えていた。
その爆弾の内容を伝えたとき、私との約束はきっと反故にされることになる。
姉様が抱える爆弾は、まさしく爆弾そのものだった。主様の怒りをこれ以上となく買うことに繋がる。
(でもそのことを姉様はわかっていないんでしょうね)
いっそ憐れではあった。自業自得なところもあるけれど、いまの姉様はただただ憐れだった。
ありもしない希望に縋る、主様から再び愛されることを願うその姿は憐れとしか言いようがない。
……とどめを刺した私が思うのもおこがましいことなのかもしれないけれど。
「……主様」
「うん?」
「……おひとつだけお聞かせください」
「なんだよ」
「……姉様を愛されることはございますか?」
試しにと聞いてみたけれど、主様の反応は想定通りのもの、わずかにだけど顏を顰められてしまわれた。
もっとも最悪よりかはましではあるけれど、主様の中で姉様への想いがどういうものなのかがよくわかってしまった。
胸が大いに痛む。痛むけれど、どうすることもできなかった。
「……それを聞いてどうする?」
「……最終確認がしたいだけです」
「最終確認?」
「……主様の心にもう姉様が入り込む余地はないことを。あの人の恋が叶わなくなったことの確認を」
そう確認をしたかっただけだった。姉様がどんなに希っても叶わないことをただ確認したかった。
でも決して姉様にとって代わろうとしているわけじゃなかった。
ただ姉様を説得するための確認がしたかった。
ただそれだけだった。
でも──。
「……やっぱりあなたも泥棒猫になるのね、アイリス」
──でも、私の気持ちはやはり姉様には伝わらないみたいだった。
不意に聞こえてきた声に慌てて顏を向けると、そこには薄ら笑いを浮かべた姉様が立っていた。
禍々しく黒光りする呪殺剣を握った姉様が立っていた。




