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Act1-23 片鱗と紅茶とプロポーズ

本日八話目です。

 七日という時間は、思ったよりも短かった。


 学校込みの一週間はひどく長く感じられるのに、仕事での一週間はあっという間だった。


 もっともそんなことは、「エンヴィー」での一か月でわかりきっていたことだった。


 しかし冒険者として過ごす時間と、経営者として過ごす時間は、まるで違っていた。


 学校で過ごす時間よりも早く過ぎてしまうことは同じだけど、肉体労働がメインと、頭脳労働がメインとでは、いろいろと異なっていた。主に体の疲れ方の違いが、顕著だった。


 冒険者の場合は、全身が等しく疲れるのに対し、経営者の場合は、肩が異様なほどに凝っていた。


 駆け回る冒険者とはまるで違う疲れ方だった。


 親父が書類仕事をしていて、肩を回しているのを何度か見かけていたけれど、あれはこういうことだったんだろう。


 こればかりはいくら鍛えていようとも、どうしようもないことのようだ。


 どうりで、親父が書類仕事だけで、疲れたと言っているわけだった。


 久美さんも親父同様に疲れたとよく言っていたけれど、久美さんはか弱い人だから、仕方がないと思っていたけれど、これはか弱いとか、そういうことは関係なかった。


 多少の慣れはあるだろうけれど、慣れたところで疲れるものは疲れる。それは体を動かすことだって同じだ。


 その点、俺は頭脳労働にあまり慣れていなかったので、冒険者として活動するよりも疲れてしまった。が、アルトリアは意外なことに平然とこなしていた。


 もっともアルトリアは過去の経歴がほとんどわかっていないので、頭脳労働を平然とこなしていても、特におかしいとは思わない。


 むしろ見た目で言えば、アルトリアは頭脳メインに思えた。


 俺は格好からして、肉体労働メイン。


 なのに経営者だから、頭脳労働もさせられてしまっていた。


 よく創作物で貴族や王族が仕事をサボるシーンを見かけるけれど、その気持ちがよくわかった。


 見ているときは、自分の仕事なんだから、サボらずにまじめにやればいいのにとは思っていたけれど、いざ自分がその立場になってみると、その大変さが身に染みて理解できた。


 仕事っていうのは、キリがないんだというのがわかることができた。


 終わらせても、終わらせても、仕事は次々にやってくる。


 それも呼んでもいないというのにもかかわらずだ。


 だけど、そんなことを言ったら、アルトリアに怒られてしまうので、しぶしぶやるしかなかった。


 そう、思えば、アルトリアの豹変が始まったのは、ちょうどこのくらいの時期からだった。


 職員を半分辞めさせた日の夜のような、ぞくりとするような色気を見せることはなかったけれど、その反面、俺へのあたりが少しずつ強くなっていった。


「まだ終わっていないんですか? 仕事はまだまだあるんですけど?」


 にこやかに笑いながら、書類の束を持ってきてくれるアルトリア。その笑顔がとても酷薄なものに見えて仕方がなかった。


「早く終わらせてください。私も昼食取れませんので」


 俺のデスクの脇のアルトリアのために用意したデスクに腰かけながら、暇そうにあくびをかくアルトリア。そんなに暇なら、手伝ってほしかった。


「シリウスちゃんとお散歩しに行く暇があれば、一枚でも多く書類を片付けてください。なお、シリウスちゃんのお散歩は、仕事が終わっている私が代わりに行ってきますので」


 息抜きにシリウスと散歩しに行こうと思っていたら、俺が抱いていたシリウスを取り上げ、散歩は代わりにしてくると言ってくれたアルトリア。


 あくまでも息抜きであり、サボりではなかったのだけど、アルトリアは一切耳を貸してはくれなかった。


 そうして徐々にアルトリアの、俺に対する態度はひどいものになっていった。


 まぁ、開業するまでは、ひどいといっても、ちょっと冷たい程度だった。


 そう、まだこの時点では、かわいいものだった。


 それに言われていることは、そこまで的外れなわけではなく、あくまでも事実だった。


 仕事が終わらないのは、すべて俺が悪い。


 けれど「旦那さま」と言うのであれば、もう少し俺に優しくしても罰は当たらないはずだった。


 しかし実際に言っても、「それとこれとは、話が別です」と切り捨てられてしまった。


 たしかに仕事とプライベートとでは、話は別だけど、それでも仕事中でも、こう俺の気を惹くようなことをしてもいいんじゃないかなと思った。


 というか、俺がアルトリアに求めた秘書像っていうのは、ちょっと抜けてはいるが、仕事をきっちりとしてくれることであり、俺の仕事が遅いことを、そばで延々と責めてくることじゃない。


 そんなのは毅兄貴と久美さんの関係だけで十分だ。


 しかしそんなことを言っても、やっぱり流されるだけなのは目に見えていたし、しょせん悪いのは俺だから、言い返すことはできなかった。


 ただ飴と鞭という言葉を、アルトリアは見事なほどに体現している子でもあった。


「お疲れさまです、カレンさん」


 仕事をどうにか終わらすと、いつもアルトリアはお茶を出してくれた。


 紅茶の淹れ方なんて知っていたんだなぁと最初は感心した。


 が、すぐに感心なんて上から目線な言葉は出てこなくなってしまった。


 なにせアルトリアが淹れてくれたお茶は、とても美味しかったのだから。


 俺も女子の端くれではあるからして、紅茶に関してはそこそこ知っていた。


 が、この世界の茶葉についてはわからなかった。


 が、世界は違えども、紅茶の淹れ方は地球と変わらなかった。


 単純に茶葉の名称が違うってだけだった。


 アルトリアが淹れてくれた紅茶は、ダージリンに似ていた。


 それもコクのあるセカンドフラッシュ(夏摘み)に近い味がした。


 俺はセカンドフラッシュのほうが好きだったので、アルトリアが淹れてくれた紅茶は、ちょうど俺の好みそのものだった。


「ちょうど俺好みだよ」


「それはよかったです。私のお父さまもこの時期のラッサムがお好きなんです。だからこの時期のラッサムに関してだけは、自信をもって淹れられるんです。カレンさんのお好みに合って嬉しいです」


 アルトリアは嬉しそうに笑っていた。


 そんなアルトリアを見ていると、顔が熱くなったが、それがどういうことなのかは、いまだにわからない。


「そうだ。肩をお揉みしますね。お疲れでしょう?」


「そうだね。じゃあ、これを飲んでから」


「はい、承知いたしました」


 にこりと笑い、アルトリアはなぜか俺の背中に回った。


 飲んでからと言ったのだけど、どうにも聞いてもらえていないようだった。


 いや聞いてはいたが、待ち遠しいのかもしれない。


「待て」ができない犬を見ているようだった。


 実際、その時の俺の目には、アルトリアにないはずの尻尾が、ぶんぶんと振られている尻尾が見えていた。


 そんなアルトリアを眺めつつ、淹れてくれたお茶を飲み終えると、待っていましたと言わんばかりに、アルトリアが俺の肩に手を這わせた。


「じゃあ、始めますね、「旦那さま」」


 ふぅと耳に息を吹きかけながら、アルトリアは肩を揉んでくれた。


 肩揉みにそれはいらないし、「旦那さま」じゃねえと思ったが、アルトリアは、嬉しそうに笑っていた。


 そんなアルトリアの笑顔を見ていると、どちらも無粋な気がして言えなかった。


 それにアルトリアの肩揉みは、とても上手だった。凝り固まった肩が、ゆっくりとほぐれていった。


「どうですか? アルトリアは上手ですか?」


「ああ、気持ちいいよ」


 アルトリアの細い指が、ちょうどいい感じにつぼを刺激してくれる。


 それがなんとも言えない眠気を誘ってくれた。


 気づいた時には俺は眠っていた。眠ってもなおアルトリアは俺の肩を揉み続けてくれていた。


 その後目を覚ますと、なぜかアルトリアを下から見上げていた。


「おはようございます、カレンさん」


 アルトリアはそう言ってなぜか俺の頭を撫でてくれていた。


 状況から察して、膝枕だった。


 膝枕なんてエンヴィーさんにもしてもらったことがない。


 エンヴィーさんの場合は頼めばしてくれただろうけれど、その場合ククルさんに、形容しがたいまなざしを向けられることになるのは目に見えていた。


 がアルトリアの場合は、膝枕をしてもらっても問題はない。


 誰かにそういう目を向けられることはなかった。


 問題があるとすれば、ふくよかな胸部装甲が邪魔だということくらい。


 ま、まだ成長期に入っていないだけだから、気にしてはいないけれど。


「カレンさんの寝顔、すごくかわいかったですよ。「これから先もずっと」見させていただけますか?」


 アルトリアが緊張した風に言う。


 わざわざ強調するように言ったのは、どう考えても、遠回しなプロポーズだからだろう。


 いわゆる逆プロポーズだった。一応俺も女だけれど。


「お返事はいつか聞かせてくださいね」


 アルトリアは頬を染めて笑った。


 その笑顔はとても艶やかで、思わず胸がどくんと高鳴ってしまった。


 とにかく、アルトリアからの思わぬプロポーズをされつつ、日は過ぎていった。


 そうしてどうにか開業日を迎えることになった。

続きは二十一時になります。

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