Act9-167 諦めることを諦めろ
更新祭り二日目です。
一話目は香恋視点となります。
「恋香?」
恋香の声が聞こえなくなった。
「恋香? 聞こえているのか、恋香?」
呼びかけてみても、恋香は答えてくれなかった。答えようとする素振りさえない。さっき言っていた通り、もう表に出て来る気は、俺と話をする気はないのかもしれない。
「恋香、話を聞いてくれよ」
胸をぎゅっと掴んだ。ここにいるのはわかっていた。ここに恋香がいるのを知っている。恋香はすぐそばにいる。本当にそばにいてくれている。
でもどんなに呼びかけても恋香は答えてくれない。愛想を尽かした、というような態度を取っていたけれど、本当は違う。恋香はきっと──。
「俺はただ恋香にも生きてほしいだけなんだよ」
──恋香はきっとあのままだったら、押し切られてしまうと思ったから。これ以上俺と話していたら、覚悟が鈍ってしまうと考えたんだろう。
だから俺を突き離したんだ。覚悟が鈍ることがないように。俺を助けようとしてくれたんだろう。
……なにから俺を助けようとしてくれたのかはわからないけれど、恋香の行動原理を思い起こせば、あいつは基本的に俺のためになにかをしようとしてくれる。
その反面、性癖的な問題が露見するけれど、それだってどこまで本当のことはわからない。
もしかしたら恋香は俺とああして接したいがために、あんな倒錯的な性癖を前面に押し出していたのかもしれない。俺と触れあうためだけに道化を演じていたのかもしれない。事実はわからない。
でももしかしたらその可能性もあったかもしれない。
俺は姉ちゃんなのに、あいつのことをなにもわかっていなかった。たとえあいつが本当に俺の半身じゃなかったとしても、俺はまるで違う存在だったとしても、俺を模して造られた存在だったとしても、それでも俺は恋香を妹だと思っている。その妹の嘆きも苦しみも俺はわかっていなかった。
だから、だからこそ知りたいんだ。知るために生きていてほしい。これからもいままでみたいに触れ合っていたい。これからもいろんなものを共有したい。だから──。
「俺はおまえに生きていてほしいよ、恋香」
胸を押さえながら、この先にいる恋香にと語り掛ける。けれど恋香は答えない。答えてくれない。ほんのわずかな距離しかないはずなのに、そのわずかな距離が途方もなく遠く感じられていた。
こんなに近くにいるのに。こんなにも近くにお前がいるのに。なんで答えくれないんだ? どうしてなにも言ってくれないんだ。お願いだ、恋香──。
「答えてくれ。なんでもいい。罵声でもなんでもいいから、おまえの、ううん、君の声を聞かせてほしい」
胸を押さえこみながら、少し前まで目の前にいた恋香を、恋香の生身の姿を思い浮かべる。
『……話になりません。今後私はもう表には出ません。あなたはあなたで勝手にやってください。私も勝手にやります』
恋香は泣いていた。泣きながら罵倒していた。それが恋香の本心ではないことはわかっていた。
俺と同じ顔、同じ声、そして違う瞳であいつは泣いていた。泣いていたんだ。泣きながら俺を突き放した。そうしなければならないと思っていたからだ。そうでもしないと、流されてしまうと思ったからだ。自分の意思を貫くことができなくなると思ったからだ。
「ふざけんなよ、愚妹」
おまえの考えていることなんてお見通しだっての。
そもそも泣きながら「さようなら」なんて言うなよ。
「……なにが「ごめんね、お姉ちゃん」だよ」
本当にあいつはふざけている。
俺を罵倒しながら、口では罵倒しながら、心の中では謝っているなんて本当にふざけている。
「お姉ちゃん」なんていままで泣きながら引っ込むときにしか言わなかったくせに、なんで最後に言うんだよ。本当にふざけているよ。そんなことを言われたら──。
「諦められるわけがないだろう!」
──おまえを失うことを諦められるわけがない。
恋香が死ぬことを受け入れられるわけがない。
だから決めたよ。おまえがおまえのやりたいようにするのであれば──。
「俺も俺のやりたいようにする。だから恋香、諦めろ」
──俺がおまえを諦めることを、おまえが諦めろ。
聞こえているのかはわからない。
それでも俺は言った。俺の中にいるはずの恋香に向かって言い切ったんだ。
続きは六時になります。




