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Act9-38 別たれた道

 本日五話目です。

「……一年、か」


 空になった食器が乗ったトレイを手にしながら、廊下を進んでいく。


 すでに空の色は闇に覆われていた。


 まだ眠る時間には早いだろうけれど、食事を取るのは遅い。


 でも今回ばかりは致し方がない。


 プーレちゃんと「旦那様」はそういう宿屋へと向かったみたいだ。


 別に私以外を抱かれるのが嫌というわけではない。


 まぁ、できたら私だけを、と思わなくもないけれど、こればかりは「旦那様」の意思を尊重するしかないし、そもそもあの人であれば全員を幸せにできる器量があるのだから問題はない。


 でもその全員を幸せにすることは、暗礁に乗り上げてしまった。


 もともと寿命の差はあった。


 私はもう寿命とは縁がなくなった存在であり、「旦那様」もそうなってしまっている。あとはティアリカも。


 でもほかの面々はそうじゃない。


 特にプーレちゃんは「旦那様」の巫女になったとはいえ、まだ正式になったわけじゃなかった。


 いずれそうなるだろうとは思っていたけれど、そうなる時間はすでにないようだ。


「旦那様」にはあと一年と伝えたようだけど、実際は一年もないはずだ。いや、それこそあと数日であってもおかしくはない。


 そもそもあのリヴァイアサン様があと一年も時間をくださるとは思えない。


 可能性があるとすれば、次の誕生日だろう。


 それもあの子のではなく、その数日後にある「旦那様」の誕生日がたぶんタイムリミットになる可能性は高い。


 リヴァイアサン様のご性格を考えれば、人を徹底的に絶望に追い込もうとされるあの方の性質を踏まえれば、一年後ではなく次の「旦那様」の誕生日こそがプーレちゃんに最も絶望を与えられる日だと考えるはず。


 実際自身の誕生日よりも、「旦那様」の誕生日に死ぬと言われる方がプーレちゃんにとっては絶望が大きくなるでしょう。


 なにせ「旦那様」に最悪の誕生日プレゼントを渡してしまうことになるのだから、あの優しい彼女に最も絶望を与えられるのは、あの子が最も愛する人の特別な日こそが相応しい。


 そうリヴァイアサン様であれば考えられるはずだ。


 つまりプーレちゃんに残された日々はもう半月もない。


 十日と少し。それがあの子が生きられる残された時間。


 残酷だと思う。いや、残酷を通り越して残忍とも言える。


 そしてその残忍なことをリヴァイアサン様は笑いながらされることでしょう。本当にひどい方だ。


「それをあえて一年、ね」


 でも一番ひどいのはプーレちゃんなのかもしれない。


 死が近づくにつれてあの子の精神状態は私にも伺う知れないものになっていた。


 あの子がどうして一年と嘘を吐いたのかはわからない。


 でも一年と言ったことで「旦那様」は信じてしまった。


 真実を織り交ぜた嘘をプーレちゃんに吐かれたのだと考えてもいない。


「旦那様」は決してプーレちゃんを特別扱いはしないでしょう。


 残された日々をできるかぎりプーレちゃんと一緒にいようとはするでしょうね。


 ……それがあの子の狙いだとは知らずに。


「それをわかってする私も人のことは言えないけれど」


 私がわざわざ「旦那様」の部屋を破壊したのもそれが理由。


 残り少ない日々をできるかぎり、プーレちゃんと過ごさせてあげたかった。


 だから同じ部屋で寝起きできるようにしてあげた。


 ……そのおかげで「旦那様」の中の私から「か弱さ」がますます消えてしまったけれども、安いものだ。


「……残りの時間を譲ってあげるのだから、精いっぱい甘えなさいね、プーレちゃん」


 少し先の角に向かって言った。わずかに息を呑む声が聞こえた。


 ばれないと思っていたのかしらね。ずいぶんと甘く見られたものね。


「……ありがとうございますなのです、レア様」


「気にしないで。私とあなたの仲だもの。玄孫さえも越えてしまうほどの差があるけれど、これでもあなたを妹のように思っているのだから」


「……知っているのです。昔の私がそう呼んでいたのですから」


「そうだったね」


 そう、子供の頃のプーレちゃんは私を「レアおねえちゃん」と呼んでくれていた。


 プーレちゃんのお父さんであるゼーレは慌てていたし、お母さんであるプラムは困っていたけれど、私をそう呼んでくれる子は初めてだった。


 だから私にとってプーレちゃんは特別な子だった。特別な存在だった。


 その子がもうじき旅立ってしまう。


 また私を置いていなくなってしまう。


 いつものことではある。


 いつも私は誰かを見送るのだから。


 だから私はいつものように言おう。


 それが特別扱いを嫌うこの子に捧げる最後の言葉だ。


「……残りの日々を精いっぱいに生きてね、プーレ」


「……うん、ありがとう、レアお姉ちゃん」


 止めていた足を再び動かし、食堂へと向かっていく。


 通り過ぎた角をあえて見ることはしなかった。


 彼女も通り過ぎた私を呼び留めはしなかった。


 交差していた日々は終わりを告げた。


 その日々を振り返りはしない。


 どうせこの先も、何十、何百、何千と続くことなのだから。


 ただもうひとつだけ。もうひとつだけ言わせてほしかった。これが本当の最後の言葉だ。


「さようなら、プーレ」


「……さようなら、レアお姉ちゃん」


 お互いに通り過ぎながら私たちは最後の言葉を交わし合った。


 視界は歪んでいる。それでも私たちはそれぞれに歩んで行った。それが私たちの宿命なのだから。

 続きは二十時になります。

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