Act0-10 宴の始まりは、試練の始まり~「天の階」~
「そなたが元の世界に戻る方法はだな。「天の階」という塔に上ればよいのだ」
「「天の階」ですか?」
「ああ。この世界と異世界を繋ぐ塔と言われておる」
「その塔に上るだけでいいんですか?」
「ああ。その通りだ」
ラースさんだけじゃなく、その場にいた全員が同じようにして頷いていた。とんでもない試練があると思っていたのに、とんでもなく簡単な方法だった。いや、方法自体は簡単でも、実行するのはすごく大変なのかもしれない。例えば──。
「その「天の階」がある場所がわからないとか?」
「いや、スカイストに住まう者であれば、誰もが知っている。群島諸国にある。この国からでは見えぬが、「蛇の王国」からではよく見えるはずだ」
「なるほど。じゃあ、とんでもなく標高の高い山の頂にあって、そこまでたどり着くのが難しいとか、強力な魔物の住処が近くにあるとか、ですかね?」
「山の頂にあるそうだが、そう高い山ではないな。むしろその山のふもとに国があるくらいだ。強力な魔物なども住んでおらんと聞く」
「じゃあ、なにが大変なんですか?」
所在地不明でもなければ、たどり着くのが困難でもないし、そもそも近づけないわけでもない。となれば、残る困難はなんだろうか。
「「天の階」はある国が管理しているのだ。曰く母神スカイストの力を秘めし塔ゆえに、それ相応の代価がなければ上ることは許されん、と言われている」
「代価。ああ、使用料がかかるということですか」
つまり、困難っていうのは、相当の大金が必要になるってことか。たしかに俺みたいな異世界の人間が、この世界の通貨を稼ぐのは難しいことだ。言葉は通じているから問題はない。読み書きができるかどうかはわからない。となると頭脳労働系はできない。稼ぐ方法は肉体労働系しかないか。
地球で肉体労働系と言えば、土木作業や一次産業とかがまっさきに思い浮かぶ。いわゆる出稼ぎ系か。そういうのってわりとお金を貰えるみたいだけど、その分だけ疲労がたまりやすいってイメージがあるな。
だからと言って、頭脳労働が疲労しないとは言わない。うちの義姉さんたちは、完全に頭脳労働系だけど、いつも疲れているからな。肉体労働系とは別の意味で疲労がたまるはずだ。まぁ、お金ってそう簡単に稼げるものじゃないから、無理もない。
しかしここは地球じゃない。地球でないのであれば、というか、異世界転移ものであれば、お約束のあの職業がある。その職業であれば、あっという間にお金を稼ぐこともできるはずだ。まぁ、安定して高い収入を得るまでが大変だろうけれど、そこは頑張るしかない。
「なるほど。じゃあ冒険者になって稼ぐしかないですかね? あ、この世界でも冒険者ギルドってあるんですか?」
ある意味お約束ではあるけれど、冒険者になって稼ぐしかない。それも高ランクの冒険者になれば、大金を稼ぐことも難しくはないはずだ。もっともそれまでに時間はかかるだろうし、下手をすれば命を落とす危険だってある。
けれど一般職に就いて、大金を稼ごうとするのであれば、それこそ何年かかるのか、わかったものじゃなかった。ならここはハイリスクハイリターンな方法を選ぶしかない。たとえ時間がかかったとしても、俺は決して諦めはしない。絶対に帰ってやる。そう決意をした。が、そんな俺とは裏腹に周囲の温度は低い。むしろ憐れんでいるような顔をしている。中には、目頭を押さえている人もいる。あれ、この反応はいったいどういうことだろうか。再び冷たい汗が背筋を伝った。
「……冒険者ギルドはある。まぁ、この国にはないが、「蛇の王国」に行けば、出張所がある。たしか出張所でも登録はできたはずだ。そうだったな、エンヴィー」
「はい。登録できます。国王である私の推薦状を持って行けば、試験なしで登録できるはずです」
「本当ですか? エンヴィーさん」
「あ、はい。一応後で試させてもらいますが、その結果次第では推薦状の中身も変わるとだけ言っておきますね。ただ、カレンちゃん」
「はい?」
「冒険者になったとしても、いえ、たとえ高ランクの冒険者になれたとしても、「天の階」の使用料は稼げないかと」
「え?」
思わぬひと言だった。高ランクの冒険者でも稼げない。いったいどれくらいの大金が必要なのだろうか。もしくは、高ランクの冒険者の稼ぎがそれほど大したことではないのかもしれないけれど。
「ちなみに高ランクの冒険者と言われ始めるBランクの冒険者の一般的な平均年収は、だいたい金貨百枚ほどと言われています。そのうえのAランクであれば、五百枚~千枚。最高ランクのSランクであれば、星金貨数枚。金貨で言えば、数万枚稼いだという方もいらっしゃるほどです。まぁ、星金貨数枚というのは、かなり無茶をしたようで、その際大けがを負い、引退されたようですが」
「星金貨っていうのが、この世界での一番高い通貨なんですか?」
「ええ。金貨一万枚で星金貨一枚となります」
「金貨一万枚」
日本円にしたら、どのくらいの値段なのかは、考えたくない。仮に金貨一枚が十万くらいだとしたら、その一万倍だから、十億円くらいか。うん、会社の資本金レベルだな。それを個人で稼ごうとしたら、無茶のひとつやふたつはするか。むしろ、無茶のひとつやふたつで稼げるお金じゃないけどね。そこでふと気づく。
「……Sランク冒険者が無茶をして星金貨数枚なんですよね?」
「そういう方もいたということですね。Sランク冒険者でも、年間で星金貨に届くかどうかってところでしょう、平均を出すとすれば」
「Sランクでもそれくらい。となると、「天の階」の使用料は、相当の星金貨が必要ってことですよね?」
「……そう、ですね」
絞り出すような声だった。つまり、Sランク冒険者が相当の無茶をして、年間星金貨数枚だ。それを以てしても稼げないということは、星金貨十枚程度ではすまないってことだろう。最低でも五十枚とかだろうか。日本円にしたら、五百億とかか。個人が稼げる金額じゃないな。ただ、五十枚はなんか半端だよな。ってなると百枚とかか。一千億か。うん、普通に無理だな。
一年無茶をして、星金貨数枚。仮に星金貨三枚としたら、三十年ちょっとは無茶を続けなければならないって計算になる。うん、無理だな。でも無理でもやらなきゃならない。
「まぁ、Sランクになるまで何年かかるかはわかりませんけど、それでもSランクになって、三十年もあれば稼げるのであれば、やるしかないですよね」
正直、この部屋にいる人たちくらいとしか交流はしていない。最初にあったおっさんはノーカウントだ。あんなの交流であってたまるか。とにかく、この部屋にいる人たちは、たぶんいい人たちばかりだ。それでも、この世界が危険な世界っていうのはなんとなくわかる。
まぁ、ドラゴンやらキメラやらが普通にいる世界なんだから、地球、特に日本と比べたら、治安がどうだのこうだのとは言えないほどに危ない世界だろう。
そんな世界に永住なんてしたくない。というか、俺はまだ元の世界でやりたいことがあるんだ。だから元の世界に帰るのを諦めるなんて選択はしない。
必ず帰ってみせる。そのためであれば、星金貨が百枚であろう稼いでやろうじゃないか。数十年かかる? 上等だ。何年かかってでも必ず稼いで──。
「あ、あのカレンちゃん。百枚ではなく」
「エンヴィーさん。早速試しとやらをお願いします。何年かかってでも、俺は必ず元の世界に帰ってみせますから」
「その心意気というか、強い決意はわかりました。ですが、その、勘違いをされていますので」
「勘違いってなんのことですか? 星金貨は百枚くらいなんでしょう? まぁ、たしかにかなり大変ですけど、俺は絶対に稼いで」
「いえ、だから、百枚じゃないんですよ」
「え?」
勢い込んだものの、まさか五十枚ってオチなのか。まぁ、五十枚であれば、十何年で稼ぎ切れるから、まだましと言えばましだろうけれど。
「じゃあ、五十枚ですか? まぁ、半分であれば、かかる時間も半分に」
「いえ、五十枚でもないです」
「するってーと百枚以上と?」
「……まぁ、大雑把に言えば、ですね」
なんてことだ。半分で済むかと思ったら、まさかの百枚以上か。まぁ、ちゃんと確認しなかった俺も悪いから、エンヴィーさんを責めるのはお門違いだろう。しかしそうなると何百枚になるんだろう。三百枚だったら、百年かかるから、完全にアウトだ。あ、二百枚でも六十年かかるか。ん~、百五十枚とか、それくらいであれば。いや、まぁ、できることであれば、百数枚とかであればいいんだけどな。
ただ、エンヴィーさんが大雑把に、と言った言葉が気になるな。なんだよ、大雑把って。二百枚、三百枚じゃすまない枚数が必要って言っているようにも聞こえるんだけど。いやいや、まさかそんなことがあるわけがない。そもそも星金貨百枚の時点で一千億だぞ。もう会社の規模さえ超えて、国家で運用する単位だけれど、そんな金額を用意しろなんて言う国があるわけが──。
「星金貨一千枚が必要なんですよ」
……うん、国家単位の金額を用意しろという国があったようだ。星金貨一千枚。つまり一兆円か。うん、とりあえずひとつ言いたい。
「無理だろ、それ!?」
百枚の時点で、三十年以上。その十倍となれば三百年だ。うん、俺はエルフかドワーフなのか。いや、俺は人間だ。人間がそんな生きられるわけがなかった。
「だから大変だと言ったじゃないですか」
エンヴィーさんは気の毒そうに俺を見つめる。いやエンヴィーさんだけじゃないね。ほかの人たちもみんな同じような表情をしている。ただひとつ言わせてほしい。
「エンヴィーさん。それは大変というのではなく、不可能と言うのです」
「……そう言いたいところなんですが、希望の芽を摘むのは忍びなかったので」
そっと目をそらされた。ああ、優しさね。でも、そんな優しさはいりません。そう心の底から思いながら、俺はどうしようもない現実という壁に遮られてしまうのだった。




