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第9章2 頑張れ女の子!




―――――時間は少し遡る。


「…なるほど。西に布陣しているハロイドの民兵連中とは、これで連絡・連携は問題ねぇてぇワケだ」

 ザードが確認のため、要約した一言を放つ。

 タスアナが優れた者である事は間違いないが、雰囲気が上位者のソレである事もあって、彼の言葉は一般人たる村人達には浸透しずらいところがあった。偉そうにしているつもりはないのだろうが、おそらくは地上の一般人とそれほど接触した経験がないのだろう。魔界本土と地上の民の差はかなり大きいのだ。

「じゃあ、いよいよ攻めるのか!?」

「はやるなってぇの。西はよくたって、東の連中とまだ話がついてねぇだろが、イムルンさんが帰ってこなけりゃ、なんのために連絡取りあおうとしてんだって話だろ?」

 戦意十分な村人を窘めるザードは、ちらりとタスアナを伺う。

 現在、東に陣取っているナガン正規軍に接触すべく向かっている使者(イムルン)は、他でもない彼の従者だ。先のオレス村での戦闘を見る限り、ザード自身が10人いたところで勝ち目はないであろうほどの実力者ゆえ道中奇襲を受ける心配はないだろうが、よく知った知己でもないだけに懸念がないわけではない。

「心配はいらん。アレ調子に乗る事はあっても、“ 任務 ” をこなす事に関しては忠実だ」

 ザードの視線の意味をくみ取ったのだろう。タスアナは事も無げにそう返してくる。

 とはいえ時は既に一夜を越え、戦略的に朝を迎える事を考え始めなければならない時刻だ。同時に使者として出立したタスアナが戻ってきているのに、もう片方が戻ってこないのは、多少なりとも不安を覚えずにはいられない。それはイムルンの身を案じてというよりも、戦場経験を持つザードの、不測の事態の発生というケースを想定するがゆえの心配だった。

「ま、そうであってくれりゃいいがな…」

 なかなか納得しきれないでいる様子のザードに、タスアナはフムと鼻息一つ混ぜて僅かに考え込んだ。

「そこまで心配ならば、出迎えがてらの警邏(けいら)を出すのがよかろう。敵の奇襲部隊があの都市より出ていないとも限らんしな」

 タスアナやイムルンほどの強者は時折、弱者の不安な心理とそこからくる警戒、そして対策意欲の深さを失念してしまう事がある。強者である自分が心配するなと言い含めても、彼らはそれだけで納得できはしないという事に思い至らないのだ。

「なるほどな、もうする夜も明ける頃だし、連中が潜んでるとすりゃ明け方を狙ってくるのがセオリーだ。それなら―――」

「それ、私が行くわ」

 ザードの発言に割り込んできたのはシャルールだった。驚き、一瞬静かになった男達。その硬直した空間を、真っ先にザードが首を横に振って切り裂いた。

「ダメだ、シャルールさん。危険すぎる」

 いつものデレデレはない。声は穏やかながらその表情は真剣そのもので、巨躯のリザードマン本来の迫力が宿っている。だがシャルールは気圧されない。

「大丈夫、スレイプニル(あのコ)がいるし、私も何か役に立たせて!」

「(この淫魔……ルリウスの娘か? やれやれ、本当にどこにでもいるものだな)」

 タスアナは魔界本土にいる妻の所業を思うと、どっと疲れる気がした。


 淫魔族の長であるクスキルラ=ルリウスは、魔王の “ 妻 ” である。しかしそれは、世間一般でいうところの夫婦の関係とは、あまりにも異なる関係性である。

 どちらかといえば伴侶というよりは、魔王の最直属たる異性の臣下とも言うべき立場であり、魔王の妻というステイタスを持った親衛隊と言う方が正しいかもしれない。そんな魔界諸侯の中でも頂点の一端に位置している彼女達(・・・)は、あらゆる特権を有しており、クスキルラ=ルリウスもまた、自らの種族の発展と栄達のために遥かな昔、彼の妻となった。


 そもそも淫魔族に結婚という概念はない。その生態上、単一の異性と添い遂げるなどという感傷は、彼女らの “ 食事事情 ” には割が合わなさすぎる。ルリウスにしても、魔王との夫婦関係は契約のようなものと捉えており、今でも有象無象の種族の異性と肌を重ねる事に変わりはない。

 かといって魔王に対する愛情というものを持ち合わせていないわけではなく、むしろ深い方だ。しかも、互いの立場と関係性をよく弁えている妻だけあって、魔王にしてもルリウスをよく理解していた。

「(…まぁ、だからこそ淫魔族の本分を遺憾なく発揮してもいるというわけだが、まさか地上にまで娘を送り込んでいるとは)」

 シャルールは魔王との間に生まれた娘ではない。そもそも魔王にしてもそんな簡単に自分の子を産ませないし、産ませたとしても世界への影響力等を考えて、自分の存在の一部たりとも受け継がない子供が生まれるようにしている(・・・・)

 それでもルリウス()の娘を見る目が自然と優しいものになるのは、魔王にしてもルリウスの事を自身の妻であると認識しているからなのかもしれない。

「構わないだろう、ザード。どうやら眠れないようだしな、本人の気晴らしの意味も兼ねて、何か任を担わせるは有意義な事だ」

 タスアナが助け船を出したことでシャルールは魔獣と共に警邏(けいら)に出かける事となった。

 当然ザードは最後まで渋ってはいたが、ドンが怪我で静養中の身である事を考えると、このマグル村勢を戦闘面にてまとめる役目は、ザードが主体となってなさなければならない。

 加えて村人である彼らの士気は旺盛なれど、(もろ)くもある。奇襲の類を受けてしまうと、士気が一気に萎えてしまいかねない危険があった。その意味でもいち早く敵の奇襲に備える事は重要で、警戒の見回りを出す必要性は高い。

 同じく強者の一人であるジロウマルは、マグル村勢の生命線ともいえる兵站の守りと管理を担っているため、易々と動員するわけにはいかない。シャルールと交代させる事で、駆り出す事はできるだろうが、万が一この陣地に敵が奇襲や工作を行ってきた時の対応力でいえば、シャルール&魔獣よりも、ジロウマルの方が適任だ。

「(………むぅ)」

 ザードの頭の中で考えがまとまる。本音ではシャルールを危険な目に合わせたくはない。だが、現状では警邏に出す最適な人材として、シャルールと魔獣が適任なのは確かだった。

「…じゃあ、お願いするが…くれぐれも無理だけは避けてくれな。警戒の見回りも、危険が潜んでるもんだからよ」

 発する声量は小さめだ。信頼よりも心配が勝っている事が感じ取れる声に、シャルールは努めてにこやかな笑顔でザードを見上げた。

「大丈夫。このコはまだ小さいけど、足も速いし強いから、そうそう危ない事にはならないって。へーきへーき♪」

 そう言って、スレイプニルに飛び乗るシャルール。この数日でまだ大きさを増した多脚馬の背は、板でも敷いてるかのように頼もしい広さと安定感があった。彼女が軽く首元をなでると、くすぐったいとばかりにスレイプニルが首をひねり、ブルブルと頭を振るう。

「…そんなに心配なら、オレもついていくよ。それなら問題ないんじゃないか、ザード?」

 すぐ後ろからかけられた声に、場の全員が振り向く。小さな包帯だらけの亜人が、ヒョコヒョコと歩き寄ってきていた。

「ドンさん、寝てたんじゃあなかったのか?」

「あぁ、だいぶグッスリと休ませてもらったからな。もう大丈夫だ、とまではいかねぇけれども、魔獣の背にのって一回りしてくるくらいはできるさ」

 そう言ってドンはザードの目を見た。視線から互いに意を察する。すなわちドンは、シャルールが無茶無謀をなさないかのお目付け役を買って出てくれるという事だと巨躯のリザードマンは理解した。

「ほぉ、良い心がけだな。今の自分に出来る事を、無理のない範囲で見定め、実行に移せる者はそうはいない。ザードよ、言葉に甘えてはどうだ?」

 タスアナに促され、なるほどとさらに理解を深める。

 事実上、怪我人のドンに出来る事は少なく、大人しく寝ているだけでも軍としてみればお荷物の状態にある。それでも村で静養せずにこの行軍に参加しているのは、彼の慧眼と経験、そして軍を動かす能力の高さがこのマグル村勢には必要だったからだ。

 とはいえシュクリアをこうして包囲し、当面の方針が決まった以上は、今のドンに出来るは寝ている事だけだった。

 しかし警邏に同行すれば、突発的な事態が発生しても、その判断力と対応能力がシャルールの無事をより確実なものとしてくれるし、移動は魔獣で行うため怪我人の彼でもかかる負担は極めて小さくて済む。

「……はー、しゃーねー。悪ぃがドンさんよ、任されてくれるかい?」

「ああ、心配はいらねぇさ。それよりオレ達が帰ってきた時に、攻め滅ぼされてたなんて事がないように、そっちも頼むぜ」

 先に決定した通り、現在シュクリア外壁上の敵を、弓に覚えのある連中で遠距離狙撃を仕掛けている真っ最中だ。そこそこ戦果も上がっているし、互いに大きな戦闘行動もなく、戦況は落ち着いている。

 とはいえ、いつこの緩慢な状態が急変するとも限らない。

「ガッハッハ! それこそいらん心配だぁな。なー、タスアナの旦那よ?」

 正直なところ、タスアナはすぐにでもこの陣を離れ、イフス救出に向かう気でいただけに、ザードに暗に戦力としての期待を投げかけられ、言葉に詰まりかけた。

「フッ…そうだな。こちらの心配は不要だろう。それより…これを持っていけ」

 今はまだ仕方がないか、と諦めつつも布石を打つべく、タスアナはドンとシャルールにむかってそれぞれに何かを投げ渡す。それはこじんまりとした道具袋だった。





――――――そして、マグル村勢の陣地より北へ3km地点。


「…うーん、この辺までで大丈夫かな?」

「ああ、あんまり大回りに見回り過ぎちまうと、警戒網がザルになるからな…。陣に帰ったら見回りのための隊とかももうちょい整えた方がよさそうだ」

「ブルルッ…」

 まず彼らが向かったのは、オレス村へと続く街道で、陣の北側だった。

 自分達の陣の篝火(かがりび)が見えるギリギリの位置で立ち止まり、周囲を見回す。後ろを取られればそれは退路を塞がれる事になる。最悪の状況に陥った時に逃げを選択する事ができなくなってしまうため、マグル村勢にとっては真っ先に安全を確認しなくてはいけない方向なのだ。

「まぁ、この辺が安全なら北側は大丈夫だな。最悪でもオレス村までの退路に敵が回り込んでいなけりゃ、全滅は避けられる」

「そういうものなの? よくわかんないけど…じゃあ、次は東か西かな」

 シャルールの言葉にドンは少し考えてから口を開いた。

「東側を回るべきだ。西側はハロイド連中んとこから帰ってくる時に、なんかありゃタスアナさんが気づいてるはずだし」

「りょーかい! じゃ、今度はあっちにお願いね」

「ヒヒーン!」

 街道の石畳を踏む(ひづめ)の音が消え、草原の短い草をかきわけるサラサラとした音に変わる。ここからは明かりがない場所を行くことになるため、ドンはシャルールの腰をしかと掴みながら、周囲への警戒を強めた。


 速さは結構なものだが、多脚馬ゆえに揺れがほとんどない安定性の高さは、子供とはいえさすがの魔獣と言えるだろう。スピードはイムルンに運ばれた時ほどではないにせよ、結構な出ているはずなのに、その乗り心地は抜群だった。

「(なるほど、ナガン候が欲しがるのも頷けるな、こりゃあ)」

 そもそもなぜマグル村の村人達が魔獣を用いていたのか、合流した時にその経緯を聞いていたドンは今更ながら妙に得心していた。魔獣というもの自体、地上ではそうお目にかかれないシロモノだ。

 メリュジーネが遊びに来た時に見た一団の移動手段や彼女の容姿を考えれば、なるほど魔獣のようにレベルの高い動物でなければ、乗り物として用いる事はできないだろう。

「(領主様にも、こういう魔獣がいればまた違ってくるんだろうなぁ…。でも簡単にゃあ手に入るワケもなし……ないものねだりはよくねぇとはいえ…)」

 もしも領主(ミミ)の所にも魔獣の1体でもいたならば、今回の反乱騒ぎにしたって随分と違っていたはずだと、ドンは考えずにはいられない。所詮はゴブリンの自分だ、悔しいがたいして役に立てはしない。

「(ダメだな、怪我のせいか弱気になっちまう……いけねぇいけねぇ、まだ終息してもいねぇのに、こんな後ろ向きな気持ちでいちゃあ)」

 目の前の事に集中しなければ。そう言い聞かせ、ドンは右へ左へと視線を動かす。もちろん目だけではない、耳や肌、鼻も感覚を研ぎ澄まして、僅かな異常も逃さないよう感覚のアンテナを広げた。

「真っ暗だね。ドンさんは何か見える?」

「うーん、さすがに視界は限界がありやすね。不自然な草の揺れや、音に注意を」

「はーい」

 なんだかんだ言ってもシャルールは素人であるし、騎乗している魔獣とてまだ子供だ。こういった事に関してはドンが一番慣れているのだから、小さき彼にも素直に頼るし従う。

 ヘンなプライドや思考を持たない分、理想的な小隊構成2人と1体は夜の闇の中を東へと走る。移動は順調……その矢先、5kmほど進んだところで、ドンとシャルールは遠くからこだましてくる声を聞き取るのだった。





――――――ナガン正規軍の陣地より、北東1km地点。


「こんな夜遅くでもいいんでしょうかね?」

 その言葉は、これから向かうマグル村勢に対する失礼を懸念したものではなかった。いまだ戦況穏やかといっても、戦闘の最中である。シュクリアからの敵の強襲を警戒するために、大きく迂回するルートの移動…それも本来なら床についている時刻に任務など、練度も意識も低い兵士達には億劫この上ない。

「これもメリュジーネ様のご命令だ。先方に対して失礼に当たるかもしれんが、それは平時の話だろう。この状況下では一刻を争う事態だって考えられるからな」

 ナガン正規兵達は多少の不満を覚えている。広大な領地と力を有したナガン領を守る彼らも、日々の訓練で高い戦闘力を保持してはいる。だが泥臭い現実的な戦闘を経験していない者も多い。今回夜道の護衛にとつけられた兵士達は、先の神魔大戦においても戦地に参加しなかった、そんな経験浅い連中ばかりだった。

「(ま、戦闘中だしね~。比較的(・・・)役立たずが回されるのは当然っちゃあ当然だけどもさ~)」

 イムルンは両腕を頭の後ろで組み、彼ら愚痴めいた雑談をその大きな耳で捉えながら、退屈そうな表情を浮かべて7、8歩先を歩いている。

 ナガン正規軍は、イムルンが使者として訪れた時には既にシュクリアの東門を攻めはじめていた。最初イムルンは、ナガン候ことメリュジーネに対して、攻め気に早るのはいけないとそれとなく苦言を呈し、自分の任務である西や北の民兵とも連携や連絡を取る旨を伝えたものの、民兵勢力など甘く見ているメリュジーネはその提案を素直に受け入れるを渋っていたのだ。

 しかし、攻撃部隊の指揮を執っていた執事(ロディ)が途中経過の報告に帰ってきた事で、なんとか他と連携させる方向に向けさせる事に成功した。

 かつてメリュジーネ不在の際に彼女の屋敷に立ち寄った際、イムルンは魔王のお供としてロディと会っている。そのためロディはイムルンが使者として来ていた事で、マグル村勢にタスアナこと魔王が参加している事を察し、渋るメリュジーネを動かしたのだった。


「…おーい、キミたちー、もうちょっとしっかり歩けない? 女のエスコート(護衛)なんて名誉な御役目なんだからさー、ってか、守る対象を先に歩かせちゃダメだってーぇ」

 今、その使者としての任を終えての帰路にあって、メリュジーネから兵士をつけられたのは、イムルンよりもさらに4、5歩先を歩くメルロ達が同行しているからだ。イムルンやシャドウデーモンが一緒にいるとはいえ、メリュジーネ達にとってはメルロらの保護は他領内で軍を行動させる大儀の一つに含まれる。護衛力は十分ながら、子飼いの者をメルロ達に同行させる必要があった。


「ったく、だらしない奴らだなー。いざって時に足引っ張らないでくれればいーけど…、ねーメルロちゃん?」

「……ぁ、ぇ、と……そぅ、です…ね…」

 困惑するのも当然だった。イムルンとメルロは真逆の性格で、メルロからすればどう接してよいのか一番困るタイプだった。

 マグル村勢の中にドンがいる――――しかも大怪我を負っていると聞かされて、じっとしていられなかった。それが今回、イムルンがマグル村勢の陣地に戻るにあたり、メルロ達まで同行している理由である。

「(健気だねー。いやー甘酸っぱいっての、こういうの? 背中が痒くなりそー)」

 イムルンはイムルンで、男女の間柄など割とサッパリとした考え方をするタイプなだけに、今のメルロのドンに対する感情は理解はできても共感はできない――――否、気恥ずかしくて考えたくもないのだ。

 なので彼女にしては珍しく、軽口をもって気楽に接する持ち前のスタンスを発揮できず、メルロにどう接するのが良いのか悩みながら歩くハメになっていた。

「大丈夫ッスよ! 兵士の皆さんがダメでも、俺がお二人ともしっかりとお守りするッス!!」

「その状態でー? アハハ、面白いやつー♪」

 メルロの横を、珍しく影の中ではなく自分の足で歩いているシャドウデーモンは、両腕に大量の荷を持っていた。中には医薬品を中心とした物資がギッシリと詰まっている。当然ドンを治療するための荷物だ。

「大丈夫ッス! いざとなったらこれくらい捨て――――」

「だ…め、…それは、…必…要…、だから……捨て…ないで……くださ…ぃ」

 声は、いつもと変わらない。だが、しかと強い意志が込もる視線に、シャドウデーモンが気圧される。

「じょ、冗談ッスよ~。そんな怖い顔しないでくださいッス、美人が台無しッスよ?」

「(ほぇー、そんな顔もできるんだ~。ふーん、スミに置けないねぇドンちんも)」

 初対面で受けたメルロの印象からすれば意外な一面。それをさせているのが他でもないあのゴブリンのドンだという事を考えると、イムルンはついほくそ笑んでしまう。

 優秀、とはどういう事なのか? それは強く、咄嗟の判断に長け、いかなる敵からも主を守れる者の事である――――もう遠い昔、ガキの時分の訓練時代に叩きこまれた訓示。

 しかしドンとメルロを見ていると、必ずしもそうではない気がしてくるから不思議だと、イムルンがしみじみとした気分に(ふけ)りかけた、その時―――





『……ぅぁぁぁぁ……… ……ここだぁぁぁ……、………助けてくれぇぇぇ……』




「! 聞こえた?」

 一転して、真剣味を増したグレムリンの表情に、兵士達は一様に緊張し、無言のままに頷いてみせる。さすがに彼らもナガン正規軍の中でも練度が低い連中といっても、素人ではない。

「微かだったッスが、俺も聞こえたッス! 助けを求めるようなカンジだったッス!」

 シャドウデーモンが声のした方角を指さしながら、両目を細める。

 何かが見えるわけではないが、それを確かめる事によって、声の主の距離と状態を伺い知ろうとしていた。しかし彼の中で結論が出る前に、イムルンの大きな耳が頻繁にピクつき、そして結論を述べる。

「結構遠いね。もうちょっと東…んー、湿地帯との間くらいの位置かなー? 正確なところはわかんないけど、こっから5、6kmくらいかな」

 それを聞いたナガン正規軍の兵士達がハッとした。少なくとも直近で自分達に害が及ぶものではないのに、イムルンが今なお真剣な表情を保っている理由――――それは、その方角が敵がアジトとしているドウドゥル駐屯村がある方角だからだ。

 もしかするとそこから援軍が出ていて、声の主は旅人かそこらの一般人がそういったものに遭遇してあげた、救援を求めるものであったりしたら、事態はかなり深刻になる。最低でもシュクリアの東側に陣取っているナガン正規軍は後方から挟み撃ちを受けかねないからだ。

「確かめにいきましょうイムルン殿! 敵の増援が来ていたならば危ういです!」

「まーね。でもまだ不確実な話だからさ、報告には走らなくていーよ。あとで違ってましたー、なんて言ったら叱られるのはキミ達だよ?」

 慌てて兵士の数人が報告せんとナガン正規軍陣地の方に走り出しかけたのを制する。

 そもそも兵士達はメルロらの護衛としてつけられているのだ。いくら重大事でも護衛対象を放り出した行動を取ればどのみち(あるじ)に叱られる事になる。そんなこともわからないのと、付けられた兵士の質の低さに、イムルンは睥睨(へいげい)してため息を吐くと共に、緊張させた全身の力を抜いた。

「んで、どーしよっか、メルロちゃん」

 事実上、この一団はメルロが中心人物だ。彼女がいかな行動を取ろうとも、兵士達はそれに付き添わなければならない。イムルンだけマグル村勢の陣地に一足先に戻っても構わないが、兵士達のレベルを考えると護衛力に不安があり、今この一団から離れるのは(はばか)られる。

 そのためメルロの意志でどうしたいかを、まず決めてもらう必要があった。

「………。ぃ、き…ましょう…。だれか、…ぁぶない、めに…、ぁってる…かも、しれなぃ…から」

 たどたどしいが、しっかりとした意志を込めた言葉に、メルロは満足そうに笑むと、おっけーとにこやかに了承の言葉を紡いだ。

「んーと…じゃーねー、シャドウデーモンちゃんは私の影に入ってくれる?」

「? 了解っす」

「で、んーと…キミとキミとキミ。足早そうだから私らについてきて。残りはマグル村の方いって、話つけてきてちょーだい。できればまお―――じゃなかった、タスアナって鎧の人にイムルンから、って言って報告すれば、後はちゃんとしてくれるから」

「は? はぁ…それは了承しましたが、そちらはどうなさるので?」

 しかし聞き返す兵士は無視し、イムルンはひょいっとメルロを抱えあげた。

「??? …ぇ、と…ど、どぅ…ぃぅ……」

 困惑するメルロに、イムルンはニシシと意地悪そうな笑顔を向ける。

「私が抱えて走った方が早いからねー。ってことでそっちの兵士達は、しっかりついてきなよー。 手加減……足加減かな、この場合? まー加減はするけどさ、遅いと置いてくかんねー。んじゃまレディー……ゴーッ!」

 イムルンがものすごいスピードで走り出す。指名された兵士達も一瞬驚き、しかし慌てて後を追いかけ始めた。

 残された兵士達は呆気にとられるが、メルロ達の姿が見えなくなったところでようやく我に返り、急いでマグル村勢の陣地に向かって走りはじめた。





「な…、んだぁ!? ちいぃっ、せっかくのいい時によぉっ」

 河童は驚愕する。馬の蹄の音からして、近づいてくるのは騎馬兵かそれとも旅人の馬車か何かと想像していた。仮にそれらであれば、河童の実力からすれば十分対処可能だから、慌てる必要もない。

 しかし実際にやってきたのは、複数の脚を持った大きな馬―――魔獣だったのだ。

「!! イフちゃんっ!!」

 シャルールは騎乗から、薄汚れた布の上で、全裸で倒されている知己の姿を確認し声を荒げる。彼女の叫びにドンも上体を傾けて進行方向を視認した。

「イフスの姐さん!! てめぇ、その(ひと)に何してやがるっ!!」

 だが、さすがはドンである。騎乗状態の上、シャルールの身体越しに加えての夜間の視界の悪さの中にあっても、イフスの様子がおかしい事に即座に気付いた。

「(目を開いてじっとしている? …あ、支配されてるっていうやつか!?)」

 館に一人で殴り込んだ時に聞いた、アレクスが語った言葉を思い出す。線が一本につながり、イフスの状態を理解したドンはシャルールに叫んだ。

「イフスの姐さんはとりあえずいい! まずあの泥河童の野郎だ!!」

「誰が泥河童だゴルァ!!? くそ、次から次へとよぉ…いけすかねぇ連中ばっか出てきやがってよぉぉぉぉ!!」

 相手は大そうご立腹らしい。魔獣が猛烈な勢いで迫っているにもかかわらず、その立ち姿にはまるで怯む様子は見られない。

「~~~……ょ~…ぁ…~~」

「!! シャルールさん、右だっ」

「くらぇやぁぁ! <想像より重きもの(アクア・グラヴィ)>」


 ドバババババッ!!! ドババシャゥウッ!!!!


「きゃあああ!?」

「ちぃいっ、野郎! 詠唱魔法を使えやがるのかっ」

 ギリギリのところで進路変更を成功させ、魔法を回避する。河童の周囲から立ち上った多数の水柱は、上空でムチのようにしなりながら一つの塊を成し、ドン達に覆いかぶさろうとしてきた。しかし水の重圧はすべて地面を打ち据え、突進してきたスレイプニルには当たらなかったものの、その場に大穴をあけていた。

「チッ、勘のいいのがいやがるか。あー、あー、面倒くせぇ…ますます割にあわねぇじゃねぇかよ、これじゃあ……よぉおッッ!!」

 全身の泥を振りまきながら河童が突進しだす。大魔法を咄嗟に回避したために態勢の崩れているスレイプニルは隙だらけだ。どこから取り出したのか鞭を手にすると、それを大きく振るい、距離を詰めてくる!

「ぐっ…シャルールさん、あぶねぇっ!!」

 痛む傷。しかし堪えてドンはシャルールを左側へと押し、彼女の右側へと飛んで河童の鞭の前に飛び出す。騎乗状態では機敏な動きはできない、まして戦闘経験などほとんどないシャルールを庇うには、身を呈するしかなかった。

「ドンさんっ!!」

 シャルールの叫びが上がるが、既に手遅れ。河童の鞭は既に包帯だらけのドンの身体までほんの数cmの距離にある。最速で音より早いと言われる鞭の攻撃速度は、確実にドンの身を切り裂く――――はずだった。


 ビシリッ!! ドサッ


「んな!? …な、なんだと?? ど、どっから出てきやがった、このアマぁ!!?」

 最悪の光景を予想して思わず目をつぶったシャルールも、その身を打ちのめされる事を覚悟したドンも、そして態勢の立て直しが間に合わず、己が騎乗者が危険に晒されるを悔いたスレイプニル(魔獣)も、その全員の予想を裏切った者に対し、河童の驚愕の声がこだまする。

「やー、相変わらず頑張ってるねぇ、ドンちんは」

 その言葉遣いから、何者が現れたのか即座に理解したドンは、抱き留められたその者の片腕の中で微笑を漏らした。

「え…ぁ、い、イムルン…さん?」

「やほー、シャルちんも久方ぶりぃ…といっても数時間くらいぶりだけどネ」

 ドンを抱えながらもう一方の腕で、河童の鞭を絡めとって握っているイムルン。まるで平然としているが、河童とイムルンの間でムチは完全に伸び切り、今にも切れてしまいそうなほど緊張してギチギチと音を立てていた。そこに互いの引っ張り合う力がこれでもかと込められているのは想像にかたくない。

「こ、いつ…くっぐ…、お、オレの…ムチを…ッ」

「んー、どしたの? ほらほら。もっと力入れないとー、ウチみたいなイイ女は釣り上げられないよーん、泥河童ちゃん♪」

 河童は既に全力だ。しかしイムルンは子供相手に片手間でお遊戯の相手をしている親戚の叔父さんのような様子で平然としている。

 それだけでも河童にとって十分に由々しき事態なのだが、彼の危機感は大警報を(わめ)き散らかして止まない。理由は、まったく気配も何もなく、突如として割って入り、音速前後の攻撃を軽々と受け止めていたという事実にあった。

「(こ、このアマ……やべぇ、やべぇぞ? こいつぁ…)」

 そもそもバランク一味がこれまで様々な悪事に手を染めながらも、ほとんどその悪名が知れ渡っていないのは、彼らの危機に対する保身能力が高かったためだ。

 直観的にヤバい山は感じ取れるため、自分達の手に負えない話や敵は未然に避ける事ができていた。

 だが、手に負えないレベルがその信頼に足る直感が反応するよりも先に現れてしまった今回のような例は、河童にしても初めての事だ。いつも卑屈な河童の表情には、怒りでも喜悦でもなく、この地上にきてはじめて、恐怖の色で塗りつぶされていく。

「さーてぇ? どうしてくれちゃおうかねぇ、この泥河童…」

 ニッコリとした微笑みを伴う一言は、発声と共にドスのきいた迫力に満ちたものへと変わってゆく。


 笑ってはいる、笑ってはいる…が、イムルンのその笑みは、河童への殺意に満ちていた。




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