第7章4 崩れゆく企図
―――――ミミが囚われてより4日目の昼前。
「おー、こっちでもやってるねー」
イムルンは目を凝らしてまだ結構な距離の先の戦闘を確認し、喜悦の声を上げた。
「すごいのー、もう着いたー?」
ムームも進行方向を凝視するも、見えるは微かに上りになっている街道と、それに沿うロズ丘陵の大森林の木々ばかりだ。視界の限界である地平線まで村らしいものはどこにもない。
「んー、あとちょいってとこ。仕事上、遠見を鍛えてるからねー。ムーちゃんにはまだ見えないかな」
いかに小柄とはいえゴブリンと、それを保護するように包んでいるスライムを抱えて走り続けている悪戯魔族だが、息一つ乱していない。
途中、ドンのケガの手当てで休む時間が取れたとはいえ、重量にして100kg近くにもなる二人を抱えながら、女性らしいボディラインを持つその姿からは想像できないほどの体力を感じさせる。
「ところでドンちんは大丈夫? 息止まってるなんてことはないよねー?」
「今はねてるー。あのカマキリのせいー」
鬼蟷螂との戦闘で負った新たな傷と出血量で、ドンは相当に憔悴していた。ムームに包まれているおかげもあって、イムルンが殺しきれない僅かな揺れすらも感じさせる事なく運べてはいるが、早いところ本格的な治療を施す必要がある。それは運んでいるイムルンにしてもよく理解している。
「まー、ドンちんもゴブリンにしちゃデキる方だろうけど。アレを相手するのはさすがに無理だろうし、しょーがないねー」
気楽な口調に、僅かだが真面目さが宿る。魔王直属故に、イムルンの強さは並みではない。そんな彼女の尺度からすれば、鬼蟷螂とドンの実力は大差ないどんぐりの背比べ。だが、そこで考えるのを止めてしまうのはよくない。
諜報や調査が主任務の彼女にとって、深くかつ詳細に検証し分析することは必須であり、いかな弱者達であろうともドンブリ勘定で一まとめに見るなど、犯してはならない愚である。
「むー…、すごく怖かったのー」
言葉の上ではそれは鬼蟷螂に対するものだろう。しかしムームの “怖かった” は、自分にも向けられた感情である事は、その口調から容易にくみ取れる。
「あはは、ごめんねー、怖がらせちゃって。ま、そんだけ私が強いってことで―――…とと、そろそろムーちゃんにも見えてくると思うよっ」
イムルンは念のため、急ブレーキをかけて街道から脇に逸れた。
『ヒヒーンッ!!』
嘶きと共に黒と白を宿したその身を翻す。村人達が形成するバリケードの向こうから飛び出し、双方の中央に躍り出たソレに、プライトラの分隊およそ200少々は誰もがその身を硬直させるほど驚いていた。
「な、なんだ!?」「う、馬??」「いや、いやいやいやデカすぎるだろうっ!?」
見た目には黒と白の美しい毛並みの馬に見える。が、その体長はおよそ8mほど。地面から頭までの高さも5mはあるかという巨大馬である。
生まれ落ちてよりまだ1月にも満たないその馬が、スレイプニルと呼ばれる魔獣である事を知る者はこの分隊にはいなかった。ゆえに、彼らの驚愕と混乱はより大きなものとなっていた。
「ええい、落ち着け貴様ら!! デカかろうがたかが馬だぞ、こけおどしだ!!」
懸命に分隊の長とおぼしき者が声を張り上げるが、浮足し立った部下達は簡単にはしずまらない。
「よし、いくよジロちゃん!」
「…了解。任せてもらおう」
馬の背に乗り、操るはシャルールだ。軽くポンポンと馬の首筋を叩くことで前進を促す。
シャルールのすぐ後ろに同上しているはジロウマル。いつもの酒場マスターの装束を脱ぎ、胸筋の盛り上がりであるかのような胸部を形成すべく、普段は服の下で組んでいる3組の複腕をさらけ出している。
複腕はそれぞれに短いナイフのような刃物を持ち、主腕は一振りの鞘に納めた刀のみ手にしている。
ジロウマル自身の頭部の形状やインセクトエビル特有のその全身の外殻の質感が鎧の如く見え、まるで騎馬武者のような雰囲気を漂わせていた。
「ええい、たかが馬1匹、こうしてやればよいのだ!!」
焦れた分隊長が短めの槍を投げる。その穂先はスレイプニルの額めがけて飛ぶ。しかし分隊長はそれと同時にその多脚に向かっても手の平に乗り切らない程度に大きい石を投げつけた。
ならず者ならではの荒っぽくもやらしい攻撃だ。
一見すると本命は槍の方だがそれこそ囮である。進んでくる馬の勢いを崩すためには足への攻撃のほうが有効。しかしあえて殺傷につながる刃を持つ槍に敵の意識を向ける事で、確実に脚を崩す意図での攻撃である。
並みの騎馬であればそれでも通用しただろう。だが―――
パシッ、ガキンッ!
「な!??」
分隊長は最初、何がどうなったのか理解できなかった。まず馬の額への槍は騎乗者の後ろから上空へと身をひねりながら飛び出した何かが掴んで、突き刺さるのを阻止した、これはまだわかる。
ところが石の方はというと、あきらかに馬の脚に当たる前に弾かれた。しかもなぜ弾かれたのかまったくわからない。強いて言えば見えない壁でもあったかのように弾かれてしまったのだ。
「うわああ! こ、こっちに突っ込んでくるぞぉ!!!」
そうこうしているうちに、スレイプニルとならず者達の距離は詰まる。彼らはますます混乱し、我先に逃げようとしてせっかくの隊列を自ら崩してしまった。そんなところへ、ジロウマルが飛来する!
「…御免」
キンッ…シュバンッ! シュババババッ!!
空を裂くような音。何も触れずに、空振りしたかとしか思えない攻撃音。しかし1秒の間の後、4、5人がその場に崩れ落ち、血を噴いた。
「な、なんだと!!?」
「お、おい、アイツ…や、やべぇんじゃ!?」
「うあああ、まだ死にたくねぇよっ!」
「お、押すなっ、あの馬がこっちに…ぎゃぁああ!!」
ドカカッ!! ドカッ、ドカァッ!!
ジロウマルが最前衛の数名を斬り伏せたところを突破口として、スレイプニルが勢いそのままに突っ込んでくる。
まだ子供とはいえ、その体躯である。混乱深まる烏合の衆を蹴散らすのは容易い。
「やったねっ、ジロちゃん!」
「うむ…。よし、いまだザード!」
待ってましたとばかりにザードが立ち上がった。村人達の中でも比較的マシな者で構成された突撃組が、それぞれ思い思いに手にしている武器の握る力を強める。
「いくぜぇ、これでしまいだ、気張れよっ! 全員突撃だっ!!」
ワァァァァァ!!
こうなったらもうプライトラ分隊に勝ち目はない。隊列は完全に崩壊し、戦闘意欲も失っている相手など、いかに村人であっても遅れを取ることはない。
ザードやジロウマルといった個たる強者が、至らない村人の戦士をカバーしながらならず者達を潰してゆく。シャルールがスレイプニルの巨体でもって負傷者の後退を援護する壁となり、攻めるマグル村勢の最後尾に配するが、その位置はどんどん前へと進んでいった。
「ふーん、やるねぇ。なかなか面白いじゃん、こんな村もあったんだ」
マグル村が見える木の上から戦況を確認するイムルンは、つい自分も飛び込みたい気持ちにかられる。だがこれ以上の任務外行動は、さすがに怒られるかと自重せざるをえず、もどかしさから自分の身を抱いて震えた。
「おや…アレってば…」
ふと大混乱に陥っているプライトラ分隊側を見ると何やら一人、集団をかき分けて後ろへ抜けゆく者がいるのが伺えた。
「……ま、あとネズミ1匹に足のっけるくらいならいっかな?」
そう呟くとドンとムームが待機しているところにひとっ飛びで着地する。そしてイムルン達はすぐさま移動を再開した。
「リジーン様、言われた通りプライトラのとこに500ほど向かわせましたぜ」
報告にきた部下の前でも、リジーンはソファーに横になったまま応対する。
「はーい、ごくろーさまー。ふぁぁぁ、にしても北は何やってんだかね~。こっちはちゃんとノルマ達成してんのにさーぁ?」
「まったくで。リジーン様の爪の垢も一緒に送ってやるべきでしたね」
部下の軽口を前にして、あははと機嫌よく笑う。身を起こし、テーブルに山と積まれている果物や菓子の中から無造作に一つ掴むと、あげるとばかりに部下に放り投げ、続けてもう一つ掴むと今度はそれを頬張った。
「そーいやさー、思い出したけど…んー、なんだっけ? 西の町…」
モグモグと咀嚼しながら、うーんと頭を抱えるリジーンに、部下は何が言いたいのかを察し、あぁと口を開く。
「ハロイドですかい?」
「そうそう、そのハロイド。なんかさ、前に送った連中いたじゃん? アレって結局どーなってんの?」
「まだ、なんの連絡も来てないです。サボってんじゃないですかね? 一応、確認のためにもう100ほどを2回に分けて送ったんですけど、昨日の今日ですし、そっちからもまだなんとも言ってはきてやせん」
部下は興味なさげに答えるが、リジーンは少し苦々しい表情を浮かべた。
「…いった連中やられちゃってる、なんて話はなしだかんね? 北の連中を笑った後でこっちも失敗してましたー、なんてカッコ悪いしさーぁ」
「ははは、まさか。たかだか町人相手にしてやられるなんざ、プライトラとこの連中だけで十分ですぜ」
部屋の扉付近で控えていた護衛が、さも可笑しいとゲラゲラ笑いながら口を挟んでくる。それもそっかと、リジーンもケラケラ笑い声をあげた。
もともとオツムがよい連中ではない上に、シュクリアという都市を陥落・制圧しているという功績が、リジーンも含めて軍全体に油断を蔓延させていた。
加えて制圧以来、都市内でやりたい放題の日々だ。享楽に溺れるのも当然で、なおかつ当の本人たちにはそんな自堕落している自覚などこれっぽっちもない。
自分達は正常に機能していると信じて疑わず、だから自分が多少怠けても問題ないと、頭から末端までの全員が見事に気を抜きまくっていた。
―――その頃、当のハロイドでは…
「すげぇ…、町長すげぇよ! これでもうざっと700か、800くらいはやれたんじゃないか!?」
「ああ、領主様の残してくださった魔法はすごいな…。魔法なんてほとんど見たことなかったけど、こんなにもすごいものなのか」
今しがた100人ばかりのならず者達を屠ったばかりで興奮気味にある人々の中、町長は息を思いっきり吐きながら地面に片膝を付けた。
「ぜひ、ぜひ…さ、さすがに…厳しいわい。負担が凄まじい…はひ、はひ…」
満足に呼吸を整える事もままならないほどの疲労感。他の者たちと一緒に喜びたい気持ちはあるが、一度片膝を付いたその身を再び立ち上がらせる事はかなわず、そのままその場に崩れるようにへたり込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか町長!?」
しかし、町長は呼びかけに応える余力はないらしく、荒い息をつくばかりだ。
「無理もねぇ。あんな凄まじいの、リスクがねぇはずもねぇもんな…」
「町長ばかりに無理はさせられないぞ。次に連中が来たら我々が頑張ろう!」
「町長は少し休んどくれ。なぁに連中もそうすぐには次をよこしては来ないだろうさ、なんたって一人残らず消し去っちまってるんだからねぇ。もし来たってあたしらがなんとかするよ!」
そう言われて後方に運ばれる狸獣人の町長。勝利の連続が町民達の士気と意欲を高めてくれている。
加えて中高年の女性が述べた通り、生きて退散した者がいない以上、敵は事態をすぐには把握できないはずである。新たな襲撃があるとしても、すぐにはこないだろう。
そんな良い流れが出来ている事に安堵したのか町長は運ばれる最中、いつしか寝息をたてていた。
――――ウオ村東部。領地境界線付近。
ベッケス軍およそ1200は今、この街道をひたすらに東進し続けていた。
「…おいおい、マジで越境する気かよ?」
「あーあ、どうなっても知らねーぞ…くっそ、ケガ人連中が羨ましいぜ」
サスティ制圧戦の結果として、当初2500だったベッケス軍はその数を1600まで減らした。さらにサスティの町の制圧維持部隊に200を残し、加えて負傷者を中心にウオ村に200を残したため、その実質的な戦力はすでに半分以下となっていた。
にも関わらず、ベッケス個人の欲望…否、暴走といってもよい指揮から、彼らは誰もが危惧せざるをえない危険極まりない火遊び的な行軍を強いられていた。
「そこぉ! 無駄口を叩いている暇があったら、足を動かせぇい!! 進め、進むのだ! 我が軍こそ最強! 我が軍こそ侵略するにふさわしいィ!!」
「(なんだよ、侵略するにふさわしいって?)」
「(アイツ、もう自分が何口走ってるかわかってねぇんじゃねぇか??)」
ならず者達の士気はだだ下がりだ。ただでさえ本来の最終目的地であるウオ村の制圧を終え、自分達の仕事はもうないはずだったのがこの更なる進軍である。確かに戦闘がなかったとはいえ、ようやく楽できると思っていたところへ残業を押し付けられたも同然なのだ、やる気のある奴などいるはずもない。
「(どうする? 逃げちまうか?)」
「(まだたいした金も貰ってねぇしなぁ…)」
それでも従っている理由。それはひとえに個人的な実入りがいまだ少ないためだ。ただでさえ欲深い彼らが、リスクとコストを支払って得たリターンが未だ割に合わない以上、途中下車する損切りという選択を取る事はできない。
「(収穫なしってのも確かにシャクだ。でもな…アレの下にいるとそのうち火傷しちまいそうだしよ)」
しかしその不安はすでに遅かったらしい。上り始めておよそ1kmほどの、長く緩やかな高低差10mほどの小さな峠の頂きに彼らが達した時、その先にいた集団と相対したのだ。
「……」
「……」
互いに無言。メリュジーネの命を受け、先行して領域境界線付近の警戒にあたる兵500人からなる部隊を任された隊長たる梟獣人は、目をパチパチと瞬かせる。
相手は明らかにならず者とおぼしき集団だ。しかも結構な数…一目で件の連中である事を理解した隊長が無言なのは現状の危険性以上に、任務を遂行せんと相手をよく観察するためだ。
「(不意遭遇とはまさにこの事…。偵察に来たはよいですが、まさかこれほどの数と鉢合わせとなるとは)」
緩やかな峠の街道は、まだナガン領までは幾分か距離がある。彼が率いる警戒のための先行部隊はナガン領側の領土境界近くで待機しており、今連れてきているのはほんの30人ほどだ。アトワルト領内の様子を探らんとしての偵察行動であったが、この状況は正直マズイ。
「(坂の上と下に加えて、相手は見えているだけでも100から200。おそらくはこれで氷山の一角、というところでしょうな)」
数の差に地形の不利。緩やかとはいえ、峠の頂点からの下り坂だ。ならず者達の方が圧倒的有利である。ワーアウルの隊長はいかにして撤収し、自分の部隊と合流、そして対処方法を考えはじめていた。
「うおおお! 接敵! 貴様ら何をぼーっとしておる! 接敵だぞ! 戦わぬかァッ!!」
敵の指揮官らしきケンタウロスに、えっ? と驚愕の表情で振り向いているならず者達。
「(今ですね)全員撤収! 全速力で戻りますよ」
不意の遭遇にも終始落ち着いた態度の隊長の一声で、伴なっていた者達も一気に走りだす。逃げるのであれば下り坂ゆえ楽だし、敵の隙を突いた事もあって隊長以下30人は一人として遅れる事なく走り去る。
「ええい! 何をしておるかァ!! 敵が逃げてしまうではないかッ、追え、早く追うのだァ!!!」
後ろからならず者達の大将が張り上げる声がこだまする。それを聞いてワーアウルの隊長は軽くほくそ笑んでいた。
口調、態度、そして何より部下であるはずのならず者達の様子―――敵の隊としての練度は浅く、士気も低い事が見てとれる。
いかに数がいようともそんな軍隊を手玉に取るのは実に簡単だ。正規の戦闘要員として仕え、日々訓練を欠かさぬ者からすれば実に楽な敵であった。
「危険はありましたが偵察の収穫はありました。ホッホー、部隊と合流しだいメリュジーネ様への連絡を飛ばすように。本隊が到着するまでは我々で時間を稼ぎますよー」
「「「ハッ!」」」
まるで焦りなく淡々と指示を出す隊長に、随行する者達も意気よく答える。ようやく追いかけてき始めた敵との距離はどんどん広がり、やがて敵の指揮官が喚き散らしている内容すら聞き取れないほどの距離をあけて、彼らはナガン領へと飛び込んだ。
――――ミミがドウドゥル駐屯村に捕らわれてより5日目。
イケ村の人々は、その訪問者を冷淡な視線で睨みつけていた。
「……ふむ、このような村があったとは知りませんでした。ここに隠れている可能性は高そうですね」
言いながらバランクは村内をキョロキョロと見回す。鄙びた小さな村だ、なるほど出回っている地図にも載っていないのも頷けると、小馬鹿にしたように含み笑う。
村人達がバランク一味を睨む理由は簡単だ。バランク達が領主様を探しているからに他ならない。
バランク達はあまりにも本物の領主の捜索が難航したため、領内に散って行動していた。このイケ村を発見したのは一味の一人であるハニュマンだ。それも昨日見つけたばかりで、地図にも載っていない村という事もあって目当ての相手が潜んでいる可能性は高く、バランク達も急ぎ駆け付けたのだった。
「ところで、オークはどうしました?」
ハニュマンとウォーターインプは駆け付けたというのに、もう一人の手下の姿がない。その消息を心配して、というよりは招集の命令に従っていない者がいるという事への不満からくる質問に、|河童はケケケと可笑しそうに笑いながら答える。
「あの豚は足が遅ぇからな。確かドウドゥル駐屯村の方へ行ってたしな。そこそこ距離があっからあの豚野郎じゃあ、もう何日かかかんじゃねぇの?」
バランクと河童はハニュマンからの連絡があった時、比較的この村に近い位置にいた事もあって1日足らずで駆け付けてこれた。しかしドウドゥル駐屯村方面に向かったというオークは、よく肥えていてお世辞にも身体能力が良いとはいえない手下だ。
一味にあってもその役どころの大半は使いっぱしりや壁役、あるいはその体躯を活かしての力任せな作業などだ。加えて仕事はするが、長続きしない飽き性かつ怠け気質であり、大方ドウドゥル駐屯村方面に捜索に向かったのも、サボって駐屯村で食事なりにありつくためだろうと、オークに対する3人全員の評価は一致していた。
「あるいはあの偽領主が気に入った、というセンもありますか。ま、そこはどうでもいいですが、この私の招集に応じないというのは感心できませんね」
村人達の排他的な態度と視線などどこ吹く風で話している3人。もとより僻地にある村で、来訪者には警戒心が働く村人達だが、その目的があの領主様だとなればこのイケ村の人々からすれば完全に敵でしかない。
「そういえばバランクさん、あのメイドは?」
「ああ、彼女ですか。ハッキリいって今は役に立ちませんよ」
ハニュマンの問いに答えるバランクはやれやれと両肩をすくめ、首を横に振る。
「? なんでですかい? 領主に仕えてた奴なら、領主の事を何かと知ってるんじゃあ?」
河童の疑問はもっともだとハニュマンも肯定するように頷く。しかしバランクはため息をついた。
「確かあのメイド、イフス…とか言いましたか。彼女に飲ませたのはあくまでその身を支配する、いわば操り人形と化すためのアイテムです。自我を封じ、その動きこそ自在に管理し、操作する事が可能ではあるのですがね…喋らせたり、自発的な行動を起こさせるといった事は出来ないのですよ」
そう言って、パチンと指を鳴らす。
すると村の外で待機していたイフスが、一足飛びで村内へと入り、テクテクとバランク達の元へと歩み寄ってきた。
「!? …あ、あのメイドさんは?!」
家の窓からバランク達を覗き見ていた小さな眼が見開く。忘れもしないその容姿が、バランクとかいう胡散臭い連中と行動を共にしている事実に驚愕した。
「とまぁこのように。私の命令には忠実に従いはしますがそれは行動のみ。支配しているとはいっても、そうそう都合よくはいかないという事です」
「なるほどな、洗脳とは違うってワケか。ま、仕方ねぇんじゃねぇか、それよりとっとこの村を探しちまおうぜ?」
河童の言葉に、バランクが口の端を吊り上げた。
「ええ、どうやら…このメイドさんと領主の事を知っている者がいるようですしねぇ?」
軽く頭を下向け、両手を後ろに組んだままバランクの左目だけが動き、一軒の家の窓を捉えた。
その瞬間、ハニュマンが跳ぶ。
「な!?」
様子をうかがっていた村人の一人が上げた声であったが、それはバランク達を睨みつけていた全員が共有する声でもあった。
村でも最も小さき少年。その首根っこを掴まれ、家の外に連れ出されたのは、ほんんの1、2秒ほどで起こった出来事だった。
「な、なんだよ! はなせよっ。この、このっ…サルやろーっ!!」
首根っこを掴まれたまま、キックを繰り出す少年だがただでさえ腕が長めなハニュマンだ、当然リーチが足りず空を蹴るばかり。当のハニュマンはクックックと笑いながら鼻歌交じりに少年の抵抗を眺めている。
「さて少年。どうやらキミは、このメイドの事を知っているようですが…、いろいろと話を聞かせてもらえますかねぇ?」
「へんっ! 誰が! おまえらみたいなのに話す事なんかなんもねーやっ!!」
するとバランクは指をパチンと鳴らし、傍に無言で控えている彼女に命令を下す。
「衣服を脱ぎないさい」
そう言われたイフスは、なんら躊躇う事なくメイド服を脱ぎ捨てはじめる。村の中央、やや開けた場所で下着姿になり、そのまま立ち尽くした。
「な…なんだ?」
「あいつ、メイドさまに何させようってんだ…」
「一体何が目的なんだ、奴ら?」
家の窓から覗く大人達は、バランクらが領主様を探している事、そして領主様のメイドをなんらかの方法で操っている事までは連中の会話の内容から理解していた。しかし連中の目的や正体が判然としない以上、うかつに敵対的な行動を取るわけにもいかず、様子を見ているしかできない。
そんな中で始まった突然のイフスへの脱衣命令は、彼らをおおいに困惑させた。
「河童」
「あいよっ、へへへ、役得だなこりゃあよっ♪」
バランクの、感情の宿らない声による指名を受け、何をさせようとしているのか理解している河童は、舌なめずりと共にどこからかソレを取りだし、そして…振るった。
バチンッ!!!
「「「!!?!」」」
様子をうかがっていた村人達は、当然その行為に驚く。
イフスの白肌に痣が刻まれた。だが彼女は微動だにしない。苦悶をその顔に浮かべることもない。まさしくその場に立っている人形の如く変化を見せない。
無数の打鞭を一つに束ねて短くしたようなソレは、一件すると遠目には書棚などからホコリを落とすハタキ棒のようにも見える。しかしイフスの肌を打った際の音は、間違いなく拷問用の鞭の音のソレだった。
「さて少年。話を聞かせてもらえますかね? この村に、領主はいるのですか?」
「………」
問われても、少年は今しがたメイドさんに行われた仕打ちが衝撃的すぎて、唖然としたまま反応できない。
「河童」
「あいよっ!」
バチンッ!!
「…ッハ!? な、何してんだよ!?! や、やめろよぉっ!!」
二度目の鞭打ちの音で我に返った少年は、可能な限り精一杯叫ぶ。
「この村に、領主は、隠れて、いるのですか?」
バランクは物腰や態度こそ変えず、しかし所々を区切って訊ねる。その言い方は、言明こそしないものの少年が答えなければさらにイフスに鞭打たせるという事を示唆していた。
「い、いないよ! 領主様はお忙しいんだ、早々こんな村に来られる事なんてあるわけないじゃないかっ」
仮に来ていたとしても言うわけがないが本当にいないのだからと、少年は搾りだすように言葉を吐く。
もし少年に対してこういう行為を行ったならば、村の大人達が怒り狂って襲い掛かってくる可能性があるだろう。少年自身、痛みに我慢して口をつむぐ可能性も高い。
だが、領主とそのメイドでるイフスを知っている様子のこの村の者達に対し、ならば知己であるイフスをあられもない姿で打ちのめす姿を見せたならばどうか?
己への攻撃ならば我慢できるが、知己や親しい他者を拷問にかけるのは精神的に耐えられないものである。
だからこそ、バランクはイフスを鞭打たせた。実際、様子を見ている村人達の心が波打っている事が、その動揺ぶりから伺いしれ、この方法が効果的である事を示している。
「そんなはずはないでしょう? 我々は是が非でも領主を捕らえなければならないのです。隠し立てするのでしたらば…」
クイっと顎で合図する。河童はニタリといやらしく笑うと、その手を振るった。
ビシッィ バシィ! ドビチィ…ンッ!!
イフスの上下の下着、その細い部分が打たれて破ける。かろうじて糸1、2本で繋ぎ止められている状態だ。
「ほ、本当だよ! いないってば!! それに捕らえるってなんだよっ!?」
「それはキミには関係のない事。説明する必要はありません。ただ質問に答え続けていればよいのですよ、バカみたいにね―――」
言いかけて、バランクは自分の懐が光りだしているのに気づく。それは一味が共有して所持している簡単な言葉を伝え合う事の出来る正方形の宝珠――魔導具――だ。
「やれやれ、オークからですか」
「あの豚、やっと連絡よこしてきやがったかぁ? ケケケ、どーせ遅刻の言い訳かなんかだろーな」
だがハニュマンと河童の言葉がまるで耳に入っていないかのように、バランクは取り出した宝珠を覗き込んだまま、ワナワナと震えだす。
「? どうしたんだバランクさんよ。オークの野郎、何かしでかしたのか?」
ただ事ではなさそうな様子にハニュマンが少年を掴んだまま、宝珠を覗き込んだ。そこには―――
## ドウドゥル駐屯村*もう捕われてた*ホンモノ領主*超ウマー ##
「なっ?! こ、こりゃぁ…バランクさん?」
オークの思わぬファインプレーに、ハニュマンが驚きと喜悦を浮かべるが、バランクは歯を噛み締めて憤怒していた。
「おいおいおい、マジかよあの豚。ってか最後の超ウマーってなんだよ??」
河童も何事かと宝珠を覗き込み、意外な仲間の意外な報告に笑みを浮かべ、そしてすぐさま妙ちくりんな文面に首を傾げた。だがそんな飄々とした雰囲気もバランクの怒りの前にすぐさまナリを潜める。
「………~~~ッッッ!! 急いで、ドウドゥル駐屯村に戻りますよ!! くそ、あの犬めッ!!!」
捕らえたにも関わらず、いまだその情報が革命軍内に出回っていない―――その事実だけで十分だった、バフゥムに出し抜かれたと判断するには。
「あ、ちょっとバランクさん! メイドはどうするんで―――」
「ええい服は捨ておき、そのままついてきなさい! その恰好ならばいい見せしめになる! それに事は一刻を争うのだ、細かい事はどうだっていい!」
見たこともないバランクの態度にハニュマンと河童は顔を見合わせる。そして少年を適当に投げ捨て、鞭をしまい、2人もバランクの後に続いて走りだした。
鞭に打たれた痕を残すイフスも、命令通りそのまま2人の後に続いて村から走り去ってゆく。走る動作から、かろうじて纏われていた下着すらも切れて落ち、しかし全裸になっても彼女は己の恰好を意に介する事なく走り消えた。
「………た、大変だぁっ」
バランク一味の姿が見えなくなってから、家々から出てくる大人達。少年はイフスの残したメイド服を回収しつつ、ハニュマンに掴まれながらも宝珠に覗き見えた文面を、寄ってきた大人達に向かって必死に説明しはじめたのだった。