第1章1 領主様は悩ましい
※2016年12月24日、ミミのなんとなくイメージイラストを追加しました。
※2019年08月05日、改行を見直しました。
ドサドサドサ…ッ!!
運ばれてきた大量のスクロールが、執務机の上に山を成す。その様子を眺めながらこの館の主、ミミ=オプス=アトワルトはげんなりしていた。
「……多い」
試しに一番上のスクロールをそっとつまみあげてみる。包まっていた用紙がベロンと捲れおちて、やたら大量の文面が記された紙面があらわになった。
内容は読まなくてもわかる。領民より寄せられた領主に対する要望――――“嘆願書”だ。しかしその内容の大半を占めるのは不満や文句であり、まともなものは10分の1ほどしかない。確認するだけでも面倒この上ない仕事が、ここ数日続いていた。
「そうおっしゃらないでくださいミミ様。これでも本日はまだ少なかったほうですよ? それと、そんなはしたない御姿は控えてくださいね。せっかくの御衣装がシワだらけになってしまいますよ?」
腰掛けている椅子の背もたれから背中を離し、机の上にアゴをのせてへばっている主。
その側ではこの館唯一の使用人にしてたった一人の部下は窘めの言葉をかけつつも、忙しなくスクロールの束を運び込む作業を続けていた。
―――ルオウ=イフス。
彼女はミミの雑務を手伝いつつ、館を完璧に保持する優秀な使用人だ。
ロングスカートのクラシックなメイド服に身をつつんでおり、彼女が歩を進めるたびにヘッドドレスの後ろに見えるツインテールが、水色の輝きを放つ美しい清流のように流れている。
………ボディラインが少々スレンダーに過ぎると、本人はよく漏らしているが、真面目で頼もしく、そして優しく温和な微笑みを絶やさない、誰からも愛されるであろう十分すぎるほど魅力的な女の子だと、ミミは思う。
「魔王様も手元に置いて、ナニ考えてたんだか…」
彼女は魔界の、その最たる長である魔王の元にて仕えていた。
3年前、ミミがこの地に赴任するにあたり、慣れない地では何かと不便だろうということで、餞別がわりにとミミに付けてくれたのだが……
「? どうかしましたか?」
「んーん、なんでも~。それよりイフー、それ運び終わったらちょっと頼まれてくれない?」
「はい、なんなりと。ですが、もう少しありますので、先に全部運んできますね」
まだあるの―――一度は上げた頭を再度机に伏しながら、ミミは深く長いため息をつく。より高く積み上げられた山が軽く揺らぎ、その最上部の数本が転がって、仕事の前から疲労感たっぷりのこの領主様の頭を小突いた。
「ミミ=オプス=アトワルト、通称ミミ。年の頃は287……まぁワラビットとしてはまだまだ一人前とは見なされない若さですな。しかしながら同族内において最上となる、獣属中八位侯爵・ワラビット第一位爵・地方準司爵と、いくつかの爵位を有しているアトワルト家の現家長。3年前、魔王様より地上に領地を与えられ、現在はそちらに赴任しており―――」
黙って話を聞いていた者が、しびれを切らしたように豪奢な椅子の手すりを乱暴に殴りつけ、彼の話を中断させる。
「そんな事もう知ってる!! 他の情報はないのか!?」
男性でなければ愛らしさを感じたであろう甲高い、聞くものに不快感を感じさせる声。威厳の感じられない怒号をいくら浴びせられたところで、なんと滑稽な事かと、彼は心の中でただただ目の前の男を嘲笑する。
「……先の大戦もありまして、残念ながらまだ目新しい《《もの》》は仕入れが滞っているのですよ、アンバーさん?」
「《《ウンヴァーハ》》だ! おまえ、このボクをなめてるのかっ!?」
「おっと、これは失礼。ですが、私どももまだ“戦後”でしてね。おそらく他の情報屋なども皆、似たようなものかと思いますよ」
そもそも現在、本当ならば彼にとって仕入れに集中する時期であった。それを無理矢理呼びつけられ、どんなにワガママを言われようとも、ないモノはない。
―――――ここは魔界の一角、ファルスター家の別荘地。
商人のオ・ジャックはこの別荘の主、ウンヴァーハ=アバング=ファルスターに呼ばれ、情報を求められていた。
「くそっ! 学園卒業と同時にさっさと地上にいっちまいやがってあの女! みろ、この傷跡を!! せっかくボクの《《愛玩物》》にしてやろうと下手に出て、丁寧かつカッコよく誘ってやったというのに!!」
「(丁寧かつカッコよく…ねぇ。《《コレ》》に囲われる事を良しとする女性が、世の中にそうそういるとも思えませんが)」
その話ならばジャックも耳にしていた。《《顧客》》の事を調べるのは、商談を円滑に進めるのみならず、危険な相手を避け、己の安全を計るためにも重要だ。
当然、ウンヴァーハの素性や過去もおおよその事は頭に入れてきていた。
「ははは、まるでサッカーボールでも蹴ったかのような、見事な蹴り痕で」
だがジャックはあえて知らぬ素振りで軽やかに笑ってみせる。本気で馬鹿にしているわけではない、相手の身に起こった災難を慰めるための行為だ。
しかしそんな上っ面なコミュニケーションとは別に、彼の意識はまるっきり違うところへと向きつつあった。
女性に対してとんでもない告白をした彼も彼だが、それを蹴り飛ばして断わったという相手も相手……俄然、興味が湧いてくる。ミミ=オプス=アトワルトという人物に。
「(地上に行かれる前に一目お会いした事があったはず。にも関わらずいままでさして思い出しもしなかったとは……これは存外、食わせ者やもしれませんね)」
周囲に怒りをぶちまけながら何事かわめき散らしている目の前の小動物はスルーし、ジャックは深く思い返してみた。
確か美少女が多いワラビット族の中でも、とびきりの美少女であると言える容姿であったのは間違いない。だがそれだけならば彼にとっては上流貴族に献上する愛玩者としてならば確かに有望、というだけの相手である。
相当な昔において、魔界にあって容姿に優れた者を多く排出する種族は、他種族の異性によく狙われた。
闇の取引きで売買されていたケースも多く、結果としてそうした種族は排他的になり、今日は種族領土に篭ってしまい、他種族との交流が乏しくなってしまっている。
その分、愛玩者としての価値はさらに高まり、好きモノの貴族に献上すればこの上なく喜ばれる彼女達は、ジャックにしても公には言えない類の《《商品》》となれるであろう程度の認識しか持たない者達だ。
彼に言わせれば男女を問わず、容姿にしか価値がない存在など、ゴミのようなものだという。
そうした考え方であるがゆえに、たとえ何者に接しようとも彼はまずその存在にいかほどの価値があるのかを量る癖があった。
――敬うべき御方か?
―――適度に友誼を交わす同列者か?
――――財貨にも劣るゴミか? 排除すべき危険者か? 利用すべき愚者か?
彼の中にインプットされていたミミという名のワラビットは、その基準でいうところのゴミに分類されていた。
しかし、もし本当はそうではなかったとしたら……
「(あの時、彼女の価値を見誤った? この私が? そんなはずはない。他の何を差し置いても、目利きだけは決して疎かにはしない。あの時は魔王を相手どっての商機の前であった故に、かつてないほど気を引き締めていたハズ。ならば考えられる答え、それは……私が彼女に欺かれた、という事に…)」
「…おい、おい聞いてるのか、ジャック!?」
「ああ、これは失礼を。ちゃんと聞いておりますよ? ミミ=オプス=アトワルト侯の調査依頼の件でしょう?」
情報がないというのなら掴んで来い、というわけだ。
頼まれなくともジャックは既に彼女に会いに行くつもりでいた。だからこそ彼はほくそ笑む。
「ですが場所は地上。ここより遠い地ゆえ、時間と費用のほうが少しばかりかさみますが…よろしいですかな?」
「かまわない、いくらでも払う! あの女の…そう、弱みになるような話を掴んでボクに知らせるんだっ、いいな!!」
「(ククク、張り合いがなさすぎます。世間知らずのお坊ちゃんというものは本当にいい顧客ですよ、まったくね)」
本来なら情報への対価は、仕入れた情報の提供に際してのみ支払われるもの。これは商人界隈でも、貴族社会でも常識だ。
だが大貴族の家の息子として甘やかされて育ち、親の権力を盾に贅沢三昧の日々をむさぼっているウンヴァーハは、商談のなんたるかをまったく知らない。
ゴミの山を抱えた屑籠。保有する財産以外にはなんの価値も持たない小動物。
ジャックは下げた頭とは裏腹に、相手を見下し嘲笑するような表情を浮かべていた。
「ん~………<風見鶏の嘶き>っっ」
ヒュウウン! スパパパパッ、シュフゥ~…
ミミが唱えた魔法により、風が彼女の眼前に集まった。そして塊が弾けて、前方へと放射されてゆく。幾筋もの気流が目に見えるほど濃密に描かれ、たなびきながら交わる。
するとそこに生い茂っていたはずの丈の長い雑草は、見る見る切り払われていった。
「これで少しは作業しやすくなるはずですわ」
「ありがとうごぜぇます、領主さま。よぉし、再開すっどーおまえらー!」
オオオォッと歓声が上がる。作業員達は刈り取られた草を踏みしめながら現場へと戻っていった。
領内一番の都市シュクリアより南方、ミミの住まう館との間の街道を寸断するように空いていた大穴。
作業員達はこれを塞ぐのが仕事であったが、降雨により一時中断している間に成長の早い雑草が生い茂ってしまい、仕事が遅れてしまっていたのだ。
「お疲れ様ですミミ様」
イフーが携行用のポットからカップに飲み物を注いで渡してくれる。作業の様子を眺めながら、ミミは手にしたカップを傾けて一気に飲み干した。
「魔法の使い手がもっといてくれたら、作業も捗るんだけどなぁ。人件費にしても抑えられたらいいんだけれど……」
魔界本土とは違って、地上で暮らす人々は魔法に長けている者が少ない。こうした土木工事一つとっても、力と体力に頼っての仕事が中心となる。
彼ら作業員がいかにその道のプロであり、身体能力に長けた獣人や巨人族で構成されているといっても、どうしても時間はかかってしまうし、費用もかかる。
「焦っても仕方ありませんよ。それよりミミ様、お次は?」
「んー…すぐに取り掛かれそうな嘆願書はとりあえず片っ端から、と言いたいけど、今のところ身一つでどうにかできるのはコレが最後。あとはコッチがいりそうなのばかりだから、一度戻って方策を考えないとね」
お金がかかるとジェスチャーを作りながら、どうしたものかと肩をすくめた。
こうして自分の魔法なりでどうにかできる仕事ならば金もかからなくて良いのだが、目の前で作業中の土木工事も含めてすでに結構な額を領内の復興のために当てている。
にも関わらず復興の進捗はというと、全体の1割も進んでいない上に、被害の全容が確定しているわけでもなくこれからも連日、頭の痛い案件はまだまだ届けられてくることだろう。
困ったような表情を浮かべるイフーも、会計帳簿の整理を手伝っているので領地の苦しい財政事情を知っていた。しかしどうあがいても、ないモノはない。
「シュクリアの倒壊家屋は少なかったはずだし、外壁の補修もはじまってたでしょう? ウオ村は現地の商人がいくらか支援してくれたからまだなんとかなるとしてー…」
言いながら指折り数えていく案件の数々。しかしあっという間に両手はすべて握られてしまい、今度は逆に指が立てられてゆく。
繰り返し折って立てて折って……そうして数えられた案件の総数は100を軽く超えていた。
「はぁ~、優先順位つけてお金出してくしかないかぁ~」
「そういえばミミ様? 駐屯村の方はどうなさるんですか?」
彼女の言う駐屯村とは、ドウドゥル駐屯村の事だ。古い時代に戦争の際の兵站用地として建てられたもので、先の神魔大戦時にも物資の置き場所として魔界本土から来た正規軍に使用された。
20m以上にも及ぶ、高くて分厚い木製の防壁で囲われており、内部の状況は外からはわからない。
だが戦時中に攻撃を受けてある程度損傷している上に、戦後に清掃などもされていないため中は荒れて散らかったままのはずだった。しかし…
「後回し。平時は村として使ってたけど、戦争で人口減っちゃった今、あそこに住んでもらう意味ないしね」
戦前の、領内の人口が右肩上がりだった頃、各町や村の居住整備が追いつかず、やむなく村として活用していたが、一気に領民が半減してしまった今では各地の町や村ですら空き家が目立つ。
しかも場所がドウドゥル湿地帯という、環境的にも位置的にも居住地としては微妙な場所にあるため、何か特別な理由でもなければ人を住まわせるにはしのびない場所なのだ。
「今年いっぱいはそういう戦時利用の後始末的な、領内に影響なさそなトコはぜーんぶ後回しっ。すぐ取り掛からなきゃいけないトコですら、ぜんぜん手が回りそうにないし」
「では本日の残りのご予定は館に戻り次第、緊急性の高いものを選定してゆくだけでしょうか? それでしたら私は、シュクリアに夕食の買い物に行ってまいりたいと思いますが」
「りょーか~い。質素でいいから安上がり第一でお願~い」
軽くおどけてみせるミミに、イフーは少し困った様な笑顔で頷く事で了解の意を返す。
領主でこんなにも質素な食生活を送っている人は他にいるだろうか? そんなに切り詰めなければならないくらい、今のアトワルト領の財政は厳しかった。
都市に向かって歩き出したイフーは、作業員達を真似てらしくもない、気合いの篭った声を小さくあげる。今こそ我が買い物の手腕、振るう時! と。
安くとも美味しいものをミミに食べさせなくてはと、雨上がりの空を見上げながら誓うのだった。
――後記――
この話では、ミミの領主としての立場と、彼女にとって明確に敵である者として魔界にいるウンヴァーハを出してます。
ウンヴァーハは、一見すると愛らしいモフモフ系の獣な外見をしていますが、かなり醜悪なキャラです。
でも小物なので脅威度は低く、しかも正式には貴族位を持ってはいないので、貴族社会の中にあってはミミからすれば警戒する相手にはなりません、彼以上に警戒すべき相手が多数存在してるからです。
もっとも自分をを狙う異性という意味では、その動きには注意を払っているのですが。
ミミは領主になる前の学園時代にてウンヴァーハと面識があり、その際に思いっきり蹴飛ばしてますが、ウンヴァーハの大きさは彼女よりもデカイです。
ミミからすれば、ウンヴァーハの大きさはちょうど運動会の玉転がしで使用するアレと同じくらいのイメージ。
ワラビットなので跳躍力がある分、ミミの脚力は結構高いのです。