第4章1 静かなる日々の底で
――――魔界、トルビ村。
ヒョコヒョコとおぼつかない足取りで歩く女性がいた。
その身は、兎抜毛製のフワフワした良い肌触りの簡素なワンピースで包まれている。
一体、何年ぶりにその身に衣服を纏ったことだろう? 彼女は軽く感動すら覚えていた。
「大丈夫か、すぐに動くのは大変だろうが」
自分もまだ不調でありながら彼女を気遣うワラビットの男性。成り行き上とはいえ、共に囚われの身から脱したこともあって不思議な縁を感じる相手だ。
「……平気です。こ、れ…くらい…、ッ」
「っと! 危ねぇなあ。ほら、肩かしてやるから、無理すんなって」
支えてくれた男はこの村で出会ったばかり。不真面目そうな態度の向こう側に、溢れんばかりの思いやりを隠している。
そんなワラビットの男二人。
片方はよく知った顔の、牢獄で共に意識を失って、共に死んだとばかり思っていた。
ところが目を覚ましたのはあの世ではなく、ワラビット達の小さな村のあばら屋の中にいた。
全身に力が入らず、あきらかに自分の命が危うい揺らめきの中にある事を理解した時、彼女は苦しむ時間が長くなっただけと一時は失意に沈んだ。
「はぁ、はぁ……ありがと、う……ございます」
しかし、彼らは献身的に自分を介護してくれた。
異種族が種族領土内に無許可で滞在するのはあまりよろしくない……もしこの事が公になれば、それだけでワラビット族がお咎めを受ける可能性だってあるのに。
「ようやく起き上がれるまで回復したんだ。まだまだ助けの手は必要だろう。遠慮する事はないさ」
「へへ、そーゆー事。カワイイ娘の世話なら大歓迎だぜ、なっ?」
もう片方の男は少し軽薄そうではあるけれど、言葉や態度とは裏腹に献身的な性分らしい。彼女のわずかな変化も見逃さず、その気遣いは男性にしては少し神経質ではないかと感じるほどだった。
「ありがとう…本当に、ありがとう……ぅ、ぅ…」
嬉しかった。一体何年ぶりだろう、誰かから優しくされたのは? 彼女は歓喜にカラダを小刻みにふるわせ、涙ぐんだ。
「そ、そんなに礼を言われるとなぁ。ハハハ、照れっちまうよ」
「お前が照れるなんて珍しいな。雨でも降るか?」
「あ、それヒドくないか?! ……くそー、怪我人じゃなけりゃ一発どついてやったのに」
男達は気楽な友人同士のようだ。彼らを見ていると思い出す―――殺された両親や友達の事。
今度は哀しみで胸が焦がれそうになる。けれどまだ過去を振り返るのは早い。
生き延びた以上はこれからの事を考えなければいけない。
村には藁葺き屋根の可愛らしい家がたくさん立ち並んでいた。
円柱型の家屋の壁は、粘土を固めたようなドッシリとした質感で、新しい家ほど外壁はクリーム色に近く、古いものは灰色にくすんでいる。
だが屋根を形成している藁は定期的に取り替えているのか、どこも真新しかった。
「……意外と、家が多いんですね」
ついこぼしてから失礼な事を言ってしまったと思ったが、男達は気を悪くはしなかったようで軽く笑っていた。
「まぁな。そのかわりといっちゃなんだが、ワラビット族の村そのものはぜんぜん数がないんだ。1つの村辺り…えーと、どんだけっつってたっけ??」
「平均3000軒、だ。それを目安に人口の増減と管理、合わせて村の数も調整しているんだって子供の頃習ったろ? まだボケるには早いだろう」
「うっせ、勉強は苦手なんだよ! …あー、とりあえずそんな感じらしーぜ」
「そんなにいっぱいあるんですか…」
1軒に3人が暮らしていたと仮定すると、1つの村に1万人近くの村民がいる事になる。
それはもはや村というよりも町といってよい規模のはずなのだが――――
「(……それにしては、貧しい感じがする)」
さすがにこれはうっかりでも口には出せない。そう、村はそれほどの人口がいるにも関わらず、村そのものの作りがチープなのだ。
家屋にしてもしっかりと作ってあるとはいえ、原始的で単純な構造だし、村内は当然石畳などを敷いたりはされていない。
自然のままの場所に簡素な家を置いただけの村だ。
「―――かつて私達の祖先が苦しんだ時代がまた訪れないとも限らないのでね。いざという時に村ごと移転する前提の作りとなっているのだよ」
彼女はギクリとした。心の中を見透かされたような発言は、3人のすぐ後ろからかけられた。
「長老! 驚かさないくれよっ」
「長老様。ちょうどよかった、これから伺おうと思っていたところです」
彼らが長老と呼んだワラビットは女性だった。しかも長老と言うには見た目がまだ若々しい。
人間族で言うなら30台後半~40台前半といった年の頃の外見。しかし―――
「え、と…あの」
「おぬしがハイトの連れてきた客人じゃな。ついてきなさい、つもる話もある。私の家にゆくとしよう」
「……びっくりしたろ? 長老様は俺らの中でも珍しい、大型種の末裔なんだぜ」
比較的小柄な種族であるはずのワラビットにあって、2m以上の背丈とモコモコしたたっぷりの毛髪は圧巻の一言につきる。
生来は赤毛であったであろうその毛色は、相応の年齢ゆえか、加齢と共にピンク色へと変色したらしい。
一見するとファンシーで愛らしい大型獣のような長老は、そのままソファーにできてしまいそうな自分の髪を引きずりながら先行し、3人を自分の家へと案内した。
「改めてアンゴウル長老。このたびは迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした」
長老の家は他の家屋よりも一回り大きくて高床式になっていた。入り口からすぐの、家具が何も置かれていない部屋は、村人達との会議か何かに使うスペースらしく、4人が対面する形で座ってもまだ10人程が座れそうなスペースが余裕である。
「頭をあげなさいハイトよ。むしろよく無事で帰って来た、大変じゃったな」
見た目こそ若そうなものの、長老の言葉遣いは相当な年齢を感じさせる、ゆったりとしたものだった。おそらくワラビット族の老化はこの長老の見た目あたりが限界なのだろう。
「それで……客人よ、まずおぬしの名を聞かせてもらえるか?」
威厳はあるが決して威圧的ではない。若者を促す年配者たる優しさを感じる声。
彼女は不思議な気分だった。地獄の日々がいきなり消え、惚けてしまいそうになるくらい穏やかなこの場の空気に、軽く困惑してしまう。
「ワイル=アラナータと言います。魔族の、……ディエール村出身です」
出身地を述べる時、彼女の口は少し重くなった。その村はもう滅ぼされてしまっている、今は無き故郷である。
言葉にした途端に甦った記憶が、望郷の念と共に深い哀しみを沸き立たせてくる。
「ではアラナータと呼ばせてもらうよ。随分と辛い目にあってきたようだね、じゃが安心しなさい。私らはおぬしを追い出したりはせぬ。いましばらくは傷を癒すことに専念しなされ。カラダと、そして…ココロもな」
涙がにじむ。頭に生える魔族の証たる2本の角。後頭部付近から髪の毛を抑えるように、こめかみ付近まで伸びているその角先が微かに震えた。
おそらくは美しい太陽のように明るく鮮やかな茶色だったはずのミドルヘアーは、これまでの苦労がたたってか色が薄れ、かろうじて淡い色彩を残し、ほぼ白髪化してしまっている。
それでも若さが与える乙女の艶光りが毛髪の生え際から先端に向かって走る。
毛先がフワリと浮いて横に広がり、顔を覆った両手の下で目の端に溜まった涙の粒と共に、喜びで揺らめいた。
「よかったな」
「さっすが長老。話がわかるぜ!」
「ただしじゃ。 ……アラナータ、私らもよそ者をタダで歓待するほど余裕があるわけではない。村で暮らす以上は何かと手伝ってもらう、よいね?」
もとより一方的に甘えさせてもらえるなどとは思ってはいない。アラナータはまだフラつくカラダで、出来るかぎり力を込めて頷いた。
「まっ、今はカラダなおすことに専念だぜ。長老~、いくらなんでもケガ人に働かせようなんてのはなしだぜ?」
「当たり前じゃ。私がそんな薄情に見えるか……よしシャッタよ、二人が働けぬ間は、おぬしが3人分働けい」
「んな?! 冗談だろぉ~!? 勘弁してくれよ長老~」
場を笑い声が支配する。もちろん長老とて本気ではないが、シャッタが長老にいじられたおかげで、彼らの間に一陣の和みの風が吹いた。
だがそれもこの後に控える難題の前に気持ちをほぐすための、ちょっとしたおふざけでしかない。
ひとしきり笑うと長老は、息を整えて真面目な顔で切り出した。
「さてと…じゃ。おおまかな話はハイトより既に聞いておる。なるほど……ウンヴァーハと聞いては一族としても何もせぬわけにはいかん」
「? 長老様はご存知なのですか、あのウンヴァーハという貴族の事を」
ハイトはもとより、シャッタもそしてアラナータも、驚きの表情を浮かべている。
「んむ。かつてミミ様より注意すべき相手の一人として、お教えいただいた事がある」
その言葉に激昂したのはシャッタだった。
「!! 知ってたんならなぜ先に教えといてくれなかったんだよ! 知ってたら彼女も、そしてハイトだってこんな目には―――」
「落ち着け。俺はともかくアラナータの事は俺達が事前に知ったとしても、どうすることもできない話だろう」
「あ……そ、そうか。いや、悪ぃ…俺バカなもんでさ、はは、ははは…」
シャッタは感情に突き動かされやすい性格なのだろう、おそらくは周囲が見えなくなるほどの直情型。だからこそ、仲間への気遣いと思いは村随一といってもいい。
一方でハイトは比較的冷静で深い思慮に長けている。加えて彼も仲間の和を重んじ、仲間のためなら時にその命の危険も顧みない情熱を持っている。
アラナータは彼らに対してなんだか温かいものを感じ、自然と微笑み浮かべた。
「うむ、バカが落ち着いたところで話を先に進めるぞ。私達、ワラビット族にとって敵となりうる者は多い。かというて、その全てに対向手段を持つ事など不可能じゃ」
つまり知っていようが知っていまいが、害を与えるような者が現れても無残に蹂躙されるしかない。
ワラビット族が戦闘能力に劣る種族の一つである事は世の常識である。
故にシャットやハイト、そしてアラナータですら長老の言わんとしている現実を理解して黙し、重い空気が流れた。
「ミミ様も我らが現実を理解しておるからこそ、実際に害を及ぼしそうな者に搾ってお教えくださったのじゃ。ハイトよ、おぬしの生還に役立った魔導具も、たまたま上手く効果を発揮しただけの事と理解しておろう?」
長老の言わんとする事。
いかなる準備をしようとも自分達ワラビット族には脅威に対する力がなく、運を天に任せるしかないという、変えられない事実がある。
ハイトはそれを今一度理解して頷いた。
「それでもミミ様はその魔導具を与えてくださった。不確実で役に立つかもわからぬものを。……たとえ焼け石に水であったとしても、蹂躙されるを良しとするよりはマシというものじゃ」
いつでも他所へと移転可能な村の構造、決して種族領土の境界近くには居を構えず、他種族との交流も慎重に行ってきた。
そのすべては最悪への備えに他ならない。
「何もしないまま脅威に怯えてばかりではいられぬ。足りぬとて備えと対処は必要……そんなワケでじゃ、アラナータよ。思い出したくもなかろうが……」
「はい、私の知ってる限りの事をお伝えします」
辛いことを頼むがゆえ、あえて気楽な口調で問う長老の気遣いに感謝し、アラナータは軽く頭を下げた。
「うむ。私が聞き及んでいる話とつき合わせ、まず相手の情報を整理するとしよう。すでに他の村の長老に此度の経緯を伝え、村の者を種族領土外へやらぬよう注意喚起しておる。篭っておれば心配なかろうが、彼奴の毒牙がミミ様を狙っておるとなれば話は別じゃ」
アラナータにとってそれは不思議な感じだった。このまま何もせずに大人しくしていたほうがワラビット族は絶対に安泰でいられるはず。
にもかかわらず、その “ ミミ様 ” とやらのために僅かなりとも危険をおかすというのだろうか。
「そんなにすごい人なんですか、そのミミという方は?」
その一言で、長老、ハイト、シャッタの3人が一斉にアラナータに視線を向けた。
知らないのは当然だとわかっていても、彼らからすれば超有名人のトップスター。信仰心すら抱く者もいる一族の誉れを知らない事に、つい驚いてしまう。
「ミミ様は、俺達ワラビット族唯一の貴族なんだ。っつーても、あんまり高い位ってワケじゃないんだけどな」
そう語るシャッタが、アラナータにはなぜか少しだけ不機嫌そうに見えた気がした。
「それでも魔王様に地上領を与えられた一族の英雄だ。俺達ワラビット族は、彼女のためならば協力を惜しまない。俺とアラナータが助かったのも、彼女が与えてくれた魔導具のおかげなんだ」
ハイトが誇らしげに話してくれる。
確かにその話からすれば、アラナータにとってもミミは間接的ながら命の恩人になる。
会った事のないワラビットへの感謝の念が自然と深まった。しかし……
「(………なんだろう? なんだか気になる…けど…)」
それはシャッタの態度だった。ハイトと長老は本当に誇らしげな笑顔なのに対し、彼だけは何か釈然としていない様に見える。
かといって部外者の自分が深く踏み込む理由はない。
単純に高い位を抱く者への妬みを覚えているのだろうかと、アラナータは結論付け、それ以上を考える事はなかった。
「ともかくじゃ、ウンヴァーハにはファルスター家という強力な後ろ盾がある。私達は対応をしかと定め―――」
その時だった。
長老の会話をさえぎるようにワラビットの村人が、一人の女性と共に長老の家へと駆けこむようにしてやってきたのは。
「ちょ、長老! 淫魔族より急使が!」
―――――数日前、魔界の淫魔族種族領土内、クスキルラ=ルリウスの娼館。
ここは魔界でも最大の娼館であり、各地から日々20万人近い客がやってくる。
娼館を中心に大規模な歓楽街が形成されており、淫魔族の種族領土内の町の中でも、一大商売都市として栄えていた。
街の中心に建つ娼館は、まず和の趣漂う3階建ての建物が出迎える。
各部屋には勿論、娼婦たるサキュバス達が控えていて客をもてなすが、1F中央は向こうへと抜ける空間があり、建物自体が娼館敷地の門の役目も担っていた。
この建物を越えて奥へ抜けると、広々とした庭園が広がり中心には巨塔が建っている。
中は筒状で中心が吹き抜けとなり、螺旋階段と魔力で動く浮遊タイルで各階層を行き来する構造。もちろんこの塔の各階層にも娼婦の待機している部屋が無数に存在している。
さらに一定階層毎に浮遊する部屋が塔の外を周っており、これらは特別室として一部屋5年待ちという大人気のサキュバス達が受け持っていた。
庭園の東西と北側にも館が立ち並び、これらは洋風の城砦のような雰囲気が漂う。
ここにも部屋がビッシリと入っているが、これらには娼婦になりたてのサキュバスや、一時的に娼婦として働いているサキュバス……さらにはサキュバス以外の種族で娼婦になった者などが詰めていた。
そして中央塔の最上階。
この娼館の至高たる淫魔であるクスキルラ=ルリウス専用部屋の両扉を、彼女―――リステートはノックした。
「お目覚めですか、ルリウス様」
ある “ 理由 ” から彼女が現在、客をとっていないのは承知済み。今、室内にはルリウスともう一人しかいない。
『んんむ……リステートか? うむ…起きておる、入るがよいぞ』
幼い女子が発する高い声が扉越しでもよく聞こえる。まだ眠そうなものを含んでいるが許可を貰ったので、リステートは遠慮なく扉に1歩近づいた。
和風の装いの扉がスススーと軽い擦り音を立てて、非常に静かに横にスライド。
自動的に開いた先の室内は、朱色の柱や金屏風、木製の梁に豪華な刺繍の施された布団と、すべてが和の様式でしつらえられた、豪華な内装で埋め尽くされていた。
ルリウスはよく部屋の模様替えをする。ほぼ週替わりで部屋の様相が変えられているほど高頻度だ。
「(先週は南の海のバカンス仕様であったな……)」
ルリウス自身も部屋に合わせたファッションを好む。
ふと布団の方を見るとやはり和装の着物、それも十二単を模した、カラダに対して大きすぎる布面積のドレスを身にまとった少女が、もそもそと布団から這い上がってくる。
リステートは会釈をし頭を垂れると、そのまま少女のお言葉を待つ。
「楽にしてよいぞ。ふぁ……ぅ、む~~……よく寝たのう」
「お疲れのところ、申し訳ございません」
「まったくじゃ。ナガンの “ 小娘 ” が魔獣が欲しいと言うてきてより早5日、まだまだ時間もかかる。毎度のことながら “ コレ ” は慣れんものじゃのう」
そういってのそりと起き上がる―――といってもルリウス自身はほぼ動いていない。
起き上がったのは、彼女の10倍はあろうかという巨躯の魔馬獣だった。
黒々として雄々しい肌。眼光は鋭いが瞳孔は見当たらない。
見た目には完璧に巨大な馬のようなソレが、まるで人のようにその場で正座し、ルリウスの従順なる椅子と化した。
「それでリステートよ。何用かのう?」
「ハッ、先日、地上より我らが元に送られてきました犯罪者なのですが、厳罰に処しても一向に口を割らず、取調べが進まないのですが、どうしたものかと」
「ふむ。確か地上の、アトワルト領とやらでおイタを働いたという男淫魔であったな? もう数週は経過しておろうによく耐えるものじゃのう。……よかろう、ワシが直接問いただしてやるとするかの」
「お手をおかけいたします」
巨大な魔馬が立ち上がる。魔獣は自分の動きに合わせて浮かび上がった少女のカラダに恭しく両手を添えると、リステートの後に続いて部屋から出て行った。
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地下牢では一人のインキュバスが鎖につながれ、性器を切り落とされ続けていた。
インキュバスは性器を切り落とされようとも再生する事ができる。この刑罰は無限の苦痛を与えられるため、インキュバスの犯罪者に科せられる処罰として淫魔族領土内では比較的ポピュラーな厳刑であった。
「さて、おぬしが地上で行った罪。その重さは十分身に染みておるはずじゃが」
男は答えない。今しがた切り落とされた痛みに悶絶して会話する余裕がない。しかしルリウスは、構わず話を進める。
「おぬしが知っている事を話せ。こちらの問いに素直に答えたならば、減刑してやらんでもないぞ?」
その一言で、男の目に希望の光が宿った。処罰のさじ加減は全てルリウスの意志一つ。彼女が直に牢に訪れるのはこういう時だけだ。
こうした細々とした面倒を考えると、相応の権限を持った部署を新設してしまいたいなどと考える時もある。
だが上から管理しなければならないので別の面倒が増えるし、自分の権限の一部を組織に委譲してしまうのは、長い目でみれば将来的に面倒事が起きる可能性がある。
なので結局いつも、現状のままで良いという結論に至ってしまう。
「では、聴取はおぬしらに任せるぞ? もらし事なく絞りだすようにの」
「「はい! お任せを!!」」
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牢獄から出て適当な部屋で茶をすする。そして魔馬は、やはり彼女の椅子の役目を果たしていた。
自身の意志があるのかないのかわからないような、不動の表情の彼の股座の上でカップを傾ける和装束の少女―――その光景はなんとも珍妙。
だが本人は特に気にする事もなく、目の前に浮かせた犯罪者についての調書の一部を眺めていた。
「ふーむ。わざわざ地上に行ってまでする事がケチな悪行とはのう」
散々キツイ刑罰を受けた後だ、男の口は非常に軽くなっている事だろう。
事実、ルリウスが1杯目のカップを空ける前に、新しい調書が上がってきた。
「早かったの。まぁ約束どおり減刑するにしてもじゃ、新たな処罰は後ほど言い渡すでな、しばし禁固という事にし、手続きもそのようにはからうように。で……問題はこちらじゃのう」
調書を受け取った時点ですでに気になるワードがいくつも視界に入る。ルリウスは目を細めながら、あらためて紙面に目を通した。
――地上のアトワルト領にてアレクスという者を長とした組織に属していた。
――つい最近、その組織に ウンヴァーハ というファルスター家に連なる者が、多額の融資をした。
――自分は、アレクスの協力者であるドミニク という者から、ハロイドという町を内側から占領する担当の一人となった。
――領主が出張ってきたので仲間とともに乱暴を働いた。
――領主のお供だかの兵士が踏み込んできて自分達は捕らえられ、魔界に送還された。
「このアトワルト領の領主とやらの名に見覚えがあるのう……、確か以前にドレスの注文をしてきた者であったな?」
ルリウスはインキュバスを罪人として送ってきた際の関係書類の署名を確認し、調書と見比べながら傍に控えている部下に問う。
淫魔族のドレスは特殊な効果を有しているため、気になる男性のいる女性からは勝負服としての需要があり、一定の人気がある。
その中でも最高級の品はルリウス自らが機織っており、かの者が注文した品物も彼女が手ずから製作したものだった。
「はい、そうであったかと。確かミミ=オプス=アトワルト、というお名前であったと記憶しております。身元調査のために調べた情報によりますと、魔界出身のワラビット族で、さして高位ではございませんが代々貴族家の御令嬢で、現当主のようですね」
部下は手元の資料をめくりながら答える。
事前に調書を確認し、必要となるであろうと用意された資料の中から、ルリウスが望みそうな情報を探すも、続く言葉は出なかった。
「ふむ? ワラビット族のう。ファルスター家が絡んでおる案件に関係する者としては、いささか難儀じゃな」
下から数えたほうが早いというほどの弱小種族。かつては淫魔族も同じ不遇に喘いだ、親近感を覚える種族ではある。
だがクスキルラ=ルリウスという救世主に長年先導されて繁栄を築いた淫魔族とは違い、ワラビット族の今日の栄達はさして良いとはいえない。
種族として強い権力を有した者に立ち向かうには絶望的な下位種族だ。
「……使者をたてよ。この件に関する情報を求めるのじゃ」
「ハッ、かしこまりました!」
――――――数日後
「失礼いたしますルリウス様。一族の者より手紙が届きましてございます」
自室でくつろいでいたルリウスの側に侍女が恭しくひざまずき、銀のトレイに乗せた手紙を差し出した。
「ほう、どこの我が娘からじゃ? ……シャルールか。さては先の悪戯の事で文句でも言うてきおったのかのう?」
ルリウスはどこか楽しそうに手紙の封を切った。丁寧に折られている紙を封筒よりつまみだして軽く一振りし、あえてパンという小気味良い音立てながら開く。
そして自身の頭を覆い隠すように広がった手紙に視線を巡らせた。
「………ほう。これは偶然かのう? 随分と良いタイミングじゃな」
少し難しい表情を浮かべた上位者に、侍女が1歩進み出て不安げに口を開く。
「何か大事でしょうか?」
侍女がそう問うのも当然だ。基本、ルリウスに届く手紙は魔界全土、あるいは地上に赴いている彼女の娘達から寄せられたものが大半。
ルリウスが己の魔力にものをいわせた悪戯や意地悪への文句であったり、定期的な挨拶などの、いわゆるどうでもいい雑談や世間話が多い。
しかし中には稀とはいえ、重大な情報が寄せられる事もある。
もともと虐げられた歴史を持つ淫魔族は、そうした話に敏感だった。
「いや、どうやらシャルールが暮らしておる村……ひいてはその村のある地を治めておる者が、己の領地の騒動に対して “ あやつ ” を巻き込むつもりでおる、という事らしくてな、それについて “ 娘 ” が不安視しておるというだけの事じゃ」
「? 申し訳ございません。私では到底理解のかなわぬお話でございました」
侍女はルリウスの説明に要領をえない様子で、頭を下げながら1歩後退した。
「これだけではよくわからぬか? ならばじゃ、シャルールが暮らしておる地を治めておる者の名を知れば儂が奇妙な縁を感じておる理由がわかるじゃろう。……かの地の領主の名は、ミミ=オプス=アトワルト侯だということじゃ」
つい先日のインキュバスの罪人の件といい、わずか数日内に書面にて同じ名を目にする奇妙さ。
ようやく侍女の目に理解の色が浮かんだ。
「……わかったか? ではわかったところで儂は出かける。支度をせい」
何事かを思案していた族長の急な発言に侍女は驚く。
「!? お、お出かけですか、一体いずこへ参られるというのでしょうか??」
その問いに対し、ルリウスは無邪気な笑みを浮かべながら答えた。
「決まっておる。“ 夫 ” に会いに行くのじゃ」




