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第3章5 この兎は何見て跳ねる?



 ――――――数時間前、シュクリアの街、大通り。



「………」

 全身を深いローブで覆った人物……


 種族はおろか容姿や性別も区別がつかないその者は、大通りの雑踏の向こう側に渡り、自分が出てきた路地の方を伺っていた。


「(っ、メルロさん。……ごめんなさい、今は手を貸すわけにはいかないの)」

 あきらかに周囲に対して怯え警戒する女性と、その肩に担がれている二人のメイドの姿を見て気付かれないよう視線を逸らす。

 彼女らが完全に雑踏の一部となって遠ざかっていくのを確認してから、二人が出来てきた路地裏へと改めて入っていった。




「………。メルロさんの魔法……ううん、特殊能力かな? 効果は絶大だったわけだ、すごい」

 地面に倒れている男達が完全に気絶しているのを確認すると、頭のフードを取る。ピョコンと飛び出した長い耳が、窮屈だったとばかりに頭の上でふるえた。


 その姿まさに、ミミ=オプス=アトワルト本人であった。


「まずまず想定通りかぁ。商人の援助を受けてるという事は……もう本当に時間なさそうだなぁ」

 そう言いながら息を吐き、自身の精神の安定を図る。

 そして懐から紙を取り出して確認すると続けて胸元から、小さな飴玉のようなモノを摘み出し、気絶しているドラゴンニュートの口の中へと放り込んだ。



「んーと……、<徴収する言ノ葉(レヴィ・レター)>!」

 ドラゴンニュートのカラダが極一瞬だけ淡く輝く。その輝きが一本の線となってミミの持つ紙へと伸び、やがて薄れて見えなくなった。

 上手くいったことを確認するとその紙を小さく折畳んで、自分の胸の谷間におさめる。



「これでよし、っと。それじゃあ私も撤収しないとね」

 いくら大丈夫と理解してはいても、つい耳を左右に向けてしきりに周囲の音を拾ってしまう。


 いつかのマグル村の時に着用した淫魔族のドレスは周囲の注目を集めるものであったが、今着用しているローブはその逆。己の存在感を弱めて他人から認識されにくくするような効果を持っている。


 警戒の必要がない装備とはいえ、万が一にでもメルロ達やこのドラゴンニュート達の仲間に姿を見られるわけにはいかない。

 ミミはフードを深く被り直すと、再び路地から大通りへと出た。



「ふー。とりあえず想定内の準備はこれでだいたいオッケー。問題は想定外への対応と、どれだけの準備をしておけるかだけど。うーん……」

 ジャックに仕入れてもらったアイテムの数々に、かつての赴任時に魔界から持ってきた目ぼしい魔導具を駆使することで、だいぶ出費は抑えられた。

 とはいえ手持ちのカードはほぼ使い尽くした感が強く、ミミはこれ以上は手詰まりとばかりに両腕を組み、悩みながら歩を進める。


 往来の人々にこれといった変わった様子はなく、普通に暮らしている健全な街並みのように見えるここシュクリアも、どこか不安の色がにじんでる気がする。

 当然だ。こうも頻繁になにがしかの事件が起こっていては、この街に住む領民の誰もが内から沸き起こる不安を、日々抱えざるを得ない。


「(ゴメンね皆。でももう少し我慢してほしいんだ、今の私にとれる方法はあまりないから……)」

 領主として、領民の不安を払拭するような治世を行えないもどかしさに胸の奥が焦がれる。

 彼らから逃げるような気分で街の南門を目指し、メルロ達に追いつかんとして足を速めた。





―――ナガン領、南西の街道。


 軽快な馬蹄の音を鳴らしながら、スレイプニル・バスは領土境界線を越える。


 アトワルト領とナガン領は、領主の仲の良さゆえか。間に関所のようなものは一切ない。


 簡素で頑丈な金属製の縦長な、オベリスクのような看板があるだけだ。表面には “ ナガン領へようこそ ” と書かれているが、反対側には “ アトワルト領へようこそ ” と書かれている。


「んー、ここまで戻ってきちゃったわねぇ。なかなか面白かったけど、あと数日の旅ってとこかしら」

 巨大な客車の最上階で、走る馬車の風を感じながら背伸びするメリュジーネ。その側には護衛の兵士達だけでなく、あの狐人のガイドも控えていた。


「本当にメリュジーネ様におかれましては、この度の事なんとお礼申しあげればよいか」

「いいって、いいって。えーと、カクト……だっけ? こっちこそ面白い体験させてもらったんだし。…にしてもいいわねーこういうの、1台買っちゃおっか?」

「お、おやめくださいメリュジーネ様。ナガン領の財政とて無限ではありません、そのような事をされてはマグロディ様に叱られますぞ!?」

 しかし兵士の(いさ)める言葉にもメリュジーネは聞く耳もたなそうな様子だ。よほどこのスレイプニル・バスというものが気に入ったらしい。


 確かに彼女はこうした移動の際には、馬や魔獣への騎乗はおろか、馬車などにも乗ることがままならない。それゆえ高貴な人間としては珍しく、その移動方法はもっぱら徒歩なのだ。

 そんな彼女が、自分の体躯を気にすることなく乗せられ、移動する事が叶う乗り物に出会ったとなれば、その感動はさぞ大きいことだろう。


「なによー、貴方達の主はこの私でしょー? ロディは私の執事なんだから、へーきへーき―――」

「ほほう、何が平気なのでしょうか? ぜひともこのわたくしめにもお教え願いたいものですが、ついでに御帰りが遅くなられた理由もあわせてお聞かせいただけますかな?」

 それはほぼ同時であった。道中目の前にあらわれた男に驚いてスレイプニル・バスが急停止したのと、メリュジーネの背後に同じ男があらわれたのは。


「!!! ま、マグロディ様!」

「!?? ちょっ、ロディ!? 能力使って(・・・・・)まで乗ってくるとか、それは反則過ぎじゃないの!?」

 あまりに急な事で、メリュジーネはうまく言い返せない。


 言った後から “ 他に一般の客も乗ってるんだから迷惑かけちゃダメでしょ! ” と強く言い返していれば乗り切れるという算段が頭に浮かぶ。しかしタイミングを完全に逸して時すでに遅い。


 恐ろしげなオーラを放ちながら笑顔で迫ってくるロディに、場の主導権を完全に握られてしまった。



「貴方が責任者ですかな? このたびは我が主、メリュジーネ=エル=ナガン侯をお送りいただき、感謝いたします」

「あ、あ…え、えーと、こ、こちらこそその、あの、ですね、はい、いえ、ど、どーいたしましてです、はい」

 急すぎて何がなにやらわからない中、ビシバシ叩きつけられるこの迫力(プレッシャー)

 カクトは魔界にいる水商売に従事している母が、かつていけ好かない客に対して、本当に心の底から怒った時の事を思い出し、目の前のロディと呼ばれた男に母の姿を重ねて見た。


「(そ、そういえば母者(ははじゃ)は元気かなー…客にまたモーションかけてなきゃいいけどー……はは、ははは)」

 自分にその怒りの矛先が向けられているのではないと知りつつも、現実逃避な思考がめぐる。

 そうこうしているうちにロディは彼から視線を外し、再びメリュジーネに向き直った。


「ではメリュジーネ様。早々にお屋敷にお戻りいただきたく、お迎え参上つかまつりました次第ですが…、もちろん御帰りに際しまして文句はございませんね?」

「っていうか、今帰ってる真っ最中でしょ?! まだ道は長―――わっ、ちょ、ちょっとぉッ!!??」

 メリュジーネは決して小柄ではない。確かに上半身は、並の人間族の女性と同等の体躯ではあるが、下半身の蛇部分の体積は大きく、総体重は軽く200kgを越える。

 にも関わらずロディは、彼女の首根っこを掴みあげると、まるで子猫でも扱うかのように楽に持ち上げた。


 その様子にカクトや他の乗客はおろか、ロディをよく知る護衛兵達ですら驚く。



「この御乗り物ではお屋敷まで数日を要しますゆえ、失礼ながらこの私めがメリュジーネ様をお連れいたします。……御帰りのご予定が遅くなられたために御仕事もたまっておりますゆえ、聡明な御方におかれてはご理解ただけるものと(わたくし)、確信しておりますよ」


「やーだ~ッ! このままコレで帰るからぁっ、はなしなさいってこの、このっ、ロディッ、はーなーせ~!」

 ロディの頭に、まるで親に逆らう子供が如く噛み付き、その長い尾を彼の全身に巻きつかせて必死に抵抗するメリュジーネ。しかしロディはまるで動じず、メリュジーネをその身に纏った鎧が如く、そのまま悠然と歩き出した。


「兵士諸君はいそがずとも構いませんので、彼ら(同乗者)をお守りしながらゆるりと帰ってくるとよいでしょう。メリュジーネ様が配下の者として、不測の事態無きように誇りをもって、しかと務め挙げるように」

「「ハッ! マグロディ様!」」

 客車の木目板の上で敬礼する兵士一同。それは意志というよりもロディに対して反射的にあげた返事と態度であった。



「ちょっとぉ!! 兵士はよくって私は強制送還とか不公平よぉー、BooBooッッ!!!」

 メリュジーネの抗議など意にも介さず、ロディは軽く足を開いて立ち位置を調整する。


 経過を見守っていた乗客たちの視線には、この一連の様子を面白がってよいものかどうかという戸惑いを孕んでいた。

 中には、見ないフリをしたほうがよいのかと気を遣う者もチラホラいたが、それでもメリュジーネという高貴な御方をその肩に乗せ、抱え上げているロディという人物から目が離せない。


 そして衆目の注目を浴びている最中、ロディの瞳が赤く輝いた。


「それでは皆様、お騒がせ致しました。この後も当ナガン領内のご観光、存分にお楽しみください、皆様の旅路の無事をお祈り致しております」

 

 彼が言い終わってよりほんの一瞬。


 0.1秒にも満たない間を空けた後、既にそこには誰もいなくなっていた。執事とそれに担ぎ上げられた半人半蛇の貴婦人が、文字通り忽然と消えていたのだ。


「な、なんだ!? き、消えた……」

「瞬間移動? 転送魔法?? よくわからんがさすがはナガン侯の執事を勤める者は、やはりすごいんだな!!」

「よし、ロディ様がメリュジーネ様をお連れいただいた以上不安はない。我々は乗客乗員の安全を守りつつ、メリュジーネ様には悪いが全力で……この任を楽しむとしようではないかッ!」

「「了解ッ」」

 目が点になる人々をよそに、ロディの能力を知っている兵士達はまるで困惑する事なく、すでに自分達に課せられた仕事(休暇)を全力でこなす事だけを考えて行動をはじめた。





 メリュジーネの目の前の景色がなんの余韻も残すことなく一瞬で切り替わる。ロディが自身の能力を用いて移動した証拠だ。


 まだ屋敷までは道半ばの街道の途上なのだろう。スレイプニル・バスの姿はどこにもなく景色もまるで違っているが、立っている道はスレイプニル・バスが走っていた街道と同じ色の石板が敷き詰められている。


 彼の能力は瞬間移動ではない。自身の高速化と周囲の鈍足化を行う事により、限りなく時間を止めたに等しい効果を得るものだ。その特殊能力はまさに秘中の秘と言っても過言ではないほど貴重にして強力なものである。


「それをこんな事に使うなんて。もっと有意義な事に使いなさいよねッ…と」

 そう言って拗ねたままのメリュジーネは、ロディの肩から軽やかに飛び降りる。彼の全身に巻きついていた蛇尾もスルリと外れて地面を滑り、彼女の上半身を持ち上げた。



「……で? 一体何事なワケ?」

 執事(ロディ)が口を開く前に、メリュジーネは軽く髪をかきあげながら真面目な口調で問う。

 いかに帰りの遅い放蕩領主を迎えるにしても、能力を使ってまでは過ぎた行動だ。

 しかも、わざわざ客どころか護衛の兵士達からもメリュジーネを引き離すということは、何か多くの者に聞かれたくない話があるという意図あっての事。


「さすがはメリュジーネ様、お気づきになられていましたか」

 彼にはすでに怒気はない。

 半分は、定を超過して帰りの遅い主に憤慨していたのは本当だが、もう半分は事実、急ぎ報告しなければならない事があったが故。


「はいはい、そーゆーのはいいから。ちゃっちゃと本題話してちょーだいよ」

 言いながらメリュジーネは街道を一路自分の屋敷に向けてのんびりと歩き出す。

 ロディもそれに続きながら、声量を少し抑え気味に、しかしはっきりと聞こえるように話はじめた。


「まず1点。これ自体は、さほどの大事ではございませぬが、今後大事になる可能性も秘めております故、お心に留めておいていただきたく。……先日、魔王様がご来訪なされました」

「!! ……屋敷に? 公で?」

 さすがのメリュジーネも貴族の顔を浮かべて真剣になる。万を数える貴族諸侯の中でも上位に位置するメリュジーネだ。ほとんどの貴族は自分より下位か同等の者ばかり。


 だが、そんな中にあって絶対的に自分よりも上位者たる存在が留守中に訪ねてきたとあっては、茶化すことも適当に聞き流すこともできない。


「お忍びでございます。そして御滞在中、我々が捕えておりましたあちら側の工作員に尋問なされ、また工作員達をこちら側に招き入れた者を聴取し、残りの工作員をおびき出し、一網打尽になさる罠を仕掛け―――」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよロディ!? それ、まさか全部魔王様が…」


「はい。ご自身でお考えになられ、また現在既に実行に移しておられます。今頃はグレートラインの山中にいらっしゃるかと」

 そこまで聞いてメリュジーネは、天を仰いで片手で顔を覆った。

 お忍びとはいえ、ホストたる自分が不在な中での屋敷(ウチ)への訪問でも結構なマイナスなのに、加えて地上における問題事への対処まで行われている――――それは魔王の手をわずらわせたという事実に他ならない。


「まずいじゃない。結構な大事…いえ、問題だわ」

「しかしながら、魔王様はお忍びで行動なされておりますれば」


「そうかもしんないけど! 問題ないかもしんないし、どーせ面白がってやってるんでしょーけどあの大将サマもっ。……公にはならなくったって借りを作る事になっちゃうのに変わりはないじゃない? あー、面倒な事にならなきゃいいけど」

 本当ならそれは、現地の為政者たる自分達の仕事なのだ。メリュジーネにとっては貴族としての面目もある。


「ロディ、魔王様の動向には注意するように手配ね。今からじゃ遅いかもしんないけど、なんだったらこっちから手伝う部下の一人や二人、送っちゃって」

「御意に。屋敷に戻り次第、ただちに手配いたしましょう。それともう1点、ご報告が……」







―――――アトワルト領、都市シュクリア、南門付近。


「…ッ…、……はぁ、はぁ……」

 メルロはしきりに周囲をうかがった。

 現場からはもう遠く離れたし、自分達を追跡するような者の姿も見受けられない。それでも心臓の鼓動は早い。


 イフスを抱えた今の彼女では、もしあの路地の男達の仲間に追いかけられようものなら即座に捕まってしまう。

 慣れない街を少し迷いながらも、なんとか帰りの門が見えるところまでやってきて、彼女は少し安堵した。―――と


「メルロさん」

「ッッ!?? ……はぁ、はぁ…はぁ、はぁ…、…ぁ………、りょ…ぅしゅ…さま……?」

 声をかけられ、一気に動悸が早くなったメルロだが、ローブの中に見える顔がミミである事を認識した途端、急激に脱力した。


「大丈夫? ごめんね驚かせちゃって。二人が遅いからってドンさんが心配してたから迎えに来たの」

「? ………?」

 メルロは小首をかしげ、ミミの周囲や後ろによく見知った小柄なゴブリンの姿がないかを確認した。

 もし迎えにくるとしたら領主たる彼女ではなく、雇われ者であるドンをよこす方が理にかなっているからだ。


「ドンさんなら館に残ってもらってるよ。いくつかの雑用と、二人が買い物から戻ってきた時のために玄関を整理してもらって……どうかした?」

 事情は知っているミミだが、あえてそしらぬ様子で首をかしげ、そしてメルロが背負っている気絶したイフスを見て、軽く驚いた表情を作った。

 演技っぽくなってないか気になるが、今のメルロがそれを看破する事はできないだろう。



「……ぁの、…そ、の…わたしたち……、ぉ、おそわれ…て、……い、イフスさん……が、…わ、わたし…にがして…くれ、て…それで…その」

 一生懸命に説明しようとするメルロだが、まだおぼつかない自らの言葉遣いがもどかしく、またミミを見て安心したのもあってうまく説明できない。


 そんな彼女を背の低いミミが、そっと背伸びして緑色の頭を撫でた。


「もう大丈夫だから。がんばったね、メルロさん」

 その瞬間、メルロの瞳で留まっていたものがあふれ出した。


「(美人さんが流す涙ってホント綺麗だよねぇ、夕焼けの光もバッチリ。……なんて不謹慎な事考えてちゃダメなんだけど)」

 とにかく落ち着かせる事が最優先だろう。まずは館へ帰るべき……特に気絶したイフスを運ばなくてはならない。


「メルロさん、彼女(イフー)は私が運びますから」

 そう言うとメルロの返事を待たずにその背から自分の背へとイフスを移すミミ。メルロは慌てて自分が運びますと言いかけたが、ミミはそれを制した。


「……ぇ、で…も……」

「か弱く見えるかもしれないけど、こうみえて獣人系種族だからね。片手で大岩を瞬間キャッチでいなせちゃうくらいは力あるんだよ? さ、とにかくまずは帰ろう。ドンさんも首を長くして待ってるから」

 早々に南門を抜けて帰路につく。とはいえ、館までの道のりは短くない。


 ミミは領主たるご身分だ。メルロはせめて先の男達のような暴漢が襲ってこないか、彼女なりの精一杯の警戒心をもって周囲を伺いながら歩いた。


「………りょぅ…しゅ、さま……」

「んー? なーに、別に疲れてないよ、大丈夫」


「ぃぇ……その…ぁの…、……わたし……、がん…ばります…。…りょぅしゅ…さまに、…ぃわれたこと……、何がぁっても……だぃじょぅぶ…、わたし…がんばります…」

 メルロの決意の言葉は、ミミの胸中深くに鋭く突き刺さった。自分(ミミ)が、彼女に犠牲を強いようとしている事も理解した上での言葉。

 それは鋭利な刃の如くワラビットの少女の心を深くえぐる。


 ミミは少しの沈黙の後にかろうじてありがとう、と小さな声を搾りだした。



 ・

 

 ・


 ・



「イフスの姐さん、どうかしたんですかい!?」

 帰ってきた二人の姿。そして片方に背負われているもう一人の姿が見えた途端、心配から玄関の前で待っていたドンは大慌て駆けてきた。

 ミミの背に担がれているのがイフスだと確認するやいなや、ますます慌てふためく。


「た、ただ…ぃま…」

 メルロは自分の責任だと思っているのか、ドンに対して申し訳なさそうに身を縮める。そんなメルロの暗い気持ちを吹き飛ばさんと、ミミは肩の力を抜いて努めて朗らかに振舞った。


「ただいま、ドンさん。……シー、静かに。イフーが寝てるから、うるさくしちゃダメだよ?」

「え、あ…こ、こりゃ失礼を。と、とりあえずこっからはオレが部屋まで運びます。これ以上領主様のお手を煩わせちゃあ、仕える身として申し訳ないですから。メルロも大変だったみたいだな、領主様と一緒にゆっくり休んでくれ。後はオレがやっとくから」

 ドンはミミからイフスを受け取ると、その小柄な体をめいっぱい使って抱え上げた。ちょうどイフスのお腹を自分の頭で支えるようにしたせいか、ドンの顔半分がイフスの垂れ下がる頭や胸で隠れてしまっている。


 その姿がなんだか面白くて、ミミは僅かに笑いをこぼした。



「お願いねー。……さ、メルロさん行こう。お茶でも飲んで一息つこっか」

 遠ざかっていくイフスを運ぶドンの姿。

 メルロはそれを見届けながら、不意にミミに近づき、そしていつもの小声以上に小さな声を発した。


「…しん…ぱぃ…かけたくない…から…。ぁの……かれ、には……なに…も……」

 かねてより言われていた、自分の身にこれから起こるであろう最悪について、メルロは決してドンには何も伝えないで欲しいとお願いする。

 ミミはそれに対して何も答えず、ただ目を伏せてコクリと小さく頷き返した。そして一拍の間をあけて笑顔を浮かべる。


「大丈夫、ドンさんには何も言わないから。それに、あくまで可能性の話……今はあまり重く受け止めないで、ね?」

「……は、はぃ……、ぁりがとぅ、ござぃ…ます…」

 仮にドンが振り返ってこちらの様子を伺っていたとしても、この距離なら何を話しているのか聞こえないだろうし、ミミが笑顔を浮かべていれば今回の買い物の件でメルロが謝罪し、それに対して気にするなと返しているように見えるだろう。


 真意を伝えないのは心苦しいが、今はそれをぐっと胸の奥深くに押し込む。


「この話はおしまい。さ、お茶にしようっ」

 明るく振舞うミミだが、その長い兎耳はどこかしおれているように見えた。







――――――ナガン領、南西の街道、途上。


「―――それともう1点、ご報告が。このナガン領内に潜伏しておりました荒くれ者達が一斉に姿を消しました」

「? どういう事それ? 御大将(おんたいしょう)サマがウチにこっそりやってきた影響?」

 メリュジーネは、魔王がお遊びでそういう連中を狩り尽くしたのかと思い、ますますもって借りを作ってしまったと思いかけた。が、ロディは静かに首を横に振り、それを否定する。


「このナガン領だけではございません。調べさせましたところ、周辺他領からも、ならず者の類が急減している事が昨日(さくじつ)、調者の報告よりあきらかになったばかりでございます」

「………それってどこかに移動した、って事? 一斉に?」

 賊の類に対する討伐なりは、どこの領主も常日頃から行わせてはいる。

 とはいえ刈っても刈っても湧いて出てくる連中だ。急激にその数を減らすとなると、ちょっとした規模で軍事行動を起こし、一網打尽にするとかそういうアクションが必要になる。


 だが、そんな事をすれば周辺領土にも当然知れ渡ることになる。


「はい。それしかないかと。この地方で軍を動かしたという情報は、現在をもってしても確認できておりません」

 どこの領も軍事アクションがないということは、つまり賊の類やそれに関係する連中は、自発的にそれぞれが縄張りにしていたであろう場所より移動したということだ。


「行き先は? まさかさっきの工作員の件と関係があるんじゃないでしょうね?」

「可能性は否定できません。屋敷に潜入していたあの工作員にせよ、我々が抑える前にすでに何かしら仕込んでいた可能性もございますれば、現在この件に関しまして、より詳細に調べを進めさせております」

 メリュジーネは歩を止めて不意に考え込んだ。一言で言えば気持ちが悪い。

 どうせなら盛大に、どこかの村にでも大挙して襲い掛かってくれでもすれば、楽に打ちのめしてそれで終わりにできる。

 しかしこういう、事態がハッキリせずに奥が見えない状況というのは、彼女が最も嫌うことの一つだ。


「……ロディ、今、何人当て(・・)てる?」

「20人」


「50人に増員なさい。1秒でも早く事態を掴ませるのよ。それとあの天使はどうしてる? まだ生きてるかしら?」

「はい。魔王様が尋問なされるにあたり、ある程度の回復を施しましたゆえ、現在もかろうじて息は保っております」

 最大の情報源が死にかけの天使の小娘ではなんとも頼りない。しかも魔王が直々に尋問をしたとなれば、すでに大方の事は引き出し終えているだろう。

 新たな情報を得られる見込みはなく、搾りカスも同然だ。


「かわいそーだけど他にアテもない事だし、もっと搾りだしてくれる?」

「ハッ。ですが魔王様より、彼女は殺すなとのご命令を受けております。既に限界ギリギリかと」


「殺すな、ねぇ……人質にでも使おうってのかしら? まぁいいわ、可能な範囲でいいから少しでも何か引き出せたら御の字よ。あっ、それと」

「まだ何かございますか?」

 それまで真面目だったメリュジーネの表情が不意に緩んだ。


「まったく関係ない話だけどね。ミミちゃんに今回の御礼を贈る手はず整えといてくれる? ……ど~もウチの兵士達がさぁ~ “ 御世話 ” になっちゃったみたいなのよね~、あいつらは口割らなかったけどさ~ぁ?」

 メリュジーネはやらしいものを見るような目を浮かべ、下世話な噂好きの中年女性よろしくな雰囲気を漂わせる。


 だが相手をするのも面倒なのでロディはツッコミを放棄―――スルーする事に決め、了承の意を込めた一礼を返すだけに留めた。









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