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第3章3 仕事はより増えて



――――――アトワルト領、領主の館前。



「うぷ……まだちょっと気持ち悪ぅ……。ってか、ジャックの奴はいつの間にいなくなったんだか」

 メリュジーネはまだ二日酔いが醒めないらしく、優れない顔色で歯軋りしていた。飲み比べの競争相手はとっくに元気になっていずこともなく去っていたと知り、酔いが覚めるまでの早さでも負けたと悔しがっているのだ。


「大丈夫ですか、メリュジーネ様? それではミミ様、我々はこの辺でお暇させていただきます。滞在中、何かと良くしていただき、本当にありがとうございました」

「「「ありがとうございました、ミミ様!」」」

 自分の兵士達が声を揃えてお礼を述べる様に、メリュジーネは目を見開いて驚く。そして一転してジト目を作ると、兵士の一人に素早く巻きつきその首根っこを掴んだ。


「ねーぇ、アンタ達……なーんで “ アトワルト侯 ” じゃなくて、“ ミミ様 ” なんて呼び方してるのかしらぁ? それになーんかやたらハツラツとしてなーい? まさか私という主が酔って寝てたのに、何かイイコトしてもらってたんじゃないでしょうね~~~ぇ?」


「そ、そのような事はけっして! あっあっ、ちょ、おやめくださいメリュジーネ様!」

 ますます兵士の全身に絡んでネチネチと問い詰めるメリュジーネを筆頭に、彼らはそのまま騒がしく帰っていった。






 姿が完全に見えなくなると、ミミは疲れがどっときて上半身をうなだれさせる。


「つ、疲れたぁ~……。もー、また仕事が溜まっちゃったし、はぁ~ぁ…」

 メリュジーネ滞在中、仕事なんて何一つできやしない。やった事といえば彼女が酔いつぶれた隙を見計らっての3日間、ハロイドの件を収めるために出張ったくらいだろうか。

 この後の仕事量を想像―――げんなりしながら館の中へと戻ってゆく。


「だいたい1週間はいらっしゃいやしたかね、ナガン侯ご一行は?」

「はい。行き返りの移動も含めますとメリュジーネ様のご性格上、最低でも2週間はあちらのご領地を空けられる事になるのではないかと。…あちらもお仕事が溜まっていらっしゃることでしょう」

 実際、メリュジーネの屋敷では執事のロディが、メリュジーネにやってもらわなければならない仕事の数々を準備万端に用意し、彼女の帰りを待ち構えている。

 ドンとイフスの会話はまさに的を得ていた。


「ナガン領は大きいからねぇ~。1日2日空けるだけでも、アトワルト領(ウチ)の4、5倍は書類とか溜まってると思うよ? まぁ向こうは片付けるのに優秀な部下がわんさかいるから、領主がする仕事はなんだかんだでこっちとあんまり変わらないくらいだとは思うけど」

 ミミの言葉に、ドンとイフスの目の色が変わる。


 何せアトワルト領主たるミミの下には部下は現在イフス、ドン、メルロの3人しかいない。

 部下としてお隣さんに負けるわけにはいかないと、競争心に火がついた。


「ミミ様。不肖このイフス、ミミ様が少しでも楽をしていただけますよう、がんばってお支えいたします」

「そうですぜ、イフスの姐さんの言うとおりでさ。オレも出来る事は片っ端からがんばりやすんで、どんどん仕事を申し付けてくだせぇ」

 そんな二人に続いてメルロもコクリと頷いた。


「ふふっ。ありがと3人とも、でも皆も無理はしなくていいから。これから(・・・・)ちょっとキツくなってくるだろうし、余力はちゃんと残してほどほどにね?」

 そう言いながら執務室へと入ってゆくミミと二人を前に、メルロが廊下で一度立ち止まる。


「? どうしたメルロ? 具合悪いのか??」

「……なん…でも……なぃ、だぃ……じょぅぶ……」

 メルロは思い出していた。雇われる時、ミミと二人きりで言われた事を。

 今のミミの言葉からその時(・・・)がそう遠くないのだと感じて、彼女はドンを見下ろす。

 心配そうに見上げてくるゴブリンに、今の彼女が取ることのできる最大限の笑顔を浮かべ、大丈夫の意として言葉でこたえるかわりとした。





―――その日の夜、ドンの部屋。


 ドンの仕事はミミの政務の補佐に加えて、館の警備とイフスと協力しての館内外の夜の見回り。


 それゆえ朝はそれほど早くはないにしても、1日の仕事を終えるのはどうしても夜遅くになってしまう。彼が自室に戻ってきた時には、既に月が落ち始めていた。


「ふー、今日もよく働いたな。ぐっすり眠れ―――っ、な、なんだメルロか? どうした、怖い夢でも見たのか??」

 暗がりの中に佇むのは、既に自分の部屋で寝ているはずのメルロだった。ドンの問いかけにフルフルと首を横に振って否定する。

 そしてゆっくりと歩を進め、彼の小さな体躯を抱きあげると、そのままドンのベッドへと倒れ込むように転がった。


「お、おい!?? め、メルロ?? どうしたんだ一体?」

「………」

 だがメルロは答えない。

 随分口も開くようになってきた彼女だ、ここで彼女を働かせられたのは幸いだとドンは喜んでいた。彼女の心が完全に立ち直れる兆しが見えてきたのだから。


 だからこそ不安でもある。風邪は治りかけが一番危険だという。


 ここにきて最愛の人を亡くした事を強く思い返し、またその心に自ら傷をつけるような事にならないか心配だった。

 しかしドンの心配は思いもよらない裏切られ方によって、杞憂に終わる。


「――――~~~ッッ???」

 メルロが突然、自らの口でドンの口を塞いだ―――それは舌まで絡めるディープキス。


「………」

 メルロは何も言わない。月が傾きはじめた暗い夜、窓からさす月光も二人を避ける。

 そのままメルロは、ドンと繋がり及んでいく。衣類は回数を重ねるごとに二人の身から離れ、朝日が昇り始めた頃には全裸で抱き合い、まどろんでいた。


 寝息を立てるメルロを見て、ドンは思い返す。


 彼女が暮らしていた村では定期的に彼女を犯していたドンだが、このままではいけないと思い立ち、村を出てメルロを立ち直らせる旅の最中は無論、領主様に雇われてからも一度も肌を重ねてはいない。


「……旦那さんとの事を思い出して…ってワケじゃあなさそうだけどな…」

 まだメルロに押し倒されてからの事に理解が追いつかず、ドンは呆けるように天井を見上げた。


 まるで一瞬で夜が朝になったようなほど時間が短く感じ、同時にこれまででもっとも濃密な男女の交わりだった。彼の男性のシンボルがもはや打ち止めだといわんばかりにくたびれているのが何よりの証拠。


「単に溜まってただけ……ってんならいいんだけどな?」

 しかしその日を境に、メルロは頻繁に求めるようになっていく。


 1ヶ月もすると、彼女は自分の部屋ではなく当然のようにドンの部屋に帰り、毎晩床を共にするのが普通になっていた。

 ドンはメルロの変化に困惑していたが、特に悪い兆候は見られなかったためにさして理由を訪ねることもせず、経過を見守っている。


 だがメルロはある理由(・・・・)から深く愛し合おうとしている事をドンは知らない。


   時は刻一刻と流れ続け、その時は着実に近づいていた。










 アトワルト領の東方、ナガン領との境。そこには南北を分かつように、東西に伸びた山脈がある。


「この山脈の西端付近に一番高いガドラ山があるですよ。ホラ、あれがそうですねー」

 広い観光車両の中、ガイドの妖狐人(キツネビト)の指差す方向を、後ろをついてきていた観光客達が一斉に見る。

 確かに視線の先には山脈の山並みの中にひと際高い山がそびえていた。


「ほぉー、グレートラインほどではないが、立派な山だねぇ」

 中年の魔族は興味深そうに眺める。


「すごいね、おとうさんっ! あんなに高いお山だよ、ほらっほらっ」

「こらこらハシャぐんじゃない。他の方々にご迷惑だろう?」

 小さなワーキャットの少女が興奮して指させば、その父親がつないでいる手をしっかりと握って落ち着くよう促す。


「あんな高い山でも、攻撃されなんだんじゃのう」

 老齢の半蜘蛛亜人(アラクネー)の女性が、ありがたやありがたやと手ばかりか足の一部までも合わせて、なぜか拝んでいた。



「(ふー。ようやく再開できはしたものの、しょっぱなから厄介な事になった)」

 団体旅行のガイドなど、世の中が平和で安定した状況でなければ稼げない職業。戦後間もなくはなかなか客もいないし、そんな事が出来る雰囲気でもない。

 しかし、時間の経過とともにようやく仕事の再開にこぎつけられ、今回はその記念すべき第一回目のツアーだった。


 ところが……


「えー、みなさま。間もなくアトワルト領、ウオ村に到着いたしますが……一つお知らせがございます。本来ですとこのツアーは、アトワルト領の都市シュクリアにてご一泊の後、ナガン領へと戻るルートを取る予定でした。しかし先日、都市シュクリアにて暴動事件が発生しまして、皆様の安全を考慮しまして急遽、この先のウオ村にて今宵のお宿をご用意させていただく事になり―――」

 いきなりのつまづき、幸先の悪い事態。客達からも当然不満の声が上がる。


 彼らは魔界から来たツアー客だ。せっかくの地上旅行が台無しだと文句を垂れている。ごもっともだと思いつつも対処しなければならない責任から、ため息がノドを駆け上がってくるが、出すわけにはいかないと飲み込む。


「落ち着いてください、落ち着いてください皆様! 代わりと申してはなんですが、ナガン領に戻った後の予定につきましては、ナガン領内にございます古代遺跡の方を巡る旅程を準備させていただいておりますゆえ、皆様どうかお静まりを」

 とはいえ、それはルート上現実的な変更というだけで、遺跡の見学についてまだナガン領主に打診していない。

 ツアーの旅程もまだ半ばにすら差し掛かっていないのに、彼は既に疲労感でいっぱいだった。




「ん? ねぇ、あれって多脚馬車(スレイプニル・バス)ってヤツじゃないの? はじめて見たわ」

 ウオ村を後にして街道を東進していたメリュジーネ一行は、遠目に見えてきた異形の馬車と相対する。

 見上げるように大きな荷台は、何百人の人や何千の荷箱を積めそうな、複数層の構造の木製台車を、これまた巨大な多脚の馬が悠々と引いていた。


 しかし、だからといって彼女らが道の横に避ける事はない。堂々と街道のど真ん中を進む。


 そうこうしているうちに両者の距離は縮まり、やがて多脚馬車(スレイプニル・バス)の方が急停止するハメになった。


「あ、危ないじゃないか。道の真ん中を歩いてちゃ!!」

 御者の樹霊人(ドライアド)が怒りをあらわにするが、メリュジーネは顔をしかめる。魔界においても相当な貴族であり、地上においてもナガン領の領主たる身である彼女からすれば避けれるのは相手であり、それが礼儀である。


 これは魔界全体における共通の作法であり、何もメリュジーネ達が傲慢なわけではない。


「そちらこそ道の中央を走るとはなっていない! こちらにおわせられるはメリュジーネ=エル=ナガン侯であらせられるぞ。その行く道を邪魔するとは一体どういう了見かッ?!」

 護衛兵が前に出てドライアドを一喝する。しかしドライアドは はぁ?とまるでわかっていない様子で眉をひそめた。

 一行を見下すように、高い位置の御者台から降りようともせず、いつでも再出発できるよう手綱を持ったままだ。


 下々の者には高位者の名を知らぬ者も多い。だがその両者でトラブルが生じた場合、その結末はだいたい決まっている。下々の命の灯火が吹き飛ばされるという結末だ。


 護衛兵達が武器を軽く身構え、メリュジーネも微笑ながら、瞳の奥に獲物を狙う蛇の輝きを灯し始める――――と、その時。



「す、すみません!!! コイツは世の習いに疎いものでして!」

 多脚馬が引く巨大な客車より飛び降りて駆けてくる男は、息も絶え絶えに走ってきた。

 そしてメリュジーネ達の前で、地面を頭で叩き割ろうとする勢いで土下座する。


 お尻から生えた3本の狐尾が土下座の際の勢いで空を舞い、ゆらゆらと揺らめいてやがて、ファサリと力なく地面へと落ちた。


「妖狐族? 貴方は私の事を知っているようね?」

「も、もちろんですとも! 彼はあまりに無知なだけでして、ナガン侯におかれましては何とぞ! 何とぞ此度の無礼のほど、お許しを~ッッ!!」

 責任者らしき狐獣人が懸命に謝罪を繰り返す。その様子に御者台のドライアドはキョトンとしてあらためてメリュジーネ達を見た。


 自分を雇っている今回のこのツアーの責任者が、これほど頭を下げる相手。

 彼はようやく自分が重大な過ちを犯しているのだと気付き、樹の根のような両脚をガクガクと揺らして怯えはじめた。


「まぁいいわ、頭上げて頂戴。こんなトコでいつまでもそんな事してちゃ、それこそ迷惑ってもんでしょう。ところで……」

「は、はい!? な、なんでしょうか!??」

 メリュジーネ様が一体何と言われるのか? 相手がどれだけすごい身分の御方であるかがわかっている彼には、その一挙手一投足はもちろんの事、口から吐き出す吐息一つとっても気が気でない。

 思わずゴクリとノドを呻らせてしまうほどに緊張していた。なにせ次の瞬間には、無礼者と叫ばれて首と胴を切り離されていたとしても不思議ではない。


「その多脚馬車(スレイプニル・バス)、今度乗せてもらえない? こういうのって乗った事ないのよねっ!」

 迫力ある雰囲気が一転し、まるで好奇心旺盛な少女のような瞳の輝きを見せるメリュジーネ。

 妖狐人の目が点になった。一体何を言われているのか聞いていたはずなのによく聞こえなかった気分になる。


 だが考えても見ればメリュジーネの反応は至極当然かもしれない。彼女はラミア族。下半身が下半身だけに、普通の馬車すら搭乗はままならない。

 事実、一行は一部の早馬の連絡係を除いて一切の乗り物を使わず、徒歩で移動している。


 加えて彼女ほど高位の貴族ともなれば多脚馬車(スレイプニル・バス)のような中流の一般団体向けの乗り物など、生涯通じて搭乗した事もする事もない可能性のほうが高い。

 それどころかこうして目にした事すらないかもしれない。


 そして、それらの事実はツアーガイドの彼にとって一つのチャンスであった。


「で、でしたら! このバス(馬車)は現在ツアー中でして! その、ウオ村にて一泊した後、ナガン領へと戻る予定なのですがッ…も、もしもナガン侯のご予定に空きがございますればいかがでしょうか!? このまま我々と途中までご搭乗してゆかれませんか?」

 ガイドの提案にメリュジーネの表情がパァッと明るくなった。もはやその姿にさきほどまでの権力ある貴族の迫力は微塵も残ってない。


「あるある! 空いてる空いてるッ、ほら皆! アレに乗っていくわよ!!」

「え、ちょ…め、メリュジーネ様! あの多脚馬車(スレイプニル・バス)はウオ村に戻り、しかも1泊すると……お、お帰りが遅れてしまいますよー!?」


「大丈夫よ。向こう(領土)にはロディ(執事)がいるんだから、帰りが1日くらい遅れたってヘーキヘーキ、ほらさっさと来なさい!」

 あの半人半蛇の大きな体躯で、いつのまにやらちゃっかり客車の乗降階段に乗っかっている主に続き、兵士達は慌てて客車へと走り出す。


「(やった!! ツアーの客には、飛び入りのスペシャルゲストとして紹介しよう。これで彼らの不満が解消できるッ! それに同行中に遺跡観光の許可の件も折り入って頼み込めば……よし、よし! 挽回できるぞッ!!)」

 妖狐人のガイドは思わぬ出会いに感謝しながら、自分も客車へと戻っていった。

 数分後、多脚馬車(スレイプニル・バス)は再び発進し、ウオ村へ向けて走り始める。



 そのバスがウオ村に到着してよりおよそ半日後。


 ナガン領にてメリュジーネの旅の最中の動向を、早馬の兵士より伝え聞いたロディは静かな笑みを浮かべ、周囲の者達を恐れさせるほどのオーラを発していたという。










――――――魔界。ワラビット種族領地内、トルビ村。


「よく生きて帰ってこれたもんだな、お前」

「まぁな。それもこれもミミ様のおかげだよ。さすがに次はないだろうがな」

 そういって男は自分の腹をさすった。

 かつてミミが地上へと赴任する直前に配達を担う者に服用させるようにと渡されていたアイテム―――男はそれを飲んでいたおかげで、ウンヴァーハの別荘より生還する事ができた。


「仮死状態で、死体として放り出されたのは幸いだった。もし生きてこの事が知られていたら、それこそ解剖でもされてたかもしれないな」

「うえー、おっそろしいな。そんな事まですんのかよ相手は?」

 肩を支えて歩く村人は、身をふるわせて舌を放り出す。

 今のご時勢で誘拐に加えてそんな残虐な行為をすれば、いかに貴族だろうと罪を問われる話だ。


「いや、あのウンヴァーハとかいう貴族はやりかねない。そしてきっとミミ様は奴のそんな闇を知っていたのだろう。だからこそアレほど貴重な魔導の品を渡してくださたのだと思う」

 <やり直せる日々(リライヴ・リライフ)>と呼ばれる魔法を込めた試作品。まともに購入しようとすれば、金貨1000枚はくだらない超高額品だ。


 手の平大の玉で、飲み込むと体内に残留。宿主が死に至った時、込められた魔法が発動して1度だけその者の命をギリギリのところで助け、生を留める。


 だが試作品ゆえ本当に効果が発揮されるかは微妙なところだった。ミミが学園を卒業する前、ツテでたまたま入手したものであったが、実のところ本当に気休めレベルな完成度しかない粗悪品。

 だからこそタダ同然で手に入れる事ができた品物なのだが、今回はそれが上手く作用してくれた。



「それって、逆に言えばミミ様は知ってたってことだよな、そのウンヴァーハって奴が危険だって事をよ」

「……実際に害を為す行動に出るかどうかはわからないし、相手は上位の貴族だろう? ミミ様だって立場上、下手な事は言えなかったろうし、俺達の命をかろんじていらっしゃるわけじゃないさ」

 そもそもそんな貴族が、もし思い切った行動を起こせば自分達が凄惨な目に遭う事は目に見えているし、それに抗うことなど出来ない。


 ミミがいかにワラビット族の誉れといっても、魔界の全貴族でいえば中の下。彼らを守るために施せる策などたかが知れている。



「憂鬱だなまったく。弱い種族ってだけで今でも怯えて暮らさないといけないのは辛いもんだ」

「だが、ミミ様のおかげで俺は生き延びる事ができた。ウンヴァーハとやらの非道を垣間見る事もできたし、それに―――」

 言いながら一軒のあばら屋に入る二人。そこには青白い顔をした女性が一人、横たわっていた。


「生き証人もいるんだ。なんとかすればあのウンヴァーハとかいう奴を追い落とせるかもしれない」

 ウンヴァーハの奴隷として、非業の半生の末に死にかけた女性。

 しかし事切れる寸でのところで息を吹き返した男に救われ、共に死体のフリをして別荘外へと廃棄された事で、なんとか連れて逃げ切れた。


 しかし牢獄よりこれまで、彼女はいまだ目を覚まさない。



「このまま死んじまわなけりゃな。まずは女が回復しねぇことにはそんな大それた事なんざ出来ないだろ?」

「だがあのウンバヴァーハとやらは必ずミミ様の害になる。やたらミミ様に執着を見せていたしな。いくら名の知れた大貴族ファルスター家とはいえ、非道の輩をそのままにしていいはずがない」

 かといって下手な抗議はもみ消されるし、仮に彼女が生き証人だとして証言したところで、言葉は証拠にはならない。

 口ではなんとでも言えるのだから、それが嘘でないという証明を立てなければならないのだ。

 そこまで為せたとしても、相手は魔界に知れ渡った貴族家に連なる者。秘密裏にこちらが潰される可能性のほうが高い。


 事実上、彼らに打てる手はないに等しい。

 

 しかも今、種族領土から出る事も(はばか)られる。下手すればウンヴァーハの耳に、死んだはずの男と女が生きてワラビット種族領土にいる事がバレてしまう。


「有効な手立て以前に動けないんじゃあなぁ……。お先は真っ暗だぜ?」

「それでもやれる事からやっていくしかない。長老にも相談し、皆で方策を考えよう。動けるようになったらやるべき事は山と出てくるはずだよ」

 ワラビット族のミミへの敬意は半端ではない。彼女のためとあらば老若男女問わず協力を惜しまないだろう。


 それでもこれまではせいぜい郷里の品を送る程度の事しかできていない。


 何かもっとお役に立てる事はないだろうかとヤキモキしている者も少なくない。そんな中に湧いて出た、上位貴族に対処するというこの難題である。

 すぐに有効な方策が打ち出せなくとも、お役に立てると皆、懸命に取り組んでくれることだろう。




「ま、あれだ。その前にまずはその女が無事に意識を取り戻すのが先決だな。ウンヴァーハとやらの事を一番知ってるのはその女しかいねーし」

「ああ。彼女も相当酷い目に遭ってきたようだしな。ぐ……」

 男が途端によろける。肩を支えてくれていなければそのまま倒れ込んでいただろう。


「おいおい、大丈夫かよ?」

「ああ。命こそ助かりはしたけれど……、生還できた代償は安くはなさそうだ」

 もとより効果があるかどうか微妙な品だと聞かされてはいた。命が助かっただけでもよしとしないとバチがあたるというものだと、男は笑みを浮かべる。


「ったく、お前も無理せずゆっくり休めよ? ぶっ倒れられたらそれこそ手詰まりになっちまうんだから」

「ああ。もちろん。せっかく繋ぎ止めた命だ、そう簡単に捨てたくないさ」

 横たわる女性を見下ろしながら二人は頷き合う。

 これからが大変だろうと。下手を打てば種族をゆるがす大問題に発展しかねない。


 勝ち目は薄い、だがやらねばならない。彼女の額に当てていた布を取替え、寝汗を拭いながらも、彼らはこれからについての話を交わし続けた。








―――地上、アトワルト領の都シュクリア。


 南門をくぐって街へと入った途端、ミミの長い耳に人々のざわめきが届いた。

 

「どうやら……また事件があったみたいですね」

 人々の交わす言葉を拾う。古い旧市街地の狭い路地で殺傷沙汰があったらしい事を知ると、彼女は人ごみをかきわけて進んだ。


「領―――ミミ様、アッシがひとしきり話を聞いてきやすから、そう先に行かずとも」

 だがドンの制止に対して、彼女は首を横に振るう。そして耳先を軽くヒクつかせてから口を開いた。


「話は聞かなくても平気ですわドンさん。(わたくし)の耳はすでに必要な情報を聞き分けていますから」

 ワラビット族の聴力は並ではない。知りたい音のみを拾うことも、一切の音を絶つ事も容易い。


「しかしですよ、御自らがこんなところをうろつくのはあまりよろしくないんじゃないですか?」

 ただでさえ死人が出ているのだ。危害を加えようとする輩の2、3人はそこらにいたって不思議ではない。

 ドンの心配も最もではあるがミミは足を止めない。


「大丈夫です。“ それも ” 考慮して私自らが足を運んだのですから」

「???」

 言ってる意味が理解しかねるとドンが首をひねる。それはどういう意味なのかと彼が問う前に、現場らしき場所に到着した。


「……こりゃひでぇ。こんなに血が飛び散ってるなんざ、普通の刃傷沙汰(にんじょうざた)じゃあないですね」

 荒事ならばミミよりもドンのほうが詳しい。素直にその言に耳を傾ける。


「1度や2度斬りつけただけなら、まだ血飛沫(ちしぶき)は1、2箇所程度で済みやす。斬られた側だって流血は避けたいですから傷口を抑えやすし。ですがこれほど広範囲にわたって血の痕があるとなると、相当派手に暴れたはずですぜ、斬った側も斬られた側も……」

 ドンの言うとおり事件の凄惨さは、発生より4、5時間が経過してもなお血痕が残っている現場に表れていた。

 10数m四方に渡って地面を覆う血の痕、当時その場に居合わせたであろう者達の証言、石畳に残されている無数の切り傷、そして荒らされた露店の数々……



「ふう……どうやら仕事を一つ、片付ける必要がありそうですね」

「場をおさめるんですかい? でしたら何もミミ様自身でお越しにならずとも、オレらで十分―――」

 ミミはドンの方を見ることなく、彼の口に人差し指を当てて発言を中断させた。

 それから軽く彼の方に視線をやる。その眼光には、彼女にしてはいつにもなく真面目で、滅多に見せる事のない厳しさすら宿っていた。


「(一体……? 領主様は何を考えておられるんだ??)」

 まるでここでの仕事は自分のプライベートだといわんばかりだ。


 ・


 ・


 ・


 事実、この時のシュクリアでのミミの活動は、ドンもほとんどよく知らない。警備担当とのやり取りからシュクリア町長への指示まですべてドンを締め出した上で行われたからだ。


 館に戻ってイフスやメルロを交えての会話の中でも、たいしたことはなかった、と一言で済ませてしまった。


 まるで何かを隠しているような……ドンは、自分達に内緒でミミが何かをしていると感じていた。


 しかし彼女は貴族であり領主である。

 

 自分達程度には言えない事などいくらでもあるはずだ。ヘンに疑ったりしてたらキリがないと思い、最終的には考え過ぎだという結論付けて、この件はこれで忘れることにしようと決めた。







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