第8章4 密かなる結界形成
ジャックが森の部族の村付近にやってきた理由―――それはミミに頼まれたからではなかった。
「北に向かう途中、古い知己に遭いましてね。彼女に頼まれごとを少々……」
「(彼女? その古い知己とは女か……もしや?)」
アレクスには心当たりがある。
語り口や現れたタイミングからしてその遭遇した場所とはオレス村かその周辺地域と推測。
そしてミミは今、シュクリアから大きく離れるような事はないし、地理上の位置関係などを考えてみれば、答えは簡単に導き出せる。
メリュジーネことネージュ達がオリス村からオレス村方面に移動していた事は、途中で遭遇したアレクス達も知っている事実だ。
「その知己とはネージュ殿か?」
「ほう、分かりますか。その通りですよ」
アレクスの読みどおり、ジャックに頼み事をしたのは他でもないネージュだった。ただしジャックが彼女とオレス村で遭遇したことを知る者は他にいない。
それは、ネージュがある事を警戒してしてのことで、ジャックならばまさに適任。彼がオレス村近辺にやってきた事は彼女にしても渡りに船だった。
「それで、その頼み事っていうのは何なのぜ? こっちはこっちで仕事を終えたばかり、その成果が台無しになるようなのは困るのぜ」
ジャックが何をする気なのかは知らないが、それによって自分達の苦労が水の泡になっては困る。ヒュドルチはジャックを怪訝そうに睨むも、当の本人はいたって軽い態度でその視線を受け流した。
「ご心配なく。あなた方の仕事の結果を損なうような真似は致しませんので。それよりも」
言いながら村の方を指さすジャック。何かと思い、モーグル達も村を覗き見る魔導具へと視線を戻した。
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「貴様らは森で手ごろな木を集めろ。簡素でいい、夜露をしのげる場を作るのだ」
ベギィは、元からの森の部族の者に木材の伐採と簡易住居の建設を直接命じる。
もはや長老役など完全に形骸化しての命令に、不信そうながらも真なる森の部族の者達は何も言わずに命に従い、森に入る準備をはじめた。
「ええっと、べ、ベギ……いや、その、お、俺たちはどーすりゃいいんですかね??」
ベギィが連れてきた連中は完全に身をすくませている。ジロリと一睨みされただけで生きた心地がしなかった。
「お前達は共に来い。今回のことでよぅく分かった、貴様らがいては村の建設や発展が遅々として進まないことがなっ」
ベギィは一度、彼らを森から連れ出すことにした。元からの部族の者にしばし復興の方は任せておき、これ以上余計なアクシデントを起こさぬよう連れてきた者たちは、自ら手綱を取ると決めたのだ。
「(とはいえこの人数……どうしたものか。マグル村へと連れて行くにはさすがに数が多すぎるな)」
ただでさえ余所者には警戒心が働く村人たち。
今はまだ村の者たちと信頼を築かなければならない段階。そんなところへ新たにどこの誰とも知れない者を多数連れていったらどう思われるだろうか?
警戒どころか明らかに胡散臭いと怪訝に見られてしまうのは必至だ。
「(くそっ、どうする? 食い物の問題もある以上、少数であろうとも余計に人を連れ込もうとて、マグルの者はいい顔をしないだろう。いや、どこの町や村であろうと同じだな……チッ)」
もはや当初の計画は、遅延どころか完全に破綻しているといっても良い。もしも、これがもっと経験と慎重さに長けたベギィ以外の者であったなら、この時点で計画を中止し、完全撤退を決めていたはずだ。
しかし若さゆえに功に焦るベギィには、失敗という汚点を甘んじて受けるという選択を、頭に浮かべることすらなかった。
「……ともかくだ、移動する。マグルまでは距離があるのだからな。こっちの事はお前達に任せておく。簡素で良い、明日……いや、明後日までには100人は寝泊まりできるだけのものを作っておけ」
森の部族の者達に改めて指示を与えると、自分の手下を全て連れて森の道へと消えてゆくベギィ。
その姿が完全に見えなくなり、気配も感じなくなったのを確認すると、残った森の部族の者達は緊張をほぐして一気に緩んだ。
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「アレはどうやら行ったみたいですね。しかし嘆かわしい、この距離でこちらに気付かないとは連中も随分と質が落ちたようで……クックック」
ジャックはさも愉快だと言わんばかりに笑う。
「それでどうするんだ、ジャックの旦那? アッシらでも手伝えることがあるなら力になるけどよ……」
しかしモーグルの提案に対してジャックは首を横に振った。
「いいえ、ここでの手伝いは不要です。そうですねぇ……貴方がたは速やかにこの森を抜け、彼らの先回りをするのが上策でしょう。あの若輩者がいかに底が浅いとはいえ、この地の方々にとってはそれなりに脅威ある人物……先手を打って行動することをオススメ致しますよ」
ジャックの言葉に、アレクスはふむと少し考える。
確かにベギィが多数の手勢を新たに連れていったのが引っかかってはいる。一人一人がこの地上では相応に強者と呼べるだけの力の持ち主だ、もし強行的な行動に出られたなら、一気に大事となってしまうかもしれない。
かといって、じゃあアレクス達が先回りし、マグル村へ急行したとして何が出来るだろうか?
せいぜいここで見聞きした事を村の者達に伝える程度。しかしそれで有意な成果に繋げられる何かになるかといえば、そうは思えない。
「先手、と申されてもな……アレらに我々の力でどうこう出来る手立ては、今のところ何もないに等しいが」
アレクスは素直に打てる手などないと吐露する。虚勢を張ってよし何とかしてみようと嘯いてみても意味がないからだ。
一度大きな過ちを犯した身だけに、ヘンなプライドや矜持にこだわらないとするのは、この獅子の如き獣人の一番大きな変化だ。以前の彼ならばこうも素直には弱音を吐いて見せることはなかっただろう。
「ふむ……ではこういうのはどうでしょう?」
そしてそんなアレクスの変化があればこそ、与えられる。
素直さというものは代えがたい力であり、他者より助けの手を差し伸べられる才能だ。
もし自分のプライドを重視して意地になって強がってしまっていたら、ジャックは “ そうですか ” の一言で終わらせ、そのまま彼らを送り出していた。
モーグル達がこの時、ジャックより妙案を得られたのは、他でもないそんなアレクスの変化のおかげであった。
「クックック、“ 弱者は虚勢を張りて自滅し、強者は驕った先に滅亡す…… ” とは良く言ったものですねぇ」
助言を受けてから立ち去ったモーグル達を見送り終えると、ジャックはかつて幼少期に習った格言を引き合いに出し、さも愉快そうに微笑む。
裏を返せば、弱者は素直に強者に頼れば良いし、強者は横柄なく弱者を救済してやれば良いという事―――
「(―――そうすれば双方ともに滅に瀕する事はなし……、懐かしい問答ですが浸ってばかりもいられません。そろそろこちらも頼まれ事を果たすと致しますか)」
するとジャックは驚くほど普通に歩きだした。
気配を消そうとすることもなく、堂々と草木を踏みしめて音を立てる。
「! 何者か!!?」
森の部族の一人が気づいて即座に声を発すると、わずかの間もあけることなく全員がギュルリとこちらに向いた。
「(ほーお、一瞬で全員が警戒態勢に入れますか……各自個体としてはさほどの強さは持ち得てはいないようですが、群体としての連携力は高そうですね)」
ジャックは止まることなく堂々と歩みを進める。
こういう時に足を止めたり、身構えたりするのは悪手だと知っているからだ。己に何らやましいことはなし―――そう態度で示すことが、未知の者達と接するには最良であると、彼は理解していた。
「(もっとも、互いに実力差があるとハッキリしているからこそ取れる態度ですけどね、クックック)」
いかなる社会においても根本的に力とは正義である。力があればこそ危険をかえりみずに己の行動や態度を貫けるし、いかなる相手に対しても気後れする事はない。
「はじめまして、森の部族の皆さん。私はオ・ジャックと申すしがない商人でございます。本日こちらに訪問させて頂きましたのはナガン領が領主、メリュジーネ候よりの御依頼によるもの……ぜひ、皆様のご協力をお願い致したい所存」
非常に丁寧でよく通る声での口上は、場にいた森の部族の人間すべての耳にハッキリと届く。
「商人?」
「ナガン領というのは……確か東の方の?」
「一体何なんだ??」
ここでジャックはあえてメリュジーネの名を出した。彼ら自身はその個人を知らないだろう。しかし “この商人は誰か偉そうな人の命でここにやってきた?” と受け取らせることが重要だ。
そうすることでジャック本人だけでなくこの場にやってきた彼の行動には、他の何者かの関与があると彼らに理解させる。
未知とは、すべからく慎重と警戒をもって当たるものである。それはジャックからだけでなく森の部族側からしても同じこと。怪しい者というのは自分達の安全のため、即撃退対象とするケースも珍しくない。
そんな未知の相手と会話を成すためには、そのための状況へとまず持ち込む必要があるのだ。
「……それで、その商人とやらがオレたちに協力して欲しいことってぇのは何だ?」
まずは第一関門突破。
話を聞こうという素振りが引き出せさえすれば、ここから後はジャックにとっては容易い。
「先ほども申しました通り、私は頼まれてやってきました。その頼まれ事をするにあたり、真なる森の民たるあなた方だけしかおられない時に来れたのは、まさに幸い」
彼らが一様にピクリと反応を示したのをジャックは見逃さない。
誰にでも尊厳がある。守りたいプライドがある。
森の部族にとって屈辱的な状況が続いていた中、自分達を “ 真なる森の民 ”と形容されるのは、まさにその尊厳を蘇らせ、かつ尊重してくれていると感じさせる一言であった。
「あなた方にとっても、私の用向きはきっと有意義なものとなるでしょう。ですが……これをあの余所者どもに知られては意味なきものとなってしまいます。皆さんの協力が必要不可欠なのです」
再び彼らがピクリと反応する。真なる森の部族は、スティンの地道な活動のおかげで既に、ベギィ一味のことを誰もが理解し、把握している。
今は戦力的に彼らに抗うことはまず不可能なので、堪えて仕方なく従っているだけで、誰もがいつか連中に一泡ふかせてやりたいと、腹の底ではグツグツと煮えたぎるものを抱えていた。
「……話てみろ。奴らにギャフンと言わせられるのなら、協力もしてやらんでもない」
一人がそう言うと他の者もジャックに対して頷く。
彼らの意志を確認するように見回してから、ではと語り出し始めた。
「話は少し大きくなりますが……この地の領主であらせられるアトワルト候は、既に連中に対する方策を何かと進められておられます。今回私めの用事とは、その一環でもあるのです」
するとジャックはおもむろにその場にしゃがむ。そして手近にあった木の棒を手に取ると、地面に簡単な図を描き始めた。
「そしてナガン候はそのアトワルト候の意図を汲み、道中で遭遇した私に手伝いを依頼。そしてこの村に “ 結界の一角 ” を設置するようにと頼んできたのです」
「結界? ……この村にその、何を設置するっていうんだ?」
やや怪訝そうな表情を浮かべる者が複数。
これ以上、自分達の村をいじくりまわされるのは抵抗感があると言わんばかりだ。
ジャックは慎重に言葉を紡ぐ。まだ信頼関係も築けていない彼らを刺激するような事は決して口にしてはいけない。かといってヘンに気遣うようなことを言ってもダメだ。正確かつ穏当に話さなければならない。
「端的に申しますれば魔導具です。この村にもその類のモノはあると聞き及んでおりますが?」
「ああ、奴らが持ち込んだモノだけだ。元々この村にあんなモノはない」
ややピリっとした空気が流れる。
文化的に魔導具など本来は無縁の彼らからしたら、ベギィ一味の存在を想起させるモノという印象しかないのかもしれない。
だがジャックは続けた。
「……もし、この結界を上手く張る事が出来るとどうなるか? ごく簡単に言いますと余所者を―――そう、彼らを排除することが可能となります、それも恐らくは、彼らの方から逃げ出すハメになるかもしれないほどに……です」
一気に場がザワめいた。
「奴らを!?」
「そんなに都合よくいくか?」
「いやしかしだな、もしそれが本当なら―――」
多少誇張気味であるとしても、強い期待を喚起するような事を述べるのは説得においてとても重要だ。
もちろん、まるっきり嘘でもなければ誇張に過ぎるというわけでもない。実際に結界が張られた場合、そういった成果をあげることは可能になる。
「(もちろん5か所すべての敷設と発動が上手くいくこと前提ですがね。……ま、成否や実際の効果のほどに関しましてはこちらの知るところではないのですが)」
とりあえずは森の部族との交渉環境は整った。ここからがジャックの、商人としての本領発揮の時であった。
――――――都市シュクリア、ミミの借り屋。
「今帰ったわよぉ~、ミミちゃんはいるかしら?」
帰ってくるなりネージュは、ちょうど玄関前でドーヴァと話をしていたドンを見つけて問いかけた。
「おや、これはメリュ―――ネージュさん、お帰りなさいやせ。ミミ様ですかい? 少々お待ちくだせぇ」
ドンはすぐさま執務室の方へと駆けていく。馬車から飛び降りたネージュは一度振り返り、ハイト達を見やった。
「3人はひとまず休んでてちょーだい。ちょっとばかり小難しい話をしてくるわ」
その言い回しでハッとしたのはハイトだけだった。
ネージュはすなわち、他人に聞かれない環境での会話をミミに求めているという事であり、そこに自分らが同席することは暗にダメだと言っているも同じだと気付く。
「……分かりました。アラナータ、ムームさん、僕たちは馬車と荷物の片付けに取り掛かろう」
「何やら大変そうじゃな、ワシも手伝おうか?」
その場で先ほどまでドンと雑談を交わしていたドーヴァが気を利かせ、手伝いを申し出てくる。
ハイトは僅かに考えた。そして、ネージュがミミと重要な会話をしたいという事を考えると、彼には自分達と一緒にいてもらった方が良いだろうと結論付ける。
「すみません、お願いできますか?」
「おうよ、少しばかし時間を持て余しておったでな、力仕事なら任せとけい」
ミミと仲を深めたおかげか、このところのドーヴァには、傭兵として他の者との交流には一線を引いていたカドが和らぎ、元より持っていた人情性が強く出ている。むしろ他人との交流に積極的だった。
そうこうしているうちに、ドンが小走りに戻ってくる。
「ネージュさん、ミミ様がお会いになるとのことですんで、どうぞこちらへ」
「オッケー。……じゃ、後はよろしく頼んどくわね」
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ネージュから話を聞いたミミは、呆れたようにフッと笑みをこぼした。
「本当に、メリュジーネ様にはかないませんね。似たような事をお考えになっていらっしゃっただけでなく、先んじてお手を打たれてしまいました」
「ふっふっふ、なかなかやるもんでしょ? っていうか今はネージュだってば」
自らクイ村跡地に仕掛けを施し、オレス村の仕掛けがバレないように取り計らい、たまたまやってきた古い知己に森の部族の村への仕掛けを押し付け――――――最後のはタイミングと運が絡んでいたとはいえ、それも含めてすべてがメリュジーネ=エル=ナガンという人物の実力であると言えた。
「(やれば出来る人なんだけど、ムラっ気があるのが……ホント、執事さんは苦労してるんだろうなぁ普段)」
そして、ここから二人の会話は真を帯びる。
「それで、術式は円形結界式で組んじゃったけど、ひし形予定なら転用可能よね??」
「はい、アイシル……アイトゥーシル様が南の術式を担当していただけることになったのですが、今はまだ魔力溜まりの循環式だけ施してある状態です」
「! アイトゥーシルってあの淫魔族の副族長クラスのやつ? なんでまたそんなのが来たわけ??」
「アトワルト領にもお一人、淫魔族の方がいます。シャルールさんを覚えていらっしゃいますか? 彼女がどうやら種族長様に救援の伝手を行い、その結果としてアイトゥーシル様がいらっしゃった、という流れのようです」
「へーぇ、最近何かと淫魔族と縁があるわね。魔獣の発注先もその種族長だし、面倒を見てもらってるのもそのシャルールって淫魔のコだし……んで、その本人はどこ行ったの?」
「マグル村ですわ。そもそも彼女の来訪目的は妹であるシャルールさんの救護ですし、こちらがお願いした事はあくまでついで、という形ですね」
「ま、やる事やってくれるなら何だっていいわね。ルリウス子飼いの側近なら間違いないし。ならほぼ仕掛けはすべて出来上がったも同然かしら?」
「そうですね……油断はできませんが、ベギィ一味への対抗策は何とか形が見えてきた、といったところかと……モンスターの件に回す予定の戦力がギリギリで、直接戦闘は出来ませんし」
「そうそう、そのモンスター・ハウンドの方はどうする気なの? ナガン領からは今回戦力出してあげられないし、何とかなりそうなの?」
「ええ、おそらくは。確実とは言い難いですが、傭兵のドーヴァさんに格安条件で案件に耐えられそうな他傭兵の方々を招集して頂きました。……あ、それについて一つネージュさん……いえ、あえてここはメリュジーネ様とお呼びさせていただきます」
「! …何かしら?」
「事後承諾となって申し訳ないのですが、ドーヴァさんおよび傭兵の方々に報酬といたしまして、私からメリュジーネ様への紹介状を含めるというお約束を……よろしいでしょうか?」
「ん、オッケーよ。……ま、あの件に関してもそれが最善手でしょーしね。ならちょっと先にやっとかないといけない事があるわ、紙とペン貸してくれない?」
「ええ、もちろんです。こちらをお使いください」
――――――メリュジーネが閉口し、ミミの反対側から執務机の上で何やら書き物をはじめたおかげで、ようやく会話に一息の静寂が訪れた。
同室して部屋の扉付近で待機していたドンは、二人の会話に、バカみたいに口を開けたまま驚愕しっぱなしになっていた。
「(す、すげぇ……なんなんだ今の。話している間、途中で止まることも緩むこともなかったぞ??)」
やや早口気味。なれど決して急いているような感じはない。
だが確実に今の息つく間のない二人の言葉の応酬は、領主という立場にある者同士、相応しい風格を感じさせるものだった。
―― 互いに何を話題に出すか即座に察し、即応する推察力。
―― 言い淀むことなく意見を出しあえる知識と経験が十分な話術。
―― 一呼吸する隙も、第三者が口を挟む暇も与えないほどの饒舌。
それらを踏まえた上で自分の言いたい事を言い、相手の話にも耳を傾け、しかと理解し、そして返す……
ドンとてミミの傍らで政務を手伝ってきたし、それが出来るだけの頭の良さもあると自負している。だが今の僅かな間の二人のやり取りに “ 本物 ” というものを垣間見た気がして、その優秀なゴブリンでさえもただただ驚愕してフリーズしたまま、いつまで経っても再始動できなかった。
「あ、そうそう。言うまでもなく今の話は秘密だから、誰にも言っちゃやーよドンちゃん?」
「え、あ、はい。そりゃあもちろんですとも」
急にメリュジーネに言われて惚けていた顔に精悍さが戻るドン。その様子にメリュジーネはクスリと微笑む。それと同時に書き物を終え、ペンを机に置いた。
「さって……となると、この手紙は早馬とかじゃあ危ないわねぇ。ミミちゃん、この近くに “ アレ ” はいる?」
「いえ、いないはずですわ。念のため、何かしらの魔法を用いてる可能性も考慮し、魔力の反応も調べさせましたが心配はないでしょう」
ワラビット族の聴力による存在の有無と、屋敷内に魔法の仕掛けが施されていないかの確認。
ヴンッ
それでもなおメリュジーネはフーンと言いながらも、何やら魔法陣を頭上に展開した。
「(メリュジーネ様ほどの方がここまで警戒する……ジャックさんがいってた通りに随分と危険な相手みたいだけど……はぁ、勘弁してもらいたいな)」
「……どうやら問題ないようね。これなら魔法で送っても気取られないわ」
すると、展開していた魔法陣の色と模様が変わる。
そしておもむろにその中央に向けて書き終えたばかりの紙を四つ折りにし、投げ込んだ。
この間、メリュジーネは一切魔法のワードを唱えていない。魔法陣のやたら豪奢な紋様や式からしても、相当に高度な魔法である事は間違いなく、それを平然と用いてみせる姿だけでも、メリュジーネという人物の実力のほどがうかがえた。
「(途方もないなこりゃあ。メリュジーネ様がすげぇ方だってのは前々から分かってたはずなのに)」
おそらく、他の雑多な同種族の仲間の多くは今の彼女の凄さを理解できないだろう。
ドンのように知能が高いからこそメリュジーネの凄さが感じられて、決して届かない天を見上げるような気分になってしまう。
「……で、モンスター・ハウンドの対処はいつやるつもりかしら?」
頭上の魔法陣が消え、一仕事終えたといった風に額を拭ったネージュ。しかし次の瞬間にはコロっと態度が豹変―――ワクワクする子供のような雰囲気を醸し出しながらミミに訊ねる。
「……まさか参加したい、とか言い出しませんよね?」
「もっちろんっ、参加したいに決まってるじゃない! アイツには空高くご案内のお礼をしなきゃいけないわ! …で、いつかしら?」
この様子だと何を言っても無駄、完全に参加する気だ。こうなった彼女を止められるのはおそらく執事のロディだけだろう。
「……そう、ですね……私の考えではまずマグル村からザードさん達、戦力となる方々を公に召集することから先に行うつもりでいます。そして、モンスター・ハウンドの討伐は、結界の発動と同時に行おうかと」
「! ……へーぇ、なるほどね。大網を投じようってワケ。ドンちゃんはミミちゃんの言ってる意味わかった?」
またしても急に振ってこられたドンは一瞬焦る。
が、すぐに落ち着いて数舜の思考、そして答えを口にするべく開口した。
「……2つの案件への対処を同時に―――ベギィ一味を出来るかぎり中央に近づける、という意味で合っていやすかね?」
するとネージュとミミは同時に微笑む。
「へーぇ、やっるぅ。最初に見た時から結構できるコだとは思ったけど、いい部下に恵まれたわね、ミミちゃん」
「ええ、ドンさんは優秀ですから。普段からとても助かっております」
褒められた当のドンは照れて赤くなり、思わず手にしていた槍を落としそうになった。
その様子に軽く笑い声をあげてから、二人は真面目な表情に戻る。
「……結界の中心に近いほど効果は強くなるし外まで逃げる距離も長くなる。しかもマグル村にいる戦力を招集って事は」
「はい、相手もそういった個人は注目しているはずですから。それにモンスター・ハウンドを仕掛けた本人なら、それを討伐される動きを無視できないはずです、加えて……」
それまで流れるように会話していた中、はじめてミミが言い淀んだ。
「……加えて、何?」
「期待薄ではありますが、もしかすると討伐のための戦力を向こうから連れてきてくれるかもしれないと、少し思っているのです」
――――――マグル村の外
「さすがにその人数を村に入れるのは無理ですよ」
村人にハッキリと断られ、ベギィはやはりと疲労感を滲ませた。
「では村の外……この付近で開けた場所はどこかにありませんか、そこにとりあえずは一時的に滞在させておきますれば」
森の部族の村を支配するために、元からいた部族の村人達よりも多人数を連れてきたことがここで仇になった。
ベギィが新たに連れてきたのはマグル村の村人達ほどではないにしろ、その6割近い頭数がいる。
ただでさえ細々と食をつないでいる状況下。それでなくとも村の広さを考えれば過剰な人数だ。マグルの村人達が難色を示すのは当然だった。
「(チッ……やはり人数を絞らねばならんな。どうせ足を引っ張る役立たずのクズどもだ、ある程度魔界の獄中へと送り返してしまうか)」
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結局、マグル村から少し東進した街道横の小さな野原に、ベギィは連れてきた者達を置いた。
そして、その数は3分の1まで容赦なく減らされる。
「……残った者も聞け。再び惨めな思いをしたくなければ我が役に立て。役立たずに自由を与えるほど寛容ではない……分かったな?」
その役立たず達にしても、地上でなら相応に強者としてやっていけるだけの強さを持つ。
ところが、そんな彼らが束になってもかなわないほどベギィは強い。そんな実力差を理解しているからこそ、彼らは渋々ながら従っている。
だが、このところ目に見えて傲慢な上から目線を隠さなくなったベギィに、不満を覚えている者は多く、誰もが首肯こそするものの了解の意を言葉で示す者はいなかった。
……ドカラドカラドカラッ!
「ん? あの魔獣の子供は確か……? お前達、ここに待機していろ。いいな、余計な事をしてこれ以上我が手を煩わせるんじゃあないぞっ」
街道を突っ切っていったスレイプニルの子供を見て、それを追いかけるようにマグル村へと戻ってゆくベギィ。
ようやくうっとしいのがいなくなった―――精々したと言わんばかりに役立たずと言われた彼らはそれぞれ、その場でベギィへの不満を口々に言い合いながらくつろぎ始めた。