この時のために
詩織がふと気が付くと、彼女は風が吹く壊れた屋敷の中庭に、ポツンと一人で腰を下ろしていた。そこは先程までのドタバタした舞台とは大違いで、ただ風に揺らぐ木々の静かな囁きだけが耳に届き、不思議に落ち着いた雰囲気が辺りを包んでいる。
屋敷は嵐か何かに壊されたように破損が激しいが、その何処にも人の気配は無い。周辺の静けさは耳が音を拒否しているかと錯覚する程で、時折そよぐ風の音に、違和感すら持ち得ない世界だった。
詩織が辺りに目をやると、中庭の中央に粗末な2つのお墓が見える。そしてその傍には先程のネコミミを頭に付けた真夢が座り、寂しそうにお墓を見つめていた。
何か深い物思いにふけっている真夢を心配した詩織は彼女に声をかけたが、真夢はどうしてもお墓が気になっているらしく反応を示さない。聞こえなかったのかと思った詩織が少し大きめの声で呼びかけると、彼女はようやく振り向いた。
「マム。何を見てるの?」
しかし振り向いた真夢は再びお墓に目を戻し、彼女の呼び掛けに応じようとしない。それを不思議に思った詩織はお墓に近づくと、真夢の横に座った。お墓には誰かの名前が刻まれているが、それは永い時を経てここにあるようで、字が掠れて読むことが出来ない。お墓は手作りのもののようで、粗末ながらも作り手の愛情のようなものが感じられる。
「ありがとう。帰り道が見つかったみたい。」
不意に真夢が、意味のよく判らない話を始めた。
「帰り道?マムのか?」
「違うよ。ウチの帰り道じゃ無い。ウチの大事な人の帰り道だよ。」
真夢の言葉を聞いて、詩織には気付いたことがあった。真夢は普段から自分のことを【マムの】とか【あたしの】と表現するが、【ウチの】と言うことは無い。これはいつも真夢と一緒に過ごしている詩織にとっては大きなことで、普通に考えれば真夢には考えられない発言だ。そしてその詩織の気付きに逆に気付いた真夢は、ようやく詩織の顔を見るとニッコリと微笑んだ。
「気付いたみたいだね。ウチはアンタの友だちの【真夢】じゃ無いよ。」
「そ、それじゃ誰なのだ?」
詩織はその異様な事態に一瞬だけたじろんだが、偽物の真夢には不思議と恐怖が感じられず、詩織を陥れようとするような雰囲気は見られない。その勘を信じた詩織は彼女の隣に腰を下ろしたまま、しばらく様子を見ることにした。
「ウチは・・・ある人の道案内。」
「道案内?」
「うん。実はさ。ウチの大事な人が、家に帰れなくて困ってるんだ。」
「ふ〜ん。迷子か?」
「うん。ホントはウチが最後まで道案内をしようと思ってたんだけど、ある事情で出来なくなってさ。でもどうしても送り届けてあげたいから道を探していたんだよ。」
「それで、見つかった?」
「ようやくね。」
「それは良かったのだ。」
「その帰り道はね・・・アンタだよ☆」
謎の少女の不思議な発言に、詩織は目をパチクリさせた。詩織自身が帰り道とは、どうにも意味が通らない。詩織は彼女の言葉の真意を尋ねようとしたが、その時不思議な事が起きた。
不意に辺りの風景が揺らぎ、その輪郭が徐々に朧気に薄らぎ始め、色彩が黒へと変化していったのである。それはまるで詩織の意識が遠のいていくようにも感じられ、自分が失神する直前ではないかと錯覚してしまう。そしてやがて目の前の真夢の姿もボンヤリと白く変化し、まるで消えゆく煙のように小さくなっていった。
その姿は小さな銀色のネコのようで、あるいはそれが詩織の小説に出てくる【ティム】かとも思ったが、ティムは雄なので違っている。
そして小さな銀色のそれはウフフと笑うと、詩織の意識と一緒に消えていった。
☆
詩織が最後に行き着いた場所は、誰もいない石室の中だった。
そこは六畳一間程度の広さで、ほんのりと肌寒く、何か得体の知れない狂気が漂っているような雰囲気がある。しかしこのような場所であるにも関わらず石室にはベッドやテーブルが揃えられていて、どことなく生活の匂いのようなものも感じられる。
石室の棚や三脚にはいくつもの調度品が無造作に並べられていて、そのどれもが詩織には初めて見るようなデザインだ。強いて言うならその印象は古代のエジプトやアラビアのように感じられるが、幾何学形に近くも少し狂った造形は、もしかしたら地球のものでは無いのかも知れないと彼女は思っていた。
不意に詩織の足に、何かが当たった。
みると彼女の足元に、真っ黒い色をした鍵が落ちている。鍵は長さ20cm程度のもので、ずっしりとした重みがあり、その表面には調度品に刻まれたものに似たデザインが施されている。
詩織はその鍵を左手で持ち上げると、突如閃いたことがあった。
「マムが言っていた【夜の鍵】って、多分これだ!」
あの何者かが化けた真夢が言っていた、この奇妙な夢から抜け出せるという【夜の鍵】。その形状については詩織もいろいろと想像していたが、この黒い鍵は正にそれにピッタリの品物だったのである。
しかし【夜の鍵】を手に入れたとは言え、彼女にはその使い方が判らない。
鍵と言うからには何処かに鍵穴があるかも知れないと考えた詩織は、とにかく石室の壁という壁をしつこいぐらいにジロジロと見て回ってみたが、その時詩織は背後で人の気配を感じ、彼女は慌てて後ろを振り向いた。
「あの・・・、何をしているの?」
声をかけてきたのは、詩織よりいくらか歳上の女性だった。女性は七海と同じ年頃ぐらいで、赤と黒を基調とした奇妙な衣服を身に付け、非常に驚いた表情を浮かべている。
このような殺伐とした部屋に人が住んでいるのは不可解だったが、詩織は自分が彼女の部屋に不法侵入してしまったものと思い、とにかく大慌てで弁解を始めた。
「ごめんなのだ!いつの間にかこの部屋に紛れ込んじゃったみたいで・・・。」
「え?」
「え?」
「ええ!?」
「・・・・・シオリ・・・ちゃん?」
「・・・・・・え?」
それは詩織の記憶には無い女性だったが、なぜか彼女は詩織の名前を知っていた。その瞳はとても柔らかで優しく、懐かしさと親しさを込めるように彼女を見つめている。
詩織は彼女とどこかで逢っていたかもと、錯覚すら起こしてしまいそうだ。
「あの・・・どうして、あたしの名前を知っているのだ?」
不思議に思った詩織が女性に声をかけると、驚きの表情を浮かべていた彼女はハッと我を取り戻し、フウと一息ついてからニッコリと微笑んだ。その微笑みには少し寂しそうな雰囲気があったが、事情を憶えていない詩織には、とうていその真意を理解することは出来ない。
「知っているよ。シオリちゃんのこと、絶対に忘れられないから。」
「・・・前に会ったこと、あったかな?」
「フフフ・・・。そうね。会ったことあるかもよ☆」
すると女性は右手を差し出し、その指先を詩織の左手に向けた。詩織の左手に握られているのは【夜の鍵】。詩織はおそらくこの鍵が女性の物なのだろうと判断し、そっと彼女に手渡した。
鍵は所有者に戻ったことを喜んでいるのだろうか?暗く鈍い輝きを発し、その輝きが神酒の左手と共鳴しているように見える。
「ありがとう。これ、とっても大事な物なんだ。」
「これ、【夜の鍵】って言うんだよね?」
「知ってるの?」
「うん。マムが教えてくれたから。」
「へ〜、マムちゃんが。」
「お姉さん、マムのことも知っているの?」
女性の存在を不思議に思った詩織は、しげしげと彼女の顔を見つめた。この年上の女性の印象はとても不思議で、初対面のはずなのに、まるで昔から知り合いだったかのような、懐かしさが湧き上がってくる。
しかし、そんな2人の特別な時間は長くは続かなかった。やがて詩織に働いていた奇妙な【夢】が影響を及ぼした時間が【夜の鍵】の能力により終わりに近づいたらしく、詩織の体が次第に薄らぎ始めたのである。
過去の記憶が欠落していても、女性と詩織の歯車はしっかりと噛み合っている。だから2人はどちらも別れたくないような気持ちが浮かんでいて、詩織がもう消えてしまう直前の事。詩織は彼女に、最後にこんなことを聞いていた。
「お姉さん。名前教えて欲しいのだ。」
「・・・あたしの名前は・・・・・高村神酒!」
「高村・・・神酒?」
詩織はその名を聞いて、すぐに気付いた。
その名は正しく、彼女が書き続けた物語の主人公と同じ名前だったのである。
詩織の物語は『君のポケットに届いた手紙』という題名が付けられていて、
その主人公は『高村神酒』名付けられていたのだった。
詩織の夢の中で、最後に見た神酒の表情は笑顔で溢れていた。
そして最後に彼女が残した言葉は、
目覚めた後の詩織の記憶に、長く重要な鍵を残していたのである・・・・・。
「うん。もしかしたら、もうすぐどこかで逢えるかもよ☆」
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