豊臣家(6) 宇喜多家,生駒家,能登前田家
○宇喜多家
宇喜多秀家……徳川家康に改易され、島津家久の所に身をひそめていたが、九州で豊臣
方が徳川勢力を攻める際に島津家客将として活躍。その功を認められ豊前十二万石
で大名復帰。大阪城攻防戦で九州から大阪へ馳せ参じる。攻防戦中、備前三十八万
石に加増転封された。
明石全登……宇喜多家がとり潰された後、浪人であったが、秀頼の呼びかけに応え、い
ち早く大阪城へ入る。伏見城攻めなどで功を上げ、大阪城を守る主要な武将の一人
として務めた。宇喜多秀家が備前国を治める事になった際、宇喜多家に復帰した。
家老。
○生駒家
生駒正俊……父・一正は豊臣大名であったが関ヶ原の戦で東軍・徳川方に与する。讃岐
十八万六千石を治めていたが、島津家久らの四国攻めで、家久に降伏後、大阪城
の守将の一員となる。その後、豊後国国東郡、速見郡の二郡三万二千石に減封転封
された。
○能登前田家
前田利政……当主。豊臣家(1)参照
高畠石見守定吉……徳川秀忠の松本城攻めの際に、利政は松本城の援軍に赴く。定吉も
利政と共に従軍した。その戦で大鉄砲隊を率いて徳川の将・石川康長を討ち取る。