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豊臣家(5) 伏見真田家,長宗我部家,摂津片桐家,大和片桐家

○伏見真田家


真田幸村……豊臣家(1)参照。


真田幸昌……豊臣家(1)参照。


高梨主膳……伏見城が徳川方に攻められた際に郭・山里丸を守る。家老。


小山田茂誠……豊臣家京町奉行を務める。



○長宗我部家


長宗我部盛親……徳川家康に改易されていたが、豊臣秀頼が徳川家へ対決姿勢を鮮明に

  した際はすぐに大阪城へ馳せ参じた。伏見城奪取の時は大将を務め、落とした後は

  城主として守る。その後、伏見の地は真田幸村が治める事になり、盛親は土佐二十

  万二千六百石を与えられた。豊臣家若家老。


南岡親清……盛親と共に伏見城へ入り守将の一人として務める。家老。



○摂津片桐家


片桐且元……かつての賊ヶ岳七本槍の一人。徳川方大名の本多利政、桑山和直、松倉重

  正に居城・龍田城を攻められ、桑山和直と松倉重正を返り討ちにしたものの負傷。

  傷を秀吉の正妻であった高台院ことねねの住む高台寺で癒す。その後、摂津三田二

  万二千石を治める。病を患っていた浪人・南条元続の面倒を見て豊臣家直参に推挙

  する。片桐貞昌の叔父。豊臣家台所奉行。


○大和片桐家


片桐貞昌……幼少の頃に父・貞隆(且元の弟)は本多利政、桑山和直、松倉重正に攻めら

  れ討ち死。南条元続の働きにより豊臣家が接収した大和小泉二万石を賜る。

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