徳川家(2) 本多忠勝家、本多正信家、浅野幸長家、最上家
本多忠勝……徳川四天王の一人。武勇に優れる。里見家が豊臣家に帰参し勢力を広げた
時に、下総・矢作城に入る。里見家に捕われていた息子の忠正が返還される際に里
見家の池引内蔵介と認め合う間柄となる。池引に信長由来の刀を渡した。伏見城
の攻城軍大将を務める。
本多忠正……忠勝嫡男。上総国大多喜城主を務める。家康に里見義康と合流し宇都宮城
の守将を命じられたが、豊臣に帰参する里見義康に捕えられてしまう。その後、池
引内蔵介に連れられ解放される。解放後は一六〇八年まで矢作城主を務める。
梶金平勝忠……忠勝重臣。伏見城攻めに参加。元々は家康から忠勝に付けられた寄騎であ
ったが、後に忠勝の臣となり家老を務めた。
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本多正信……家康の重臣。謀略を得意とし、秀吉の死後に多くの豊臣方大名を徳川方に
引き入れた。秀忠の守役的な立場。家康の死後、秀忠と共に徳川家を立て直そうと
するが上手くいかなかった。秀忠が八王子・龍光寺にいる秀頼を攻めに行く際に江
戸城の守将を務めるが、上杉景勝らに討ち取られた。
本多正純……正信の嫡男。家康の葬儀を取り仕切る。父・正信の死後、家督を継ぐ。
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浅野幸長……秀吉の正妻・ねねの義弟。秀吉政権下では五奉行の一人。関ヶ原の戦では
徳川方東軍に与する。大阪城攻城軍に加わる。豊臣家と徳川家の和睦後は、最上家
と二家だけ徳川外様大名として認められる。紀伊和歌山三十七万六千石。
浅野忠吉……幸長重臣。大阪城攻城戦の時に、宮本一真(豊臣家(2)参照)の気質を見抜
くなど人を見る目がある。
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最上義光……関ヶ原の戦で徳川方に与する。上杉領米沢を攻め直江兼続に重傷を負わせ
るが、援軍として現れた真田昌幸に傷を負わされる。豊臣家と徳川家の和睦後は、
浅野家と二家だけ徳川外様大名として認められる。出羽山形五十七万石。