表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/18

徳川家(1) 徳川家康、秀忠 一門衆

徳川家康……豊臣秀吉の死去後、豊臣大名を調略した上で、石田三成を煽って大戦に持

  ち込み、関ヶ原の戦で勝利する。将軍の職につき、徳川政権を盤石にしようと画策

  するが、豊臣秀頼を当主に担ぐ豊臣方勢力に押される。嫡男・秀忠に将軍職を譲っ

  た後も、大御所として権力を握るが、一六一六年七月、駿府城で死去。


徳川秀忠……家康の三男。家康より家督と将軍職を継ぐ。関ヶ原の戦では、真田昌幸の

  守る上田城に足止めされ遅参し、家康に叱責される。大阪城包囲戦などでも戦果を

  上げる事が出来ずに世間では凡庸との評価が定着する。しかし家康の晩年には独自

  の家臣を抱えるなど少しづつ将として成長する。家康の葬儀の際に参列した豊臣秀

  頼を八王子・龍光寺で攻めるが、その間に江戸城を上杉景勝らに取られてしまう。

  豊臣方と争っていくには将不足など力が及ばない事を悟り、和睦する。和睦により

  三河、遠江、駿河、伊豆の僅か四カ国に押し込められる形となった。


徳川義直……家康の九男。家康の譜代強化策の一環で、改易された蒲生秀行の治めてい

  た陸奥を六十二万石で治める(当時十二歳)。豊臣家との和睦後は所領は豊臣家へ接

  収された。


徳川頼宣……家康の十男。一六〇三年、二才にして常陸国水戸二十万石の領主となるも

  頼宜は江戸城にいて常陸国の施政は家老達が行う。そのため、里見家は常陸国を虫

  食い状に頒図を広げた。豊臣家との和睦後は所領は豊臣家へ接収された。


松平忠輝……家康の六男。川中島十四万石を治めた。御付家老・皆川広照は真田信幸に

  降り信濃真田家家臣となった。その後、真田信幸ら豊臣方信濃勢に所領を奪われ家

  康の旗本となっていた。家康の死去後は秀忠の旗本。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ