豊臣家(1) 豊臣・前田・真田姓
○豊臣家(1)豊臣・前田・真田姓
豊臣秀吉・・・織田信長の後を引き継ぎ天下を統一し関白、太閤となった。1598年
死去。自らの死後の日本の事を前田利長、真田昌幸、直江兼続に託し
た。
豊臣秀頼・・・秀吉の子。秀吉亡き後、豊臣家を継ぐ。幼少のころは凡庸と思われて
いたが、信長と秀吉の才を合わせ持つ将に成長した。1605年に関白
に任じられる。
前田利長・・・加賀前田家当主。前田利家の子。秀吉の生前に真田昌幸、直江兼続と
ともに日本の事を託されたが母・まつが徳川家康の元に質として出向
いてしまったため関ヶ原の戦いでは家康の東軍に列する。その後上杉
景勝に促される形で豊臣家に帰参。豊臣家の主軸として活躍する。
前田慶次郎・・・上杉家の食客であったが、上杉景勝が反徳川として豊臣家を建て直
す際に徳川家に与していた真田昌幸の嫡男・信幸を豊臣家に引き込
む。
その後頸木前田家を興す。豊臣家武芸指南役。豊臣秀頼には師匠と呼
ばれている。
前田利政・・・前田利長の弟。徳川家康により改易されていたが、秀頼により能登前
田家として大名に復帰。利長と共に豊臣家を支える。
前田正虎・・・前田慶次郎の子。前田利長の家臣であったが、慶次郎が頸木前田家を
興す際に頸木前田家へ移籍。
真田昌幸・・・関ヶ原の戦の際に西軍に与したことにより九度山へ流罪となる。上杉
景勝の手引きにより大阪城へ出仕。直江兼続、と共に豊臣家の軍師を
務めていたが現在は引退し信濃にて隠居生活を送る。隠居の身であり
ながら兼続が負傷した時や江戸城を攻める時などは兵を率い参列す
る。
真田信幸・・・真田幸昌の長男。関ヶ原の戦では東軍・徳川方に付いたが徳川秀忠と
折り合いが悪く、前田慶次郎の説得に応じ豊臣家の臣となる。小諸城
や松本城を落とすなど武勇に優れている。信濃真田家当主。
真田幸村・・・真田昌幸の次男。父・昌幸と共に九度山へ流されていたが、父と共
に大阪城へ出向く。秀頼が幼いころは秀頼を教育する。現在は父・昌
幸の隠居に伴い豊臣家の軍師を務める。伏見前田家の当主。
真田幸昌・・・真田幸村の嫡男。秀頼の親衛隊である「六輝隊」の一人。親しいもの
には幼名の大助と呼ばれている。武芸に秀でる。