2
「親がね、死んじゃったんだ」
先生は他の人から聞いてるってわかってたけど、私の口から知っていてほしかった。
モデルを引き受けると、はっきり返事をしたわけじゃない。それでもなんとなく美術室が恋しくて、私は毎日のように放課後だけは学校にいた。
美術部には幽霊部員しかいないらしく、私と先生以外には誰もいない空間だった。
何日かで下絵を完成させた先生は、本格的に彩色の段階に入っていた。専門は油絵だと言っていたけれど、何故か水彩絵の具が使いたくなったとか言っていた。
完成してから見せてくれる約束。
「うちはもともと父親がいなくって、いわゆる母子家庭だったの」
一人っ子でね、と私は続ける。
「母親は不器用な人だったんだな、って今さら思うんだ。一生懸命に働いてくれたけど、娘と話す言葉は知らなくて。学校どうだったのとか、そういう会話はあんまりしなかった」
脳裏に浮かぶ母の姿は、いつも口を真一文字に結んでいる。
口下手で面倒くさがりで――でも、愛のある人だったんだろう。
「会話は少なかったけど、息苦しくはなかった。それが当たり前で、どんなに静かでも二人でさえいれば、それは一家団欒だったんだと思う」
先生はあいづちを打つわけでもなく、キャンバスに筆を滑らせる。
別にいい。
聞いていてくれることは、わかるから。
「夜に働いて、朝に寝て。私と顔を合わせること自体が少なかったんだけど、幸せだったんだよ。寂しいなって、思うこともやっぱりあったけど、不幸ではなかった」
口に出せば、その時のことがどんどん思い出される。
母の誕生日に、夜中まで息をひそめて帰りを待っていたこと。十歳のクリスマスに、初めてお小遣いでプレゼントを買ったこと。それに対して、母が滅多に飲まないお酒を飲んでから礼を言ったこと。初詣に行って、五円玉がなくて二人で百円玉を泣く泣く使ったこと。
――いつも手を握ってくれていた。
小学生、中学生、高校生。年齢なんか関係なく、嬉しいと娘の手を握る人だった。
「交通事故だったの」
私は自分の手を見る。ここに、たしかにぬくもりがあったのに。
「去年、飲酒運転の車が歩道に突っ込んできて、仕事帰りだった母親を轢いた」
即死だった、と自分のものじゃないみたいな低い声が呟く。
「すごく大きいスイカを抱えてたんだって。小さい頃にお腹壊すまでスイカ食べたことがあって、私が好きな食べ物はスイカなんだって思ってたみたい。そこまで好きかって訊かれると普通って答えるしかないんだけど、お母さんなりに考えたんだろうなあって」
五月十三日。早出しのスイカを抱えた母は、私の誕生日を祝うために急いでいた。
割れたスイカと同じように、道路には母の真っ赤な血が一面に散っていたと言う。
かなりのスピードが出されていた車は、殺人兵器そのものだった。
「いなくなっちゃったことが、なんだか信じられなくて。ちっちゃい頃みたいに家で待ってたら、お母さんが帰ってくる気がした」
だから、学校には通わなかった。
学校に行っている間に、母が帰ってくるかもしれない。一番に出迎えてあげなくては。顔には出ないけど、お母さんはすぐにすねる。外見にそぐわず寂しがり屋で我慢が利かない人だったから。おかえり、って。そう言ってあげなきゃ。だってお母さんには私しかいないんだから。
……弱ってた。その一言に尽きる。
毎日、二人分の食事を用意した。
日付変更線を越えるまでアパートのドアに近づく足音に耳を澄ませていた。
私は待ってた。ずっと。
「大家さんが私を見つけた時、ほとんど私に意識はなかったんだって」
用意していた食事は、なぜか喉を通らなくて。
母が死んで日数が経てば経つほど、自分の中から大事なものがこぼれ落ちて行く気がした。
息をすることも、まばたきをすることも。
すべてが億劫だと思ったのが最後で、目を覚ましたときは真っ白い病室にいた。
私は自分が死んだんだと思った。ここは天国で、近くにはきっとお母さんもいる。
でも目を巡らせて始めに入ってきたものは、腕に刺さった点滴だった。
そのあまりに現実的すぎるものが私の意識を揺さぶって、ずっと流せなかった涙が溢れて止まらなくなった。
私は生きてる。
お母さんが死んだ。
事実が痛くて、胸がきりきりと悲鳴を上げた気がした。
病院の年嵩の看護婦さんに、どこかのおばさんみたいに怒られて、さらに私は現実に引き戻された。
ようやく取り戻した日常。家に戻って、ご飯を食べて。制服を着て、学校に行って。
普通のはずなのにどこかちぐはぐな毎日を、それでも懸命に送ってきた。
記憶をさかのぼっての口調はぱっとしなかった。明るい話題でもないから当たり前だけど、なんでもないみたいに――梓先生みたいに話せたら良かったのに。
その後の言葉が続かなくなって、私は椅子に腰かけたままどこか暗い場所に落とされた気になった。
誰もいない場所に。
でも、私を引き上げる声がする。
「皐月」
梓先生がキャンバスから目を上げていた。
最近気づいたことだけど、先生の瞳は暗いグレーだ。髪は黒々しているけれど、肌はけっこう白い。色素の薄さは祖父譲りだと言っていた。ヨーロッパと日本人のハーフ、画家だったという祖父に先生は似ているって。
そして私もお母さんに似ている。あの頑固な口元や険しい目元が、そっくりだった。
「笑って」
急になに、と口走る前に、先生が笑っていた。こっちが困るほどに、今まで見たことないくらい優しくやわらかい笑顔だった。そんな顔が出来る人だとは、思わなかった。
「笑った方が美人に描けるから」
私はちょっと笑ったと思う。
**********
先生だってモデルのときに私を見てるもの。
そうやって自分自身に言い訳しながら、私は学校で見かけるたびに梓先生の姿を目で追った。
痩せ形で百八十センチの長身。甘さはないけど端整な顔立ちなのに、勿体ないことに普段はけっこう笑わない。でも話しかけられたときの返事は丁寧で、少なくない数の女子生徒が熱を上げる理由もわかる。億劫そうな足運びに、手入れが行き届いていないほったらかしの長い髪をかきあげる綺麗な指の動き。
どれもこれも、脳内に深く焼きついた。
放課後の美術室とは反対に、私と先生はそれ以外の時間ではあまり話さなかった。
私は相変わらず出席日数と単位を計算しながら、サボりをふんだんに盛り込んだ学校生活を送っていたし、先生は美術科の教師だったからか、準備室に籠っていて職員室にもほとんどいなかった。
装っていたわけではないけど、他人の目から見て、私と先生に接点があるなんて誰も信じないような、そんな感じだった。
ときどき、女子生徒に囲まれている先生を廊下で見た。
遠目に眺めて通り過ぎていく私が、ひどく滑稽に思えた。
……なんだろうね。
じわじわとした気持ちになるくらいだったら、私だってあんな風に、笑って話しかければよかったのに。まとわりついて、何度でもその視界に入るようにすればよかったのに。
心のどこかで、先生に描いてもらうモデルの時間が支えになっていた。みんなが一緒にいない時間に、私は先生と一緒だって。
優越感って言うのかな。嫌だな私、屈折した方面で安心しようとしてたのかも。本当に素直じゃない。可愛くない。
それでも美術室は私にとって、家よりも落ち着ける場所になってた。家に帰る時間になると憂鬱で、次の日の放課後がまた待ち遠しくなった。
それこそが恋しいという気持ちで、先生を求めていたのだと認めるのは、それからもう少し先のこと。
梓先生に声をかけられてから、七ヶ月後。
卒業を間近にひかえた十二月の初め、私は先生に告白することになる。