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「四天王最弱」と笑われる兵站担当の俺、勇者軍を飢えさせたら、仲間の四天王まで青ざめた

作者: 江合 花果
掲載日:2026/04/05

「倉庫番は黙っていろ」と言ったのは、バルガスだった。


 四天王の作戦会議。俺が「敵の兵糧が二週間で詰まります」と言った、その直後だ。


 三千五百の勇者軍が国境を越えた。各四天王がそれぞれの武功を語っている最中に、俺は一言だけ発言した。それだけで、あの男は「黙れ」と言った。


 笑いながら。


「戦場で数字を数えて勝てるなら苦労せんわ」


 バルガスがそう言うと、妖姫ルヴェリアがクスクスと笑った。


「ほんとうに。ゼクト様って、いつもそれなのよね。戦の話をしているのに、急に食料の話を。前線で血を流す人の気持ち、分かります?」


 血を流す気持ち。


 俺は一度も流していないから、分からないそうだ。


 ルヴェリアは普段から俺をそういう目で見ている。格下の目だ。値踏みしたあとに、値段をつけないで捨てる目だ。


「まあいい」とバルガスは言った。


「最弱は倉庫でも数えていろ。俺とドラクが片づける」


 冥将ドラクは何も言わなかった。目を閉じていた。それがこの男の「同意」だ。


 俺は頷いた。


「分かりました」


 それだけ言って、口を閉じた。


 ——まあ、二週間後には分かることだ。


     ◇


 同じ頃、勇者軍の野営地でも会議が開かれていた。


 副官のアルスベルが地図の前に立って、将校たちに言い切った。顔に笑みが張り付いていた。この男はいつも笑っている。自分が一番賢いと確信している人間の笑みだ。


「魔王軍の四天王最弱、特定しました」


 将校たちがざわめいた。


「ゼクト。補給担当です。前線に出ない。戦闘記録がほぼない。魔王軍内部でも“帳簿の魔族”と馬鹿にされているという情報があります」


 アルスベルは昔から、こういう話が得意だった。弱点を探して、弱点を叩く。戦うより先に、勝ち筋を計算する。それが自分の強みだと、この男は疑ったことがなかった。


「こいつが管理する前線補給庫、ここです」


 地図を指差した。


「守備が薄い。最弱の四天王が管理している拠点だから、当然でしょう。ここを叩けば魔王軍は補給を失い、前線が瓦解する。策と呼ぶには簡単すぎるくらいです」


 将校の一人が聞いた。


「罠では?」


 アルスベルは鼻で笑った。


「“帳簿の魔族”が罠を張れると思いますか? 戦ったことのない男に、そんな発想はありません。倉庫番は倉庫しか知らない。それだけです」


 自分の言葉に、自分で満足そうに頷いた。


 誰も反論しなかった。


 ——この時のアルスベルの顔を、俺は後で報告書で読んだ。


 ひどく自信に満ちた顔だったそうだ。


     ◇


 俺が前線補給庫に来たのは、奇襲の三日前だった。


 部下のグレイが出迎えた。二十二歳の真面目な男で、数字の処理だけなら俺より速い。


「荷物の移送、完了しました。残っているのは腐りかけの麦袋と空の魔石箱です」


「見た目は?」


「外から見れば、それなりに積んであるように見えます」


「いい。敵が来たら抵抗するな。困った顔をして退け」


 グレイが少し首を傾げた。


「困った顔……ですか」


「お前、困った顔できるか」


「……練習します」


「頼む」


 俺は倉庫の外に出た。夕日が山の稜線を赤く染めていた。


 敵が来る。倉庫を奪う。中身がほぼないと分かって怒る。


 そこまでは、向こうの思った通りだ。


 だが、倉庫の棚には一つだけ余分なものを置いておいた。王国の複数商会の荷札。街道別に分類されている。


 奪った荷物を調べれば、必ず気づく。


 気づいた時にはもう、遅い。


     ◇


 勇者軍の奇襲は夜明け前だった。


 グレイの部隊は抵抗らしい抵抗もせずに退いた。


 アルスベルは補給庫に踏み込んで、積まれた荷物を見て、一瞬だけ顔をしかめた。密偵の報告より少ない気がした。しかし、麦袋が積まれている。それなりに見えた。


「制圧完了」


 と彼は宣言した。


 声に余裕があった。


「やはり最弱だな」


 とも言ったらしい。


 俺の報告者によれば、アルスベルはその日の夜、将校たちと祝杯を上げた。


「魔王軍の補給を断った。あとは兵糧が尽きるのを待つだけだ」


 上機嫌で杯を傾けた。


 ——倉庫の棚の荷札に、まだ気づいていなかった。


     ◇


 翌朝、俺はグレイに言った。


「第三街道、封鎖。南部塩路、焼却。東河船団、魔霧起動」


 グレイが書き留める。


「王国西部穀倉の買い占めは完了しているな」


「三週間前に完了しています。商会の名義を十一社に分散させてあります」


「デルミア砦への補給路は」


「三ルート、全て実質停止済みです」


「聖都の治癒薬は」


「輸送商会への工作は済んでいます。次の配送は出ません」


「貴族連合の馬草は」


「供給元の農場が先月、別の買い手に切り替えました。王国側はまだ気づいていません」


 俺は頷いた。


「では待つ。三日で食糧が削られる。五日で馬が弱る。七日で治癒薬が尽きる。九日で後続が動けなくなる」


 グレイが、静かに言った。


「……これは全部、遠征が始まる前から」


「三週間前から動いている」


 グレイは黙った。しばらくして、


「閣下。バルガス将軍たちは、この件を知っているんですか」


 と聞いた。


「知らない」


「知らせなかったんですか」


「言ったよ。二週間で敵の兵糧が詰まると」


「……ああ」


「帳簿の話はいらないと言われた」


 グレイは何も言わなかった。


 俺も何も言わなかった。


 言う必要はなかった。あとは数字が全部、説明してくれる。


     ◇


 三日後。


 勇者軍の配給が三分の二になった。


「輸送が遅れている」


 と将校が説明した。本当のことは言えなかった。なぜなら、将校たちも理由が分からなかったからだ。


 五日後。


 傭兵団の馬が弱り始めた。馬草の質が落ちていた。代替品を手配したが、どこも在庫が薄かった。


「なぜか市場に馬草がない」


 と傭兵隊長が怒鳴り込んできた。


 七日後。


 負傷兵が増えた。治癒薬が尽きた。聖都からの輸送は「手配中」のまま届かなかった。


 野戦医が青い顔でアルスベルのところへ来た。


「残り三日分しかありません」


「買え」


「どこも在庫がないんです。ある店は通常の四倍の値段で——」


 アルスベルの手が止まった。


 市場の在庫が、消えている。

 値段が、四倍。


 ——誰かが、先回りして押さえている?


 九日後。


 後続部隊が街道手前で足止めになった。


「道路工事で通れない」


 という報告が届いた。迂回路を探したが、馬の状態が悪くて長距離を動けない。


 そして、食糧が底を突いた。


 前線の兵士が、周辺の村から食料を奪い始めた。住民が逃げた。貴族の領地に逃げた住民が苦情を持ち込んだ。貴族が激怒した。王都に書状が届いた。


「勇者軍は我々の民から略奪している」


 王都で、貴族連合が揺れた。


「これ以上の支援はできない」

「今回の遠征、採算が合うのか」

「引くべきだ」


     ◇


 アルスベルが、もう一度だけ地図を広げたのは十日目の夜だった。


 全部並べた。補給路の崩壊。治癒薬の消滅。馬草の欠如。街道の封鎖。穀倉の値上がり。


 一つずつ見ていくと、全部に共通することがあった。


 タイミングが、早い。


 街道工事は遠征開始前から始まっていた。治癒薬の買い占めは、市場全体から消えるほどの規模で、それには相応の準備期間が必要だ。穀倉の値上がりは、特定地域だけが異様に高い——誰かが先に押さえているからだ。


 全部、遠征が始まる前から仕込まれていた。


 アルスベルは部下を呼んだ。


「あの倉庫を奪った時。中に、商会の荷札が落ちていなかったか」


 部下が顔色を変えた。


「……はい。棚の隅に。王国内の複数の商会の——街道別に分類されているような」


「それを、お前たちは見てどうした」


「…………特に気にせず、そのままに」


 アルスベルの指が、地図の上で止まった。


 落ちていたのではない。

 置いていったのだ。


 あの倉庫は——最初から罠だった。


 俺たちが踏み込んだ瞬間、荷札を拾うことで、向こうは俺たちの流通経路を全部読んだ。どの商会が、どのルートで、何を運んでいるか。そしてそれを、一つずつ、丁寧に、静かに止めた。


「…………補給庫を奪った瞬間から」


 アルスベルの声が、かすれた。


「こちらの流通は全部、読まれていたのか」


 答えてくれる者は、誰もいなかった。


 ——お前が「倉庫番には罠を張る発想がない」と言ったのは、十日前だ。


 その言葉が、静かに、胸の中で腐っていった。


     ◇


 翌朝、アルスベルは更迭を言い渡された。


 失敗の責任を負う者が必要だった。一番判断を下した者が選ばれた。


 それがアルスベルだった。


 将校たちは全員、アルスベルの顔を見なかった。昨日まで部下だった男が、今日から上官になっていた。


 アルスベルは無言で会議室を出た。廊下で、誰とも目が合わなかった。


 十日前、自分が「最弱の倉庫番に罠は張れない」と断言した時、将校たちは全員頷いた。


 今、誰もその話をしない。


 それが、一番堪えた。


     ◇


 魔王城の大会議室に、四天王が集まった。


 今回は雰囲気が違った。


 バルガスは腕を組んでいたが、いつもより静かだった。ルヴェリアは爪を見ていなかった。ドラクは目を開けていた。


 俺は末席から立ち上がって、地図の前に出た。初めてのことだった。


「報告します」


 声を出した。


「勇者軍の残存兵糧、四日分。補給路は三ルートとも停止。聖都からの治癒薬、次回到達予定なし。王国西部穀倉の現物は、三週間前から当軍の管理下にあります。貴族連合は現在、王都で内部分裂中。後続部隊は封鎖された街道の手前で動けない状態です」


 誰も声を出さなかった。


「敵軍の退路は、ヴェルハン街道北側に魔霧展開済み。東の山道は地盤が緩んで荷車は通れない。南回りは距離がある上、馬の状態が悪くて動けない」


 俺は一息ついた。


「今から攻めれば——戦わずに勝てます」


 バルガスが、口を開いた。


「……お前、それをいつから」


「三週間前から動いていました。穀倉の買い占めには時間がかかるので」


「三週間前って——遠征が始まる前じゃないか」


「ええ。遠征が始まってからでは、間に合いません」


 バルガスが黙った。


 ルヴェリアが、低い声で言った。


「前線補給庫を奪われた時。お前、ほとんど抵抗しなかった。あれも……」


「わざとです。あそこで抵抗すると、敵が引き返す可能性があった。踏み込んでもらった方が、情報が取れます」


「情報?」


「荷札です。棚に置いておきました。敵がどの商会を使って何をどこに運んでいるか、一目で分かる。それを全部止めました」


 ルヴェリアの顔が、少しずつ固まっていった。


「……じゃあ、あの時バルガスが『最弱がビビって逃げた』と言ったのは」


「聞こえていました」


 沈黙があった。


 バルガスの顔が、石のように固まった。


 俺は続けた。


「最初の会議で、敵の兵糧が二週間で詰まると言いました。帳簿の話はいらないと仰った。だから言うのをやめました。聞かない方に、何度も話すのは時間の無駄なので」


「……時間の、無駄」


 バルガスの声が低くなった。


「ああ、そうか。俺が“聞かない方”か」


「はい」


 間を置かずに答えた。


 バルガスが、何かを言おうとした。


 ——その前に、ガルディアが立ち上がった。


 魔王が立つだけで、会議室の空気が変わる。重力が増す。バルガスが口を閉じた。ルヴェリアが背筋を伸ばした。


 ガルディアは、全員を順番に見た。


「では問おう」


 声は静かだった。ただ、その静かさが逆に重かった。


「最弱は誰だ」


 誰も答えなかった。


「剣しか見えぬ者か。戦場しか見えぬ者か。それとも——戦争そのものを、始まる前から終わらせる者か」


 バルガスが、視線を床に落とした。

 ルヴェリアが、顔を背けた。

 ドラクは目を閉じた。


 ガルディアは俺を見た。


「よくやった」


 たった三文字だった。

 でも、十一年かけて聞いた三文字だった。


     ◇


 会議のあと、廊下でバルガスが待っていた。


 壁にもたれかかって、腕を組んで、床を見ていた。俺が出てきたのに気づいて顔を上げた。


「……ゼクト」


「はい」


「お前、最初から全部……計算してたのか」


「計算というか。見えるんです。物と金の流れが」


 バルガスが、また俯いた。


 しばらくして、


「俺は……お前を馬鹿にしてた」


 と言った。


「知ってます」


「それでも、お前は動いた」


「あなたが馬鹿にしようとしていたのは別に構いません。ただ、魔王様の命令は達成しないといけないので」


 バルガスが、苦い顔をした。


 俺は続けた。


「一つだけ言っておきます」


「……なんだ」


「次の戦では、俺の話を最後まで聞いてください。そうすれば、あなたの部隊の損耗は今より三割減ります」


 バルガスが目を細めた。


「……三割」


「計算済みです」


 長い沈黙があった。


 バルガスは一度だけ、大きく息を吐いた。


「……分かった」


 それだけ言って、廊下を歩いていった。


 背中が、なんとなく小さく見えた。


     ◇


 資料をまとめながら廊下を歩いていると、グレイが紙束を抱えて待っていた。


「各部署の補給台帳、取り寄せました。各四天王直属部隊の支出明細も全部」


「早かったな」


「言われた時から動いていました」


 受け取って、歩きながら目を通した。


 数字が並んでいる。見えた。どこが太りすぎているか。どこに無駄があるか。どこを絞れば、全体がどう動くか。


 全部、見える。


 角を曲がった時、後ろからガルディアの副官が声をかけてきた。


「ゼクト様。魔王様から、追加の命令をお預かりしています」


 俺は振り返った。


 副官が、一枚の羊皮紙を渡してきた。


 開いた。


 短い文章が書いてあった。


 次は人間どもではない。

 こちら側で、お前を最弱と呼んだ者たちの補給も見直せ。


 俺は、その文章を二回読んだ。


 それから、台帳に視線を戻した。


 バルガスの直属部隊の支出明細が、一番上にあった。見た瞬間に、三箇所、無駄が目に入った。


 それだけではない。ルヴェリアの部署は、維持費が常識外れに高い。どう考えても多すぎる人員が、何をしているのか分からない費目で計上されている。


 グレイに言った。


「明日から、各部署への補給配分の見直しを始める」


「分かりました。どこから手をつけますか」


「一番無駄の多いところから」


 グレイが台帳を覗いて、少し硬直した。


「……それ、バルガス将軍の部隊では」


「そうだな」


「バルガス将軍、怒りますよ」


「怒ってもいい。ただし、俺の計算は正しい。無駄は削る。それだけだ」


 グレイは少しの間、黙った。


「……閣下、一つ聞いていいですか」


「なんだ」


「魔王様は、最初から分かっていたんですか。閣下がここまでやれることを」


 俺は少し考えた。


「たぶん」


「だから泳がせていた、と?」


「俺もバルガスたちも、ルヴェリアも。全部、見ていたんだと思う」


 グレイが、遠い目をした。


「……怖い方ですね、魔王様も」


「当たり前だ。魔王だから」


 グレイはそれ以上、何も言わなかった。


     ◇


 魔王城の最上階で、ガルディアは窓の外を見ていた。


 副官が来て、頭を下げた。


「魔下。ゼクト様が、各部署の台帳調査を開始されたようです。バルガス将軍の直属部隊に、明日から立入検査を行うとのことで」


「そうか」


「バルガス将軍が、かなりお怒りのご様子で……」


「止めるな」


「……は」


「ゼクトの仕事を、止めるな」


 副官が、深く頭を下げた。


「かしこまりました」


 ガルディアは窓の外を見たまま、言った。


「剣で勝てる相手は、剣で倒せる。それだけだ。戦争に勝つとは、そういうことではない」


 副官は答えなかった。答えられなかった。


「あの男が十一年かかったのは、力が足りなかったからではない。周りが、聞かなかったからだ」


 窓の外で、風が鳴った。


「これからは、聞く」


 ——ガルディアの声は、静かだった。ただその静かさの奥に、何か確固としたものがあった。


 決定、という重さだ。


     ◇


 その夜、バルガスの執務室に、一枚の書状が届いた。


 差出人は、兵站四天王ゼクト。


 内容は三行だった。


 明日より、直属部隊の補給台帳の確認に参ります。

 ご準備をお願いします。

 なお、三箇所ほど是正が必要な支出項目を確認しています。


 バルガスは書状を読んで、しばらく黙っていた。


 机の上に置いた。

 手で顔を覆った。


 長い沈黙があった。


 やがて、バルガスは静かに言った。


「……倉庫番め」


 声に、怒りはなかった。

 ただ、認める者の、苦さだけがあった。


     ◇


 翌朝、ゼクトは台帳を抱えて、バルガスの執務室の扉を叩いた。


「入れ」という声がした。


 扉を開けると、バルガスが腕を組んで待っていた。いつもより、少しだけ姿勢が低かった。


 ゼクトは部屋に入った。

 グレイが後ろに続いた。


 椅子に座り、台帳を開いた。


「では始めます」


 バルガスは何も言わなかった。

 ただ、頷いた。


 ——それで十分だった。


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