「四天王最弱」と笑われる兵站担当の俺、勇者軍を飢えさせたら、仲間の四天王まで青ざめた
「倉庫番は黙っていろ」と言ったのは、バルガスだった。
四天王の作戦会議。俺が「敵の兵糧が二週間で詰まります」と言った、その直後だ。
三千五百の勇者軍が国境を越えた。各四天王がそれぞれの武功を語っている最中に、俺は一言だけ発言した。それだけで、あの男は「黙れ」と言った。
笑いながら。
「戦場で数字を数えて勝てるなら苦労せんわ」
バルガスがそう言うと、妖姫ルヴェリアがクスクスと笑った。
「ほんとうに。ゼクト様って、いつもそれなのよね。戦の話をしているのに、急に食料の話を。前線で血を流す人の気持ち、分かります?」
血を流す気持ち。
俺は一度も流していないから、分からないそうだ。
ルヴェリアは普段から俺をそういう目で見ている。格下の目だ。値踏みしたあとに、値段をつけないで捨てる目だ。
「まあいい」とバルガスは言った。
「最弱は倉庫でも数えていろ。俺とドラクが片づける」
冥将ドラクは何も言わなかった。目を閉じていた。それがこの男の「同意」だ。
俺は頷いた。
「分かりました」
それだけ言って、口を閉じた。
——まあ、二週間後には分かることだ。
◇
同じ頃、勇者軍の野営地でも会議が開かれていた。
副官のアルスベルが地図の前に立って、将校たちに言い切った。顔に笑みが張り付いていた。この男はいつも笑っている。自分が一番賢いと確信している人間の笑みだ。
「魔王軍の四天王最弱、特定しました」
将校たちがざわめいた。
「ゼクト。補給担当です。前線に出ない。戦闘記録がほぼない。魔王軍内部でも“帳簿の魔族”と馬鹿にされているという情報があります」
アルスベルは昔から、こういう話が得意だった。弱点を探して、弱点を叩く。戦うより先に、勝ち筋を計算する。それが自分の強みだと、この男は疑ったことがなかった。
「こいつが管理する前線補給庫、ここです」
地図を指差した。
「守備が薄い。最弱の四天王が管理している拠点だから、当然でしょう。ここを叩けば魔王軍は補給を失い、前線が瓦解する。策と呼ぶには簡単すぎるくらいです」
将校の一人が聞いた。
「罠では?」
アルスベルは鼻で笑った。
「“帳簿の魔族”が罠を張れると思いますか? 戦ったことのない男に、そんな発想はありません。倉庫番は倉庫しか知らない。それだけです」
自分の言葉に、自分で満足そうに頷いた。
誰も反論しなかった。
——この時のアルスベルの顔を、俺は後で報告書で読んだ。
ひどく自信に満ちた顔だったそうだ。
◇
俺が前線補給庫に来たのは、奇襲の三日前だった。
部下のグレイが出迎えた。二十二歳の真面目な男で、数字の処理だけなら俺より速い。
「荷物の移送、完了しました。残っているのは腐りかけの麦袋と空の魔石箱です」
「見た目は?」
「外から見れば、それなりに積んであるように見えます」
「いい。敵が来たら抵抗するな。困った顔をして退け」
グレイが少し首を傾げた。
「困った顔……ですか」
「お前、困った顔できるか」
「……練習します」
「頼む」
俺は倉庫の外に出た。夕日が山の稜線を赤く染めていた。
敵が来る。倉庫を奪う。中身がほぼないと分かって怒る。
そこまでは、向こうの思った通りだ。
だが、倉庫の棚には一つだけ余分なものを置いておいた。王国の複数商会の荷札。街道別に分類されている。
奪った荷物を調べれば、必ず気づく。
気づいた時にはもう、遅い。
◇
勇者軍の奇襲は夜明け前だった。
グレイの部隊は抵抗らしい抵抗もせずに退いた。
アルスベルは補給庫に踏み込んで、積まれた荷物を見て、一瞬だけ顔をしかめた。密偵の報告より少ない気がした。しかし、麦袋が積まれている。それなりに見えた。
「制圧完了」
と彼は宣言した。
声に余裕があった。
「やはり最弱だな」
とも言ったらしい。
俺の報告者によれば、アルスベルはその日の夜、将校たちと祝杯を上げた。
「魔王軍の補給を断った。あとは兵糧が尽きるのを待つだけだ」
上機嫌で杯を傾けた。
——倉庫の棚の荷札に、まだ気づいていなかった。
◇
翌朝、俺はグレイに言った。
「第三街道、封鎖。南部塩路、焼却。東河船団、魔霧起動」
グレイが書き留める。
「王国西部穀倉の買い占めは完了しているな」
「三週間前に完了しています。商会の名義を十一社に分散させてあります」
「デルミア砦への補給路は」
「三ルート、全て実質停止済みです」
「聖都の治癒薬は」
「輸送商会への工作は済んでいます。次の配送は出ません」
「貴族連合の馬草は」
「供給元の農場が先月、別の買い手に切り替えました。王国側はまだ気づいていません」
俺は頷いた。
「では待つ。三日で食糧が削られる。五日で馬が弱る。七日で治癒薬が尽きる。九日で後続が動けなくなる」
グレイが、静かに言った。
「……これは全部、遠征が始まる前から」
「三週間前から動いている」
グレイは黙った。しばらくして、
「閣下。バルガス将軍たちは、この件を知っているんですか」
と聞いた。
「知らない」
「知らせなかったんですか」
「言ったよ。二週間で敵の兵糧が詰まると」
「……ああ」
「帳簿の話はいらないと言われた」
グレイは何も言わなかった。
俺も何も言わなかった。
言う必要はなかった。あとは数字が全部、説明してくれる。
◇
三日後。
勇者軍の配給が三分の二になった。
「輸送が遅れている」
と将校が説明した。本当のことは言えなかった。なぜなら、将校たちも理由が分からなかったからだ。
五日後。
傭兵団の馬が弱り始めた。馬草の質が落ちていた。代替品を手配したが、どこも在庫が薄かった。
「なぜか市場に馬草がない」
と傭兵隊長が怒鳴り込んできた。
七日後。
負傷兵が増えた。治癒薬が尽きた。聖都からの輸送は「手配中」のまま届かなかった。
野戦医が青い顔でアルスベルのところへ来た。
「残り三日分しかありません」
「買え」
「どこも在庫がないんです。ある店は通常の四倍の値段で——」
アルスベルの手が止まった。
市場の在庫が、消えている。
値段が、四倍。
——誰かが、先回りして押さえている?
九日後。
後続部隊が街道手前で足止めになった。
「道路工事で通れない」
という報告が届いた。迂回路を探したが、馬の状態が悪くて長距離を動けない。
そして、食糧が底を突いた。
前線の兵士が、周辺の村から食料を奪い始めた。住民が逃げた。貴族の領地に逃げた住民が苦情を持ち込んだ。貴族が激怒した。王都に書状が届いた。
「勇者軍は我々の民から略奪している」
王都で、貴族連合が揺れた。
「これ以上の支援はできない」
「今回の遠征、採算が合うのか」
「引くべきだ」
◇
アルスベルが、もう一度だけ地図を広げたのは十日目の夜だった。
全部並べた。補給路の崩壊。治癒薬の消滅。馬草の欠如。街道の封鎖。穀倉の値上がり。
一つずつ見ていくと、全部に共通することがあった。
タイミングが、早い。
街道工事は遠征開始前から始まっていた。治癒薬の買い占めは、市場全体から消えるほどの規模で、それには相応の準備期間が必要だ。穀倉の値上がりは、特定地域だけが異様に高い——誰かが先に押さえているからだ。
全部、遠征が始まる前から仕込まれていた。
アルスベルは部下を呼んだ。
「あの倉庫を奪った時。中に、商会の荷札が落ちていなかったか」
部下が顔色を変えた。
「……はい。棚の隅に。王国内の複数の商会の——街道別に分類されているような」
「それを、お前たちは見てどうした」
「…………特に気にせず、そのままに」
アルスベルの指が、地図の上で止まった。
落ちていたのではない。
置いていったのだ。
あの倉庫は——最初から罠だった。
俺たちが踏み込んだ瞬間、荷札を拾うことで、向こうは俺たちの流通経路を全部読んだ。どの商会が、どのルートで、何を運んでいるか。そしてそれを、一つずつ、丁寧に、静かに止めた。
「…………補給庫を奪った瞬間から」
アルスベルの声が、かすれた。
「こちらの流通は全部、読まれていたのか」
答えてくれる者は、誰もいなかった。
——お前が「倉庫番には罠を張る発想がない」と言ったのは、十日前だ。
その言葉が、静かに、胸の中で腐っていった。
◇
翌朝、アルスベルは更迭を言い渡された。
失敗の責任を負う者が必要だった。一番判断を下した者が選ばれた。
それがアルスベルだった。
将校たちは全員、アルスベルの顔を見なかった。昨日まで部下だった男が、今日から上官になっていた。
アルスベルは無言で会議室を出た。廊下で、誰とも目が合わなかった。
十日前、自分が「最弱の倉庫番に罠は張れない」と断言した時、将校たちは全員頷いた。
今、誰もその話をしない。
それが、一番堪えた。
◇
魔王城の大会議室に、四天王が集まった。
今回は雰囲気が違った。
バルガスは腕を組んでいたが、いつもより静かだった。ルヴェリアは爪を見ていなかった。ドラクは目を開けていた。
俺は末席から立ち上がって、地図の前に出た。初めてのことだった。
「報告します」
声を出した。
「勇者軍の残存兵糧、四日分。補給路は三ルートとも停止。聖都からの治癒薬、次回到達予定なし。王国西部穀倉の現物は、三週間前から当軍の管理下にあります。貴族連合は現在、王都で内部分裂中。後続部隊は封鎖された街道の手前で動けない状態です」
誰も声を出さなかった。
「敵軍の退路は、ヴェルハン街道北側に魔霧展開済み。東の山道は地盤が緩んで荷車は通れない。南回りは距離がある上、馬の状態が悪くて動けない」
俺は一息ついた。
「今から攻めれば——戦わずに勝てます」
バルガスが、口を開いた。
「……お前、それをいつから」
「三週間前から動いていました。穀倉の買い占めには時間がかかるので」
「三週間前って——遠征が始まる前じゃないか」
「ええ。遠征が始まってからでは、間に合いません」
バルガスが黙った。
ルヴェリアが、低い声で言った。
「前線補給庫を奪われた時。お前、ほとんど抵抗しなかった。あれも……」
「わざとです。あそこで抵抗すると、敵が引き返す可能性があった。踏み込んでもらった方が、情報が取れます」
「情報?」
「荷札です。棚に置いておきました。敵がどの商会を使って何をどこに運んでいるか、一目で分かる。それを全部止めました」
ルヴェリアの顔が、少しずつ固まっていった。
「……じゃあ、あの時バルガスが『最弱がビビって逃げた』と言ったのは」
「聞こえていました」
沈黙があった。
バルガスの顔が、石のように固まった。
俺は続けた。
「最初の会議で、敵の兵糧が二週間で詰まると言いました。帳簿の話はいらないと仰った。だから言うのをやめました。聞かない方に、何度も話すのは時間の無駄なので」
「……時間の、無駄」
バルガスの声が低くなった。
「ああ、そうか。俺が“聞かない方”か」
「はい」
間を置かずに答えた。
バルガスが、何かを言おうとした。
——その前に、ガルディアが立ち上がった。
魔王が立つだけで、会議室の空気が変わる。重力が増す。バルガスが口を閉じた。ルヴェリアが背筋を伸ばした。
ガルディアは、全員を順番に見た。
「では問おう」
声は静かだった。ただ、その静かさが逆に重かった。
「最弱は誰だ」
誰も答えなかった。
「剣しか見えぬ者か。戦場しか見えぬ者か。それとも——戦争そのものを、始まる前から終わらせる者か」
バルガスが、視線を床に落とした。
ルヴェリアが、顔を背けた。
ドラクは目を閉じた。
ガルディアは俺を見た。
「よくやった」
たった三文字だった。
でも、十一年かけて聞いた三文字だった。
◇
会議のあと、廊下でバルガスが待っていた。
壁にもたれかかって、腕を組んで、床を見ていた。俺が出てきたのに気づいて顔を上げた。
「……ゼクト」
「はい」
「お前、最初から全部……計算してたのか」
「計算というか。見えるんです。物と金の流れが」
バルガスが、また俯いた。
しばらくして、
「俺は……お前を馬鹿にしてた」
と言った。
「知ってます」
「それでも、お前は動いた」
「あなたが馬鹿にしようとしていたのは別に構いません。ただ、魔王様の命令は達成しないといけないので」
バルガスが、苦い顔をした。
俺は続けた。
「一つだけ言っておきます」
「……なんだ」
「次の戦では、俺の話を最後まで聞いてください。そうすれば、あなたの部隊の損耗は今より三割減ります」
バルガスが目を細めた。
「……三割」
「計算済みです」
長い沈黙があった。
バルガスは一度だけ、大きく息を吐いた。
「……分かった」
それだけ言って、廊下を歩いていった。
背中が、なんとなく小さく見えた。
◇
資料をまとめながら廊下を歩いていると、グレイが紙束を抱えて待っていた。
「各部署の補給台帳、取り寄せました。各四天王直属部隊の支出明細も全部」
「早かったな」
「言われた時から動いていました」
受け取って、歩きながら目を通した。
数字が並んでいる。見えた。どこが太りすぎているか。どこに無駄があるか。どこを絞れば、全体がどう動くか。
全部、見える。
角を曲がった時、後ろからガルディアの副官が声をかけてきた。
「ゼクト様。魔王様から、追加の命令をお預かりしています」
俺は振り返った。
副官が、一枚の羊皮紙を渡してきた。
開いた。
短い文章が書いてあった。
次は人間どもではない。
こちら側で、お前を最弱と呼んだ者たちの補給も見直せ。
俺は、その文章を二回読んだ。
それから、台帳に視線を戻した。
バルガスの直属部隊の支出明細が、一番上にあった。見た瞬間に、三箇所、無駄が目に入った。
それだけではない。ルヴェリアの部署は、維持費が常識外れに高い。どう考えても多すぎる人員が、何をしているのか分からない費目で計上されている。
グレイに言った。
「明日から、各部署への補給配分の見直しを始める」
「分かりました。どこから手をつけますか」
「一番無駄の多いところから」
グレイが台帳を覗いて、少し硬直した。
「……それ、バルガス将軍の部隊では」
「そうだな」
「バルガス将軍、怒りますよ」
「怒ってもいい。ただし、俺の計算は正しい。無駄は削る。それだけだ」
グレイは少しの間、黙った。
「……閣下、一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「魔王様は、最初から分かっていたんですか。閣下がここまでやれることを」
俺は少し考えた。
「たぶん」
「だから泳がせていた、と?」
「俺もバルガスたちも、ルヴェリアも。全部、見ていたんだと思う」
グレイが、遠い目をした。
「……怖い方ですね、魔王様も」
「当たり前だ。魔王だから」
グレイはそれ以上、何も言わなかった。
◇
魔王城の最上階で、ガルディアは窓の外を見ていた。
副官が来て、頭を下げた。
「魔下。ゼクト様が、各部署の台帳調査を開始されたようです。バルガス将軍の直属部隊に、明日から立入検査を行うとのことで」
「そうか」
「バルガス将軍が、かなりお怒りのご様子で……」
「止めるな」
「……は」
「ゼクトの仕事を、止めるな」
副官が、深く頭を下げた。
「かしこまりました」
ガルディアは窓の外を見たまま、言った。
「剣で勝てる相手は、剣で倒せる。それだけだ。戦争に勝つとは、そういうことではない」
副官は答えなかった。答えられなかった。
「あの男が十一年かかったのは、力が足りなかったからではない。周りが、聞かなかったからだ」
窓の外で、風が鳴った。
「これからは、聞く」
——ガルディアの声は、静かだった。ただその静かさの奥に、何か確固としたものがあった。
決定、という重さだ。
◇
その夜、バルガスの執務室に、一枚の書状が届いた。
差出人は、兵站四天王ゼクト。
内容は三行だった。
明日より、直属部隊の補給台帳の確認に参ります。
ご準備をお願いします。
なお、三箇所ほど是正が必要な支出項目を確認しています。
バルガスは書状を読んで、しばらく黙っていた。
机の上に置いた。
手で顔を覆った。
長い沈黙があった。
やがて、バルガスは静かに言った。
「……倉庫番め」
声に、怒りはなかった。
ただ、認める者の、苦さだけがあった。
◇
翌朝、ゼクトは台帳を抱えて、バルガスの執務室の扉を叩いた。
「入れ」という声がした。
扉を開けると、バルガスが腕を組んで待っていた。いつもより、少しだけ姿勢が低かった。
ゼクトは部屋に入った。
グレイが後ろに続いた。
椅子に座り、台帳を開いた。
「では始めます」
バルガスは何も言わなかった。
ただ、頷いた。
——それで十分だった。




