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除隊  作者: 丸隈
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第一章 事故 (一)投擲

 もうじき冬が迫ろうかという11月の終わり頃、荒涼としてどこか物寂しいサンドベージュ一色の大地と、曇天の間に僕は居た。集中力を研ぎ澄ませ、ただただジッと目の前にある果実を見つめている。それは手の内に収まるほどの大きさで、鈍く錆びた茶色が混じったような、暗い緑色をしていた。主食になれないところをとっても、まさに果実と言えた。


「ピン抜け!」


 イヤに張り切った号令が訓練場に響き渡ると、その後を追うように複数名から発された復唱とともに、僕のすぐ隣でしゃがんでいる人物は果実から円環(リング)の付いたピンを引っこ抜いた。同じようにしゃがんでいる僕は、当然ながら目の前の果実から目が離せない。だから直接見てはいないが、この場にいる他のみんなも同じように果実からピンを除去したであろうことは、周りから聞こえてくる音……柔らかな金属製のピンが跳ねて奏でる、小さな音で解る。


 一回に五人ずつ、一人につき手榴弾の実爆を一発投擲する。つまりは今この瞬間、この場には五人の人間の手の内に手榴弾が握られている、ということだ。あとはもう、20メートル先の標的に向かって投げるだけ。投げた手榴弾が手の内を離れれば、最後の安全装置である安全レバーが外れて活性化し、それから4秒程度で手榴弾は炸裂し……炸裂した手榴弾は半径15メートルに鋼片を撒き散らして敵を殺傷するが、その原始的な暴力には当然ながら敵味方の区別など存在しない。考えたくもないが、もしも今それを握っている五人の内の誰かが、手を緩めてこっそりと自身の足元に転がせば……少なくとも二人以上の死傷者が発生する。


 で、僕だ。僕は今、この手榴弾の投擲訓練において安全係の任務に就いている。つまりはこの訓練において、目の前の投擲手と僕、それから周囲の安全を確保するのが役割になる。投擲手一人につき安全係が一人用意されている、というのは決して大げさな事ではないし過保護だなんて誰も言えやしないと思う。なんせ実爆(ホンモノ)を使うのだ。違う部隊では過去に死傷者が出たこともある、というのはイヤってほど聞かされていた。ケガこそなかったものの、緊張のあまりに手からスッポ抜けて……手榴弾を足元に落とした奴は、過去にウチの連隊にもいたらしい。


 つまり僕は、目の前の投擲手が手榴弾を投げ損なったりした時にはそれを速やかに拾ってぶん投げて排除するし、投げ終わった後の投擲手の姿勢が高かったり、投擲位置の二メートル先に常設されている退避壕(たいひごう)――つまりはコンクリート製の遮蔽物(しゃへいぶつ)に身体を隠しきれていないような危険が発生した場合には、その指導をする。もし指導が間に合わないのであれば多少強引にでも、退避壕に自分ごと投擲手を押し込めるだろう。そうやってこの訓練が無事に終わるように計画されたいくつかの安全策、その一端(いったん)がこの場における今の僕の役割であった。


 他中隊との合同で実施しているこの手榴弾の投擲訓練も、朝一番から始まって今は昼前になろうとしていた。かわるがわる訓練場に訪れた、他中隊員によるこれまでの投擲において、幸いにも僕の出番はほとんど無かった。まだ経験浅い兵の、投擲後の高い退避姿勢を口頭で下げさせた程度である。そんな僕の安全係としての任務も、目前の投擲手による投擲で最後だ。それが終われば昼食を挟み、僕の中隊が投擲して、訓練場の整備をしたら今日は終わり。


 訓練場から帰った後の器材整備もあるにせよ、時間計画上、どう考えても今日の課業終了は週末に相応しい時間に終われる雰囲気がしていたし、中隊の将校もそうなることをそれとなく匂わせていた。他中隊も絡む単純だが参加人数だけがやたら多い、半ば流れ作業のような訓練を淡々と円滑に進められているのは、ぶら下げられた人参の効果に違いない。


 握られた手榴弾のすぐ近くにある、最後の投擲手の顔を確認する。防弾サングラス(アイセーフティ)越しのその視線は真っ直ぐに標的だけを見据えており、間違ってもこちらを向いたりはしない。その端正な横顔は、投擲に集中しているように見えた。彼女にとって手榴弾投擲など造作もないであろうことは、常日頃の彼女の活躍を知る連隊、師団の者ならば疑う者はいないだろう。


 容姿端麗、文武両道を地で行く彼女は、四年制大学を卒業後に何故か一兵卒として陸軍に入隊し、その立派な体躯と運動神経をもってして各種戦闘・戦技の競技会で暴れまわっていた。二任期目、入隊四年目の今年に士官候補生の選抜試験に合格したことによって、来年三月からは士官候補生となる予定の身の上である。実家は軍事産業関連会社の関係者だ、なんて噂まである……同期とはいえ、入隊可能年齢になるやすぐに入隊した僕とはモノが違う。


 そんな彼女が投擲するのだから、きっと滅多なことは起きないだろう。万人がそう思っていたとしても、あるかもしれない万が一に備える事が僕の今の役割であるから……投擲手が彼女であろうと、山から連れてきた()であろうと決して油断はできないし、訓練場の土埃まみれの空気が防弾サングラスの下の瞳を乾燥させていようと、手榴弾からは決して目を離さない。


「投げぇッ!!」


 訓練場に響いた再びの張り切った号令、それに少し遅れて五人分の復唱がなされた。彼女も腕を振りかぶっている。次の刹那(せつな)、振りかぶった腕を(むち)のようにしならせ、投擲する彼女の腕の軌道を視界に捉えていた。だが、僕の目が投擲先を追うことはなかった。彼女が腕を振りかぶったときから動けなかった……いや、これは僕の怠慢ではないし、誓って他のことを考えていた訳でもない。動かす必要が無かった。ずっと視界の中に収まっている。



 果たして僕の視界の真ん中には今、彼女の手の内からこぼれ落ちたであろう手榴弾と、本体から外れた安全レバーが鎮座していた。彼女と僕の間、手を伸ばせばすぐ互いの身体に触れられるような至近距離を、物騒な果実が隔てていた。



 あってはならない万が一が、静かに目の前に転がり込んできた。

令和6年7月20日(月)に開催される「文学フリマ札幌11」の出品作品です。

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