82.
「ジルダが――そんな」
カインは顔を赤くして戸惑っているようだ。
「だったら尚更僕がいなくなった方がよかったんじゃないのか?ジルダは自由になれるし、お前もジルダを手に入れる機会だったじゃないか」
カインは自分でも何を言ってるんだと思ったが、それでも言わずにいられなかった。
「そうだよなぁ。でもさ、体が動いちまったんだよ。お前を助けたいって」
ナジームは、なんでもないという口調で言うと、軽薄そうな笑みを浮かべてカインを見た。
「お前が死んだらジルダは一生泣いて過ごすことになる。あの子を泣かせるくらいなら、お前が生きててくれた方がいい」
カインは恥ずかしくて顔が上げられなかった。
10年以上も一緒に過ごしていたのに、僕はどれだけ彼女を知っていたんだ。魔法陣が好きだなんて初めて聞いた。
思い出せるジルダの表情は、最近のもの以外は全て無表情だ。
ずっと、愛されていないと思っていた。それだけのことをしてきた。だから、その覚悟でいた。
カインは青い宝石にそっと触れた。
温度を持たない石から、温かさが伝わる。
「エスクード侯爵家は――いや、カイン・ジュノア・フィン・エスクード・ランクーザーは、君への恩を忘れない」
カインは、顔を上げるとナジームを見つめて、はっきりと言った。
「そんな大層なもんじゃないだろ?俺だって助けられたんだ。おあいこさ」
ナジームが右手を差し出すと、カインはその手を迷いもなく握り返した。
「僕は君への友諠を誓い、君が必要とする時、必ず力になることを約束する」
「お?言ったな?なら、アシャールの国家樹立に尽力してもらおうか」
ナジームが相変わらず軽薄な、しかし挑発的な笑みを浮かべると、カインもニヤリと笑ってみせた。
「その程度、エスクードにとっては造作もないさ」
「もういいのかい?」
エスクード侯爵邸を後にするナジームに声を掛けたのは、ティン=クェンだった。
「なにがだい?」
「ジルダのことさ。諦めるのかい?」
揶揄うようなティン=クェンの口調に、ナジームは少し考えて笑顔で返した。
「女は手に入れられなかったけど、歴史は手に入れられそうだからな」
ナジームはそう言うと、機嫌がよさそうに歩き出した。
ティン=クェンはその後ろ姿を満足気な顔で見送っていた。
「随分魔力がお戻りになりましたね」
ソファに座り、カインの手を握りながらジルダは言った。
カインは立てるようになると、見る間に魔力を回復させた。
6日ほど前からは受けた傷も全て跡形もなく治り、時間さえあれば揶揄いに来るロメオやティン=クェンに殺意を向ける程度には元気になっていた。
「君が――ずっと付き添ってくれてたからだ」
カインはジルダの顔を見ないように顔を背けると、素っ気なく言い放った。
「ああ――そうだ」
ジルダは何かを思い出したように手を離すと、部屋の隅で控えていた侍女に目配せをした。
侍女は黙って頭を下げると、ジルダに両手に乗るほどの大きさの袋を手渡した。
「これを」
ジルダは相変わらず無表情のまま、しかし丁寧にその袋をカインに差し出した。
「な……なんだ、それは」
上質な絹で作られた袋は、深い緑色に染め上げられ、金の糸でいくつもの草竜の刺繍が施された、大変かわいいものだった。
「カイン様に贈り物ですわ」
ジルダが可笑そうに笑うほど、カインに不釣り合いな可愛らしさだった。
「草竜、お好きでしょ?」
ジルダが早く受け取れと言わんばかりの表情で差し出すと、カインは諦めてその袋を手に取った。
「少しだけ魔力を流してみてください」
言われた通りに魔力を流すと、袋の色が青色に変わるとともに、いつもジルダにされているように、体が軽くなるのを感じた。
「魔力が――吸収されてる……?」
カインの呟きに、ジルダはどこか自慢げに微笑んでいる。
「どう言う事だ。今までこんな事は試してもできなかっただろう」
カインは慌てて袋を横に置くと、ジルダの手を取った。
「君が――作ったのか?」
握られた手を見ながら、ジルダは首を横に振った。
「正確には私が見つけてきた錬金術師が、ですわ」
その錬金術師は、子供の頃から魔力操作に長けており、早くからアバルト侯爵領に魔道技師としての修行に出ていた。
アバルト侯爵領で魔道技師として修業しながら、独学で錬金術を学ぶと、魔道技師よりも錬金術師としての才能を開花させた。
ジルダは15歳の時、もし自分がいなかったらどうなるか、一度だけ侯爵に聞いたことがあった。
「君が――君にもし何かあれば、その時は結界の魔法陣に魔力を入れることで回避できると、王宮の魔導士は言っていた」
苦しそうに話す侯爵の顔を、ジルダは今も覚えている。
だから、ジルダは何か自分の代わりになる方法はないかと探すことにした。
どのみち、魔力の少ないジルダがカインと同じだけ生きられるはずがないのだから。
だからカインが婚約を解除したいと願い出たら、すぐにでも了承するつもりだった。
そのためにも早く何とかしてあげたい。
ジルダはカインの魔力吸収の合間の日は、時間があればアバルト侯爵家に行き、魔道技師や魔導士たちと様々な研究をしていた。
ある日、ジルダがアバルト侯爵家に行くと、屋敷の裏手の森で、見知らぬ青年が魔石を手に格闘していた。
魔石にある魔力を放出しているようで、足元にはいくつもの魔石が転がっていた。
「何をなさってるの?」
突然声を掛けられて、青年は驚いて魔石を落としてしまった。
「あぁ!貴重なサイノスの魔石が!僕の1年分の給料が!」
割れて粉々になった魔石を見て涙ぐむ青年を見て、ジルダは申し訳なくなった。
そして青年に謝ると次に来た時は同じ魔石を用意することを約束した。
次にアバルト侯爵領を訪れたジルダは、以前と同じ場所で青年を見つけた。約束通りサイノスの魔石を青年に渡すと、青年が何をしていたのかを聞いた。
「魔力を放出しているんです」
思った通りの回答だった。




