70.
ロメオは続けた。
「そして最後にイレリア嬢にかけられていた魔法だが――カイン。君を愛する魔法だ」
カインはもう何も感じなかった。これまで愛だと思っていた事が、全て作られたものだったのだ。
「これらの魔法はとても弱く、外からは感じるのが精一杯というレベルだ。母上でさえ何度もイレリアに会う必要があったからね」
含みを持たせたロメオが、何を言わんとしているかはなんとなく理解できた。
「子宮――か」
カインの問いかけにロメオは頷いた。
イレリアと初めて結ばれた時、イレリアは処女ではなかった。
貧しい女性は体を売って日銭を得る事もあるのだと聞いた事があったし、盲信的にイレリアを愛していたカインにとってそんな事は大した問題ではなかった。
だが、思えば体を重ねてからだった。イレリアに執着するように愛するようになったのは。
それまでも、彼女を魅力的だと感じていたし、好意を抱いていた。
「僕は――彼女を愛してるから……」
言い聞かせるように口に出したが、その言葉は空中に消えるように虚しいものだった。
イレリアと体を重ねてからは、ずっと彼女のことばかり考えていた。
屋敷に連れ帰り、関係を紡ぐことにイレリアを欲し、この世の全てが彼女しかいないとさえ思えた。
そして、ジルダへの嫌悪を募らせていた――
「君を愛する魔法には、君の魔力が使われていた。君の魔力に反応するようにね」
ロメオの言葉に弾かれるようにカインは顔をあげた。
「僕の魔力だと――いや、それよりも人の心を操る魔法など……」
そんな魔法は聞いたことがないと、否定しきれない自分が悔しかった。
事実、ここ数日のカインは、以前ほどイレリアに執着していないのだから。
「君に頼まれてから、僕はジルダから君の魔力を受け取ってイレリア嬢に会っていた」
ロメオが言ったことには驚かなかった。
そして、続きを聞くまでもなく結果はわかっていた。
「イレリア嬢はわかりやすいくらいに、僕に好意を持ってくれたよ」
ロメオが肩をすくめると、カインも苦笑いで返した。
「君も知ってると思うが、魅了の能力はその本人より魔力が強いと影響を受けない――だから僕は大丈夫と思ってたんだ」
ロメオが申し訳なさそうに言うのを、カインは静かに見ていた。
「まさか――君も?」
「誤解しないでくれ」
ロメオは慌てて否定した。
「夜会に行った時だ。少しだけ仕掛けてみたら、彼女簡単に靡いてきたんだが、僕もついその気になりそうになっただけで、何もしていない」
「ロメオほどの魔力の持ち主でも――」
カインが呟くと、ロメオも頷いた。
「彼女の能力が魔法で増幅されていた証拠さ」
カインは頭を抱えた。
社交を重ねるほどに、貴族から信頼を得ていたのは、彼女のひたむきさと優秀さが認められていたからではなかったのだ。
「誰が――一体、なんのために」
「そこだよ」
ロメオは静かに、だが張り詰めた声で言った。
「そもそも、誰がどうやって君の魔力を手に入れたか、だ」
カインもそれは気になっていた。
他人の魔力を手に入れるには、スクロールなどの魔法陣に魔力を入れる必要がある。
魔力吸収では、吸収した魔力はその体の魔力と混ざり合ってしまうのだ。
だが――
「1人だけ、魔法陣を使わずとも魔力を保持できる人物がいる……」
カインは、震える声でそう言うと、胸元の青い宝石をそっと掴んだ。優しい温かさが手の中にある。
「ジルダのはずがない」
カインは、ロメオの目を見てはっきりと言った。
自分がこの10年間してきた仕打ちを考えると、ジルダが自分を恨んで魔力を提供していたとしてもおかしくはない。
だが、手の中の優しい温かさが否定していた。
「もちろんジルダじゃないよ。まぁ一番疑わしいけどね」
ロメオは悪戯っぽい笑顔で茶を一口飲むと、すっかり冷めている事に気が付き、部屋の隅に控えていた女中に新しい茶を淹れさせた。
「ジルダは決して君を裏切らない。イレリア嬢がなぜ君といられると思う?」
「それは――僕が愛しているし、父上もお認めになったから――」
ロメオは新しい茶をカインに勧めた。
「ジルダが侯爵に頼み込んだんだ」
カインは理解が追い付かなかった。
エスクード侯爵は息子が貧民街の女性に入れ込んでいる報告を受けて、どう対処すべきか考えていた。
カインとて若い男だ。
若い頃の自分がそうだったように、持て余す情熱もあるだろう事は理解していた。
だから、貧民街に頻繁に通っている事は黙認していた。外で会う分にはごまかしようはいくらでもある。
しかし、侯爵邸に連れ込み生活を共にするとなると話が違う。
結婚前の貴族の振舞としては、勿論恥知らずなことこの上ないが、それ以上にジルダを蔑ろにする息子を許すわけにはいかなかった。
侯爵は、ジルダには返しても返しきれない恩があると思っていた。
だが、ジルダは王宮で侯爵に膝をつき、侯爵に願い出た。
「彼の方とおられる間のカイン様は魔力が安定しておられます。無理に離すと心が不安定になり魔力溢れ――最悪は暴走を引き起こす恐れがあります。どうか、お二人が共にいる事をお許しください」
ジルダがそう言うのなら、侯爵は頑なに反対することはできなかった。
ジルダは侯爵が渋々納得するのを見て、顔をあげた。
「カイン様の魔力は安定はしておりますが、気になる事があります。――何かが混ざっています。とても僅かで正体は掴めませんが、彼の方と――その、関係をお持ちになってからなのは確かです」
ジルダは言い辛そうに口ごもりながら侯爵に告げると、侯爵はジルダを見た。
「つまり――その何かを探り解決策を見つけるまでは、カインの好きにさせておけと言う事なのだな」
今度はジルダが頷いた。
「はい。そしておじ様はなるべく彼の方にお近付きにならないようにしてください。彼の方はおそらく精神に作用する魔法を使われているはずですので」
「――そんな。では、ジルダは最初から全て承知していたと言う事なのか」
カインの言葉に、ロメオは頷いた。
イレリアといる間の自分はおかしいと気付いたのは夏の月に差し掛かる頃、ティン=クェンに心無い事を言い放ち、ロメオに叱責された時だった。
よもやと思い、ロメオにイレリアを調べるように頼んだのはカイン本人だった。
そして、イレリアと少しでも距離を置こうと決めたが、イレリアと会えないと気が狂いそうなほど心が乱れ、向かい合うとその体に縋り付きたくなる衝動がカインを苦しめた。
だが、それこそがイレリアが原因だという唯一にして決定的な証拠だった。
イレリアを欲する衝動は、日を追うごとに弱まっていったが、あの日。
イレリアの涙を見て心が乱されたところを、イレリアに触れられ、抑制ができなくなりイレリアを貪るように求めた。
全ての苦労が無に帰したと思われたが、イレリアのあの笑み――母や貴族が浮かべる感情の無いあの笑みを見た途端、自分の中で何かが弾けた。
あんなに愛しいと思っていたイレリアが気持ち悪い他人のように思えたのだ――
「もうひとつ言うとね、カイン。僕が君の魔力を纏ってイレリア嬢に会ったのは、ジルダからの頼みでもあったんだ」
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