69.
カインはせっかくの休日をどう過ごすか考えていた。
いつもならイレリアと過ごしていたのだが、今日はイレリアに会いたくなかった。
日記の件でジルダに会いたかったが、昨日のイレリアとの話から、今は会うべきではないと判断した。
それでも2日後には魔力吸収の為、侯爵邸にやってくるのだが――
カインは厩舎に向かうと、ポッチがいる事を確認した。
厩舎前に広がる騎乗訓練用の広場で、日光浴をしていたようだ。
ポッチもカインを見つけると一目散に駆け寄ってきた。
「本当にお前は頭がいいな」
カインは嬉しそうにポッチを撫でると、ポッチはふいと顔を背けて厩舎に駆け出した。
「なんだ。顔を見せただけか――ん?」
期待していた反応と違ってガッカリしたカインだが、ポッチは厩舎の横にある、装具の棚の前でドヤ顔をして立っていた。
自分をどこかへ連れて行けと言う事か。
カインは下男を呼びつけると、ポッチに装具を装着させて騎乗した。ポッチは満足げにグルル……と小さく呻いた。
「そういえばお前、以前はなんであんなに僕を嫌ったんだ?」
聞いたところで草竜は話せない事は、カインにだってわかっていた。
草竜はちらりとカインを振り返ったが、フンと鼻息を吐くだけでもちろん答えるはずがない。
その代わりにご機嫌そうな足取りで、ゆっくりと町中を散歩している。
もう少しで城壁だ。
あそこを抜けると農地が広がり、結界を抜けるから、ポッチも思い切り走ることができる。
ポッチもそれを理解しているのか、尻尾を小さく振りながら進んでいった。
城門を抜けると、城壁に沿って道がある。
ここを進むとシトロン伯爵家の持つ農場だ。
宮廷貴族の中では領地を持たない貴族が殆どだが、シトロン伯爵家も例に漏れず領地を持たない。
しかし、首都にいくつかの土地や建物、そして城門の外に農場や山林を所有しており、宮廷貴族の中でも裕福な部類に入っていた。
それでも、5人の子供達を抱えてそれぞれの支度をするとなると、かなりの物入りになり、財産など築く余裕がないとこぼしているのを聞いた事がある。
その為か、幼い頃のジルダはいつも質素で、あまり高価ではない着古したドレスを着ていた。
カインと婚約してからは、その費用の殆どを侯爵家が負担し、衣装なども揃えさせていたはずだが、ジルダはいつも質はいいが質素なドレスばかりを着ていた。
与えられた予算が使い切られたことなど一度もなかったことは、カインが屋敷の管理をするようになって知ったことだ。
一度は伯爵の横領を疑ったが、ジルダは毎月きっちりと収支の明細を残していた。
彼女はいつも、最低限品位を保てるだけの費用しか使っていなかったのだ。
シトロン伯爵家の農場では、農夫に混じって貧民街で見かけた顔が、まだ新しい農具を持って働いていた。
あれがダーシー卿が言っていた農具か――
カインが遠目に農作業を見ていると、よく知った顔が近寄ってきた。
「カイン様じゃないですか」
イレリアが赤ん坊の頃から世話をしていたと言う、貧民街の女性だった。
カインは無我夢中でポッチを走らせて、アバルト侯爵邸にたどり着いた。
訪問の約束がないのに、見知った門衛が門を開けてくれた。
門をくぐり車寄せでポッチから降りて下男に預けると、執事の案内を待たずにロメオの執務室へ直接向かった。
「やぁ。カイン」
部屋に飛び込んできたカインを、ロメオは笑顔で迎え入れた。
「先触れもなく来るなんて君らしくないな」
言葉とは違い、カインが来ることを予測していたような態度に、カインは困惑していた。
ロメオは立ち上がると、カインにソファに腰掛けるように促して、自分もその向かいに腰掛けた。
「その様子だと、色々知ってしまったようだね」
カインは何を言えばいいのかわからず、唇を噛み締めた。
「まず、君から頼まれていた事を報告しようか。母上にも協力してもらったんだが――知っての通り母上は魔法の解析に長けた人だからね」
カインが落ち着くのを待たずに、ロメオは話し出した。
「まず、イレリア嬢だ。彼女には魔法がかけられている」
カインは頭を抱えた。
衝撃ではあったが、やはりそうだったのかと、心のどこかで納得している自分がいた。
「とても複雑な魔法でね。おそらく本人も気付いていない」
「どんな魔法だ」
カインは答えを聞かずとも知っている気がした。
「魔法は全部で3つあったそうだ。いずれも、これまでに見た事のない魔法だったそうだよ」
ロメオとカインの前に、茶が置かれた。
香りからして、カインの好きな花の香りのする甘い茶だ。
「一つは魅了の魔法だ。心の弱い者は彼女に好意を持つように誘導される。これは彼女自身が持つ能力でもあるが、それを増幅する作用があるそうだ。彼女の美しさもあるが、選民思想の高いはずの貴族達が彼女をここまで崇拝しているのもこの為だろうね」
カインは、初めて彼女に会いに薬屋に行ったあの日の事を思い出した。
イレリアの笑顔に胸の奥が熱く感じたのは魔法のせいだったのか――母に感じて以来、初めて人を美しいと思ったのも、全て魔法のせいだったのだろうか。
「もう一つは――カインの感情を奪う魔法だ」
カインの様子を見ても、ロメオは話をつづけた。
傷つくなら一度に傷ついた方がいい。ロメオなりの優しさだった。
「何のために――」
カインは掠れた声を絞り出すので精一杯だった。
「正確には、君の感情を操り、魔力の制御を奪う――というのが正しいだろうね。もちろん、君の魔力を暴走させるためさ」
ロメオの言葉に、カインは覚悟していた事を突き付けられたような気分だった。
ジルダを嫌い、盲信的にイレリアにのめり込んでいった様は、今考えると異常だった。
まるで中毒性の高い薬物に溺れるように、イレリアに溺れていったのは全て愛だと思っていた。
しかし、カインは薄々気付いていた。その感情は自分のものではない事に。




