65.
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「ポンプの魔法陣の補修が完了しました」
魔導士の声で、カインは周辺に向けていた視線をポンプの魔法陣へと移動させた。
所々掠れかけていた魔法陣は、魔導士によって真新しい魔法陣へと生まれ変わったようだ。
「魔力の充填をお願いします」
言われて、カインは自分の半分ほどの大きさの魔法陣に魔力を注ぎ入れた。
結界の外では、ハンターやナジーム達治安維持隊が、周辺の魔獣を狩っていた。
毎年の光景だ。
半刻ほどかけて魔力を入れ終えると、少しだけ魔力が軽くなった気がする。
次は結界だ。魔導士が新しい魔法陣をポンプに刻み込んでいる。
結界は途切れさせるわけにはいかない。
その為、新しい魔法陣を刻み込んで結界を切り替えるのだ。
結界が途切れるのは切り替わる一瞬だけ――大丈夫。15の時から3度目だ。
ずっと危険なんてなかった。
「魔法陣の展開が完了しました。カイン様の魔力が充填されましたら結界の切り替えを行います」
魔導士の言葉に、カインは頷くと魔法陣に魔力を充填し始めた。
結界が展開できるまでの魔力を入れ終えると、魔導士が結界の起動を始めた。
ほんの数分――水が湯に変わる程度の時間だ。
事前に周囲のめぼしい魔獣は倒したし、今もハンターやティン=クェンたちが警戒を怠らずにいてくれている――もちろん、カルマイ卿たちも。
それでもカインは警戒は怠らなかった。
昨日大丈夫だったから今日は大丈夫という事はないのだということを、昨年の夏の月に嫌というほど経験している。
そして、カインの予感は的中した。
「ゴ――ゴブリンだ!」
カルマイ卿の怯えた悲鳴のような声が背後から聞こえた。
「持ち場を離れるな!ゴブリンを餌に大型が来るぞ」
ティン=クェンの緊張した怒号が響いた。
「あとどのくらいだ」
「す――数分程度かと」
カインは魔導士を守るためにここを離れるわけにいかない。
大丈夫。ティン=クェンがいる。カインとロメオを除いては、同世代の中では最も魔力が強く、その魔力制御は幼馴染の誰よりも上手な彼は、近いうちに王国の守護騎士に任命されると呼び声が高い実力の持ち主だ。
ティン=クェンが本気を出せば、カインですら5回勝負して2回は負けるほどの実力だ。――残りの3回は引き分けだったが。
「結界の起動後、どのくらいもつ」
カインは落ち着きを取り戻して魔導士に尋ねた。
「はい――起動するだけの魔力でしたので……この状態で起動しても3分ともちません――」
「それだけあれば十分だ。結界が起動したら私は行くぞ」
カインの言葉に魔導士は頷くと、魔法陣に手を当ててカインを見た。
「私がもたせます――どうかお早いお戻りを」
魔導士とて高位の魔力量を誇る者だ。
当代こそカインの化け物じみた魔力に頼り切っているが、それまでは自分たちがこの魔法陣を構築し、維持してきたのだ。
ただ、注入できる魔力量の密度が薄いため、本来はこの規模の魔法陣への注入は複数人で行うものなのだ。魔導士一人ではまる一昼夜もかかってしまう。
それでも起動した結果を数分間程度は維持することくらいはできる。
魔導士は意地の見せ所だと、起動した結界に魔力を注ぎ続けた。
「すぐに戻る」
カインはそう言って、体に魔力を纏わせると、目にもとまらぬ速さでカルマイ卿の元に駆け付けた。
結界の中に入り込んだゴブリンに囲まれ、普段の冷静さを失った状態で闇雲に剣を振り回している。
ゴブリンは6体いたが、カルマイ卿の防御の魔法陣はうまくカルマイ卿を守っていた。
カインは剣を抜くと、一振りでゴブリンを3体まとめて斬りつけ、返す刀で2体仕留めた。
「ゴブリンごときに後れを取るな!カルマイ卿」
カインの一喝に、カルマイ卿は漸く自分を取り戻し、残る一体のゴブリンの頭を剣でたたき割った。
「も――申し訳ございません。隊長」
「ラエル卿のところに行け。サイノスに手こずっているようだ」
カインはそう言うと、鉤爪の鋭い草竜によく似た、しかしその大きさは草竜の2倍はあろうかというディラーノ3体相手に苦戦しているダーシー卿に駆け寄った。
「ティン=クェン卿が囮になると森に入られました。――ここは私で十分ですので」
ダーシー卿が言い終わらないうちに、カインはダーシー卿を取り囲むディラーノを次々と一撃で倒した。
「――何が十分なのだ?」
「……ほんっと、隊長はかっこよすぎるんですよ。やっとお戻りですか」
ダーシー卿が嬉しそうに笑ったが、やっとお戻りの意味をすぐに理解したカインは、余程この一年間の自分はろくでもなかったのかと、気まずい気持ちで胸元の青い宝石を握りしめた。
その様子を見てダーシー卿は剣を構えて、カインを促した。
「ゴブリンがティン=クェン卿を追いかけていきました。他の大型魔獣も」
「結界は魔導士が頑張ってくれている。各自持ち場を離れず守るように」
そう言い残すと、カインはティン=クェンの入ったと言う方角に向かって駆け出した。
森の中はなるほど、大型魔獣が追って行ったらしく、草は踏みしだかれ木はなぎ倒されているので、ティン=クェンの行先はよくわかった。
あの根性悪の事だ。死んではいないだろうが――
カインは走りながらティン=クェンの性格を思い浮かべた。
ティン=クェンは一見気弱そうで大人しそうに見えるが、末っ子独特の狡猾さや賢さを持っていた。
おかげで子供の頃はよく、ティン=クェンの罠にかかっては家政婦やアレッツォに怒られたものだ。
口の端に笑みを浮かべながら、カインは子供の頃、父の大切にしていた剣が見たいと言い出したティン=クェンを思い出した。
「でも、勝手に見たら侯爵に怒られるよね?カインはまだ後継者じゃないし、侯爵の許可なしに見たら怒られるよね?」
そう言ったティン=クェンにカインは大丈夫だと胸を張って、結果的に侯爵にしこたま怒られた。
あいつはわかっててやってたよな――助けるの……やめようかな。
昔の恨みが込み上げてきたと同時に、カインが辿り着いたのは突如現れた大穴だった。
10頭近い大型の魔獣と、数十体はあるだろうゴブリンだったモノらしい消し炭が、穴の中に所狭しとひしめき合っていた。
「遅かったねぇ」
頭上から聞きなれた声がして、仰ぎ見ると木の上にティン=クェンが鼻持ちならない顔で、カインを見下ろしていた。
カインはやはり追いかけるんじゃなかったと後悔した。
カインが珍しくかっこいいです




