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侯爵家の婚約者(リライト版)  作者: やまだ ごんた


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48.

 帰りの獣車の中で、イレリアはロメオの事を思い出していた。

 騎士隊の隊長であるカインに負けず劣らずの逞しい体に、スマートなエスコート。

 会話のテンポもよく、食事の後のお茶でもロメオはホストとして出しゃばりすぎず、会話が途切れないよう、空気が悪くならないよう会話を誘導していた。

 カインの成人の祝いの時は、エスコートとダンスを1曲だけで、ほぼ会話もないまま残りの時間はカインと過ごしていたので、印象に残っていなかった。

 だけど、あんなに魅力的な方だったなんて――

 食事会でイレリアが噂の篤志家だと名乗りを上げた時、ロメオは誇らしげな顔で微笑んだ。

「こんな素晴らしい方が僕のパートナーを務めてくださったなんて、僕はとっても幸せ者ですね。――と言っても今日彼女が僕のパートナーになってくれているのは母のお膳立てで、残念ながら今日だけのパートナーなのですが」

 そう言って周囲を沸かせた。

 しかし、食事が終わり、サロンへ移動する時だった。

 招待客の最後尾を歩いていたロメオは、イレリアの耳元に口を寄せて「本当に残念だよ。イレリア嬢」と甘い声で囁いた。

 イレリアの心臓は止まってしまったかと思うほど、きつく締め付けられた。

 ――カイン以外の男性にこんな感情を持つなんて……

 イレリアはロメオの事など忘れてカインの事を考えようと、深く溜息をついた。

 しかし、浮かぶのはカインの面影を持つロメオの、魅力的なブルーグレーの瞳だけだった。

 

「夜会に――?」

 夕食の場で、イレリアが夜会に参加したいと言い出したのを、カインは思わず聞き返した。

「ええ。最近カインはその――寝室には来ないでしょ?だから、私もこれからはお断りしていた夜会にも参加してみようかと思うの」

 事実、夜会が嫌いなカインは、殆どの招待を断ってイレリアと過ごしたがっていた。

「夜会なら結婚してからでも十分じゃないか――」

 そういうカインの言葉にイレリアも納得していたが、周囲の話題の殆どはカインとジルダの結婚の時期についてだった。

 自分とカインは結婚できるのだろうか――次第にイレリアに不安が重くのしかかるようになってきた。

 イレリアの今の地位と生活はカインの寵愛があってこそだ。

 万が一予定通りジルダが正妻になったら――イレリアへの寵愛は変わらないだろうが、イレリアは単なる平民出身の愛妾と言う事になる。

 だが、カインはイレリアを貴族にすると言ったのだ。

 そして結婚すると。貴族の結婚は王宮が許可し、神殿が認める。そして神殿の系譜に書き込まれるため離婚はできない。

 だが、愛妾など飽きられれば捨てられてしまう存在だ。適当な傍系へ嫁がせるならまだいい方で、酷い場合はいくばくかの金を握らせて邸から追い出される事も少なくない。

 そうなったら、この生活が奪わるのだ――イレリアは考えただけでも恐ろしかった。

「エスコートはどうするんだい?僕は遠征を控えている上に婚約者がある身だ。そう簡単に君をエスコートするわけにはいかない」

 カインはアレッツォが入れた甘い果実酒を、苦々しい顔で口に運んだ。

 だが、自分を救ってくれるだろう人物が一人だけいる。

「アバルト公子にお願いしたいわ。以前もエスコートしていただいたし、あなたのお友達ですもの――」

 イレリアはロメオのことを思い出していた。自分を見つめる彼の瞳は熱っぽく、恋するそれに違いなかった。

 イレリアもまた、彼に会いたかった。


 「今日も私のわがままを承諾してくださり、ありがとうございました。公子」

 夜会へと向かう獣車でイレリアはロメオを見つめて礼を言った。

 夏の月の初めに招待されたのは、フィッツバーグ子爵夫人の夜会だった。

 夫人のことは好きにはなれないが、エスクード侯爵家にも縁があり、茶会にも招待された家であれば大きな問題はないだろうとの判断だった。

 カインも、ロメオのエスコートならと渋々ながら承諾してくれたおかげで、イレリアはこうして夜会に出かける事ができるようになった。

 カインが寝室に来なくなってから10日以上が経っていたが、ロメオと夜会の参加が決まってからは、そんな事は気にもならなくなっていた。

「なに。親友殿の頼みだからね。君に悪い虫がついてはカインに顔向けができない。それに僕も――君がいると女性達が寄ってこなくて助かるよ」

 ロメオがいたずらっぽい笑顔で答えると、イレリアの心は満たされるようだった。

「しかしよくカインが許したものだね――あれだけ君に入れ込んでいたのに」

 ロメオの言葉にイレリアは心臓が掴まれる思いがした。

 ロメオは知っているのだ。自分とカインの関係を――

 知らないはずがなかった。自分達のは周知の事実だったし、彼はカインの従兄弟であり親友だ。きっと何でも話す関係なのだろう。

 イレリアはロメオにだけは知られたくなかったのにと、小さく唇を噛んだ。

「それだけ公子を信頼していらっしゃるんですわ――もしくは――」

 イレリアは悲しそうな表情を作って、「もう私の事などどうでもいいと思っているのか……」と涙ぐんでみせた。

 その表情をロメオは白々しい思いで眺めていたが、自分の役割を思い出すと胸元からチーフを取り出してイレリアに渡した。

「泣かないで。せっかく美しさに磨きをかけた化粧が台無しだ――もっとも、君はそんなものがなくても十分美しいだろうけど」

 自分でも歯の浮く台詞だと心の中で舌を出したが、それを見透かされるわけにはいかない。

 ロメオは精一杯優しく微笑んでみせた。


 フィッツバーグ子爵家の夜会は、思った以上に豪華だった。

 豪華というよりは、悪趣味なほどに金をかけた装飾が目立ち、ロメオは薄っすらと嫌悪感すら抱いていた。

「アバルト公子においでいただけるとは――我が家の格も一段上がったと勘違いしてしまいますな」

 ロメオの姿を目にするや、フィッツバーグ子爵が脂ぎった体を揺らして挨拶に駆け付けた。

「新しくぶどう酒の事業に出資なさったと伺いまして。今日はその新酒のお披露目なのでしょう?」

「さすがお耳が早い。今日は酔っ払ってもご婦人を取り合う野蛮な男はおりませんのでご安心を」

 フィッツバーグ子爵は、ロメオの隣に立つイレリアをちらりと見て、意味ありげに笑ってみせた。

 相変わらずいけ好かない男だ。

 ロメオは優雅な笑顔を浮かべながら、内心で舌を出していた。

 子爵が他の貴族に挨拶に向かうのを見送ると、ロメオはイレリア連れて酒が振舞われるテーブルの前にやってきた。

「君は酒は――」

「強くはありませんが飲めますわ」

 ロメオの気遣いに感謝しながら、イレリアは微笑んだ。

「師匠がとてもお酒が好きな方でしたので、時々付き合わされていたんです。貴族と付き合うようになれば酒の一つも飲めねばならんって――おかげで私が最初に覚えた調合は二日酔いの薬だったんですよ」

「それなら僕にも今度用意しておいてもらおうかな。君が作った薬ならとても効きそうだ」

 イレリアの話にロメオは眉を上げて、いつものいたずらそうな笑みで返した。

 太陽の下で微笑むロメオも素敵だが、煌々と照らされた灯りの中で見るロメオも、また違った魅力があると、イレリアは思った。


 ロメオはカインと同じく、次期アバルト侯爵として注目されている。この夏の月の終わりに成人の祝いが行われる予定だ。

 成人の祝いを済ませると、ロメオはアバルト侯爵が持つ爵位の一つである伯爵位と領地を継ぎ受けるとカインから聞いたことがあった。

 騎士隊に入隊したカインとは違い、すぐさま貴族として独り立ちするのだ。そして独身――婚約者はもちろん恋人の噂も聞こえてこない。

 貴族の令嬢たちにとって、ロメオはカインに並んで憧れの存在であり、お近付きになりたい相手でもあった。

「やはり君と参加して正解だった」

 次々に話しかけてくる令嬢や貴族達を、イレリアのエスコートだからと軽やかに断る姿に、イレリアは益々惹かれていた。

 美しい令嬢や、儲け話を持ってくる貴族達よりも自分を優先してくれるのだ。

「カインは夜会なんてって言うけどね。もうすぐ爵位を受ける僕にとっては夜会への参加は義務のようなものなんだ」

「ロメオ様――いけない。公子さまは――」

「ロメオと呼んでくれていいよ。カインにもそう呼んでるんだろ?」

 イレリアの瞳を見つめるロメオの瞳が潤んでいるのは、酒のせいだけなのだろうか。

 音楽に合わせてダンスを踊り、酒で喉を潤し、ひそひそと会話をして笑い合う。

 なんて素敵なんだろう。

「おや、イレリア嬢。顔が赤い――少し飲みすぎたかい?果実水をもらってきてあげるから、そこで休んでいるといい」

 ロメオはそう言うと、イレリアの手を離して人混みに消えていった。

 ロメオから離れたイレリアは、ロメオの背中を切ない気持ちで見つめていた。

 ロメオが成人して爵位を受けたら、今までのように気楽に会えないと思うと、胸が苦しくなるのがわかった。

 私はカインを愛しているはずなのに、なぜロメオ様を思うとこんなに胸が締め付けられるの――

 カインの事は相変わらず愛していた。カインを見ると同じように胸がときめき、カインに触れられないと寂しさで心に穴が開いたような気分になる。

 しかし、あの日からカインは、一度もイレリアを抱こうとはしなかったことはおろか、イレリアに触れることも避けているようだった。

「ロメオ様はカインに似ているもの――」

 グラスを傾けながらイレリアは、そのグラスに話しかけるように小さな声でそっと呟いた。

 きっとカインが触れてくれない寂しさをロメオにぶつけているのだと、イレリアは思っていた。

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