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侯爵家の婚約者(リライト版)  作者: やまだ ごんた


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43.

 日差しが差し込むサロンでは、音楽に合わせて踊る女性たちや、隅に置かれた柔らかいクッションの置かれたベンチで世間話をする女性たちに分かれて、それぞれ楽しんでいた。

「驚きましたわ。シトロン公女とイレリア嬢が初めてお会いなさったなんて」

 そう言ったメルゼナー伯爵令嬢の表情に、悪意や揶揄いの色は浮かんでいなかった。

 純粋な疑問からの発言なのだろう。

「何度も侯爵邸には伺っていたのですが、ご挨拶をする機会に恵まれませんでしたの」

 ジルダが微笑みを浮かべながら、答えた。

 メルゼナー令嬢の質問に悪意がない事は、イレリアにもわかっていたが、ジルダがどういう言動に出るのかは予想できなかった。

 もし、カインの言う通り鼻持ちならない貴族らしい女性だったのなら、ジルダにとって邪魔なイレリアの名誉をここで踏みにじる事もあり得るのだ。

「侯爵閣下は領地にお戻りになられてましたし、カイン様も――色々ありましたでしょ?そうこうしているうちに、令嬢の勉強が始まってしまって」

 ジルダの言葉に、周囲にいた令嬢たちは「なるほど」と納得した。

 確かに、秋から冬にかけてのエスクード侯爵家は落ち着きがなかった。

 それに、結界の魔法陣の事件はおろか、街道の魔法陣の事件も解決していないのだ。

 通常であれば、侯爵かカインがジルダにイレリアを紹介しなければならないのに、冬の月は侯爵は領地に戻ってしまうことは貴族なら誰でも知っていた。

 なるほど。うまい言い訳だと、イレリアは感心した。

「令嬢がとても優秀だと言う事は聞き及んでおりましたが、これほどまでとは思いませんでしたわ」

「本当ですわ。冬の月の間にこれほどの所作を身に付けられたなんて」

 ジルダの言葉に、メルゼナー令嬢も続けた。

「確か、元は薬師を目指していらしたのですわよね?頭がよろしいはずですわ」

「薬師――そうでしたわね。今も薬草をお摘みになったりなさるのかしら」

 誰かが嘲笑交じりに言ったが、その声の主が誰なのかは、イレリアにはわからなかった。

 だが、イレリアは自分が貧民街の出身である事を揶揄されていることだけは理解できた。

「このお茶は――大昔は頭痛のお薬だったそうよ」

 イレリアが俯きかけたその時、ジルダの凛とした声が耳に響いた。

「確か、レインズ子爵夫人でしたかしら――夫人はご自身でお茶を調合なさるとお伺いしましたが、お茶にする花や葉はご自分でお摘みになるのですよね?」

「え――ええ。でもそれは花壇に植えたものを」

「同じ土に生えるものに、違いなどあるのでしょうか?」

 ジルダは真っ直ぐに夫人を見つめて言った。

「令嬢がいらっしゃらなければ、カイン様も騎士隊の皆様も命を落としていた可能性があります。令嬢の見識豊かな知識と技術のおかげだと、わたくしは思っておりますが――皆様は違うのかしら」

 ジルダの言葉に、イレリアはなぜカインがこの女性を嫌っているのか分からなかった。

「ああ。言い忘れておりましたわ」

 ジルダは柔らかな声音に戻ると、イレリアに向かって微笑んだ。

「やっとご挨拶ができて嬉しく思います。エスクード侯爵家に連なる者同士、これからもよろしくお願いいたしますわ」

 その微笑は、イレリアが教師に教えられた淑女の微笑みそのものだった。

 優雅で、尊大で、しかし慈しみ深い微笑。

 教育を受けたから分かる。この女性が素晴らしい女性であることが。

 それでも――イレリアは挫けそうな自分の心を奮い立たせた。

 私だって侯爵の後見を受けてここにいるのよ――カインの妻に――侯爵夫人になるために。

「こちらこそありがとうございます。ジルダ様。もっと早くご挨拶をしたかったのですが、カイン様にも時期を見てと言われてましたもので」

 緑の瞳はしっかりとジルダを見据えていた。

 だから、周囲がざわつく前に彼女が一瞬だけ眉をひそめたことに気が付いていた。

「カイン様から聞いておりますわ。お気になさらず」


「通常は、公の場で男性の名を呼ぶのは主従関係にあるか、恋人や夫婦だけなのです」

 侯爵家に戻る獣車の中で、アリッサが言いづらそうに言った。

 イレリアがこれまで参加した茶会は、若い令嬢同士の気楽なものが多かった。ヨルジュがその方が慣れるだろうと、選んでいたのだ。

 堅苦しい作法はほどほどに、彼女たちは憧れの男性をこっそり名呼びしたり、物語に当てはめたりと楽しんでいた。

 だから、気が付かなかったのだ。

「なぜあの場で教えてくれなかったの」

 イレリアは、よりにもよってジルダの前で大恥をかいていたことが悔しかった。

「そんな事をしたらお嬢様が恥をかいてしまいます」

「結局恥をかいたことに変わりはないでしょう?」

 イレリアが声を荒げるのを始めてみたアリッサは、顔を青くして頭を下げた。

「で……ですが、ジルダ様がうまく取り繕ってくださいましたので」

 アリッサの言う通りだった。

 ジルダは、イレリアが「カイン様」と呼んだことを咎めず、そのまま話題をメルゼナー伯爵令嬢の婚約へと切り替えてくれた。

 だが、それが余計にイレリアの癇に障った。

 イレリアは言いようのない苛立ちを覚えていたが、ゆっくりと息をつくと笑顔を作った。

「ごめんなさい。私――私の小さな失敗で侯爵家にご迷惑をおかけしてはと取り乱してしまったの」

 顔を上げたアリッサは、イレリアがいつもの――いや、いつもよりも慈しみ深く優しい微笑みを浮かべている事に安堵した。

「疲れたわ。帰ったら湯浴みの準備をお願いね」

 イレリアは、ジルダのことを思い出していた。

 他の貴族が言うほどに不器量には見えなかった。だが、所作や言動どれをとっても完璧な女性だと思わされた。

 カインの恋人は自分なのに、彼女がいるから公にできず、名を呼ぶことすら作法に反すると言われるのだ。

 だが、イレリアを招待する貴族達は皆、イレリアこそがカインには似合っていると思っている。

 それは言葉であったり、仕草から分かる。

 だから、自分がジルダよりも優れた貴婦人になればいい。そうすれば、カインもはっきりと自分を選ぶと言ってくれるに違いない。

 獣車はゆっくりと屋敷に到着した。

 周囲はもう薄暗い。

 早く湯を浴びて準備をしなければ、カインが帰ってきてしまう。

 疲れて帰ったカインを、包み癒せるのは自分しかいないのだから。

 

「最近は農場の被害報告が随分減ったように思うが」

 駐屯所の執務机で報告を受けていたカインは、ふと気が付いたように声を上げた。

 城壁の外に広がる広大な農場は、ジルダの生家であるシトロン伯爵家のものだ。

 首都を覆う結界は、農場の端までは届かず、結界に守られていない場所は常に魔獣の被害に晒されていた。

「……護衛でも雇ったんじゃないか?」

 報告を持ってきたティン=クエンがそう言うと、カインは少し考え込んだ。

「伯爵が護衛を――?」

 農作業の使用人をろくに雇わず、貧民街の住民を使って安くあげていることはカインもよく知っている。

 だが、ティン=クエンが次の報告を読み上げると、興味はすぐに失われていた。

 

「そろそろ揚水ポンプの点検の時期だね」

 報告が一通り終わると、ティン=クエンが窓の外を見つめながら呟いた。

 揚水ポンプは首都のはるか北側にある湖に設置され、首都に送水する大事な機関なのだ。

 管理人が常駐しているが、ポンプと結界の魔法陣を点検するのがカインの仕事だ。

「揚水ポンプに僕が行く必要はないんじゃないか」

 湖は首都から獣車で1日以上かかる場所にある。往復で3日、点検に1日。問題があればその時間はもっと延びる。

 カインはその間イレリアと離れる事になるため、乗り気ではなかった。

「カイン――」

 ティン=クエンは呆れて、わざとらしい溜息をついて見せた。

「ダーシー卿とラエル卿で隊を編成すれば問題はないだろ」

 カインは少しだけ視線を泳がせている。

 ティン=クエンはカインを不思議な気持ちで眺めていた。

 この幼馴染は一体どうしてしまったんだろう。

 これまではどんなことがあっても職務には忠実で、課せられた仕事を嫌がるなど一度もなかった真面目だった男だったのに。

「点検がどれだけ重要な仕事かわかっているだろ?それにあの場所は魔獣の多い場所だ。万が一ダーシー卿たちに何かあったらどうするんだ」

「彼らの実力を侮っているのか?」

「そういう問題じゃない。万が一何かあった時に、君が不在で誰が責任を負うんだと言ってるんだ」

「わかってる――冗談だ」

 ティン=クエンの真剣な言葉に、カインは視線を逸らしながらもごもごと答えた。

「君は一体どうしちゃったんだよ――まるで君らしくないぞ」

 ティン=クエンが思わず漏らした言葉にカインは気色ばんで彼を睨んだ。

「僕らしいとはどう言う意味だ」

 突然の変わりように、ティン=クエンは一瞬言葉を忘れた。

「真面目に、ただ言われたことを素直にこなすだけの僕が僕らしいと君は言うのか」

 自分でも分からない怒りがカインの頭の中を支配するのが分かった。

 何故か目の前のこの幼馴染がとても疎ましく感じられ、その感情はカインの頭の中で霧のように薄く、だが確実に全体を包み込むように広がっていった。

「馬鹿を言うな。君は確かに素直で聞き分けのいい子だったが、自分の考えもなくただ言いなりになるような奴じゃなかっただろ」

 ティン=クエンは呆れてカインを落ち着かせると、続けた。

「君は昔からちゃんと自分の意志で選んでいた。侯爵がそのようにできるように選択を与えてくれていたじゃないか――君がいま最も嫌っているジルダとの婚約だって無理強いではなかったはずだ」

 一言一言を言い聞かせるように、ティン=クエンが言ったが、カインの青い瞳に浮かんだ憎悪の色は消えない。

「――すまないが出て行ってくれ。このまま話すと君を殴ってしまいそうだ」

 ティン=クエンから視線を逸らすとカインは続けて口にしてはいけない言葉を口にした。

「君がそうやって気安く僕に言えるのは、君が幼馴染だからであり僕が許しているからだ……立場を弁えるんだ。ティン=クエン卿」

ティン=クェン「(#꒪⌓꒪) …」

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