27.
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イレリアの言葉に、カインはまた何かがよぎり、頭の奥が痛んだ。
小さな手……温かな……優しい魔力……ダメだ。
思い出してはいけない――そんな思いがカインの頭を支配する。それらから逃げるようにカインは激しくイレリアを抱きしめた。
深く口付けし、イレリアの柔らかい肌に触れると夢中でイレリアを求めた。
イレリアは何も言わずにカインを受け入れた。
イレリアの体を感じている間は、何も考えなくてよかった。
そう。ただ、イレリアだけを感じていればいい。
最早、それが正しいか間違えているかはどうでもよかった。イレリアだけがカインを理解し、愛してくれている。それだけがカインの考えを支配していた。
翌朝になってようやくイレリアの部屋から出てきたカインの元に、アレッツォが身支度にやってきた。
「本日は午後よりオレリオ様と結界の魔法陣に魔力をお入れになる日です。オレリオ様は領地からそのまま王宮に向かわれるとのことですが、夜はこちらにお戻りになるそうです」
「そうか――」
「イレリア様はどのようになさいますか」
アレッツォの問いかけにカインは一瞬表情を曇らせたが、すぐにアレッツォを見ると「父上に紹介する。僕の妻となる人として」とだけ答えた。
何か言いたげなアレッツォだったが、言葉を飲み込むように恭しく頭を下げると、部屋を後にした。
父上なら理解してくださる。
カインは父親の愛を疑っていなかった。
夫人が亡くなってから、侯爵はわかりやすく意気を感じられなくなったが、それでも変わらずカインに愛を注いでくれていた。
カインが15歳になって仕事をするようになってからは、一年のほとんどを領地で過ごしている。結界の維持や会議の日に合わせて、時折首都にやってくる程度だ。
当然、カインも侯爵に会えるのはその間だけだった。
だが、会う度に侯爵はカインに惜しみなく愛情を注いでくれていた。
だからカインは寂しくなかった。
身支度を整え、屋敷の車寄せに繋がれていた草竜に跨ろうとすると、草竜は嫌がってカインから逃げるように、車寄せの近くにある大きな柱の陰に隠れた。
いつもはカインの顔を見ると嬉しそうに鳴き声を上げて長い首をもたげながら尻尾を振るのにと、カインが戸惑っていると、世話係の下男が草竜を追いかけた。
「こら、ポッチ!お前の大好きなカイン様じゃないか。一日見ないだけで忘れたのか」
下男は草竜の鞍を掴むと、一生懸命なだめようとしている。
「ポッチと呼んでいるのか」
カインは可笑しそうに笑いながら下男に尋ねた。
通常、草竜には名前は付けない。
個体の性格差はあれど、彼らはそれほど知能が高いわけではない。
魔力のある者であれば誰にでも服従するし、名をつけられてもそれが自分のことだと認識しない。だから、名前など必要ないというのが一般的な考え方だ。
下男はカインに話しかけられて驚きつつも、不敬とならないよう目を合わせないように下を向き「こいつだけなんですが――」と、ぼそぼそと口を開いた。
「こいつは他の草竜とは違いまして、私の言うことを理解しよるんですよ。あいつら、俺――私の魔力量が少ないからっていつもバカにしてからかってくるんですが、ポッチだけはそうじゃなく、おいでと言ったら来るし、私の言うことを理解してるような顔でいつも話を聞いてくれるんすよ。ジルダ様が言うには――」
ジルダの名前を出して、下男はハッと息を飲んだ。
「す……!すみません!私ごときが坊ちゃまのご婚約者様を名前で呼ぶなど」
下男はカインが口を挟む間もなく、慌てて地面に平伏して許しを請うた。
すると、下男とカインの様子がおかしいことを察した草竜が柱の陰から出てきて、下男とカインの間に入り込んだ。
そして、下男を庇うように下男の前に座り込むと、長い首を縮ませてカインを責めるような目で見上げた。
「驚いたな。草竜がこんな行動を取るとは――」
カインは子供の頃に父とよく乗っていた獣車を思い出した。
あの車を牽く草竜は、カインの魔力を感じて機嫌よく尻尾を振ってはいなかっただろうか。確かこんな模様だったような記憶があるが。
「――ジルダを名で呼ぶほど親しいのか」
草竜の責める眼差しに、カインは一瞬の邂逅を振り切り、下男に問いかけた。
「はい――いいえ。ジルダ――シトロン公女様はお努めを終えられると、よく獣舎に来られては草竜達にカイン様の魔力を分け与えておられるんです。その時に私とも世間話を――主に草竜についてのお話をされて行かれるのですが、私らのような下々の者にまで名前で呼ぶことをお許しになられて、そんでつい――」
「ジルダが許しているなら構わない。私がとやかく言う問題ではないだろ。しかし、外では弁えるように」
「もちろんです!ありがとうございます」
下男はまた地面に頭を擦り付け、それを見た草竜が喉の奥でグルル……と威嚇する音を鳴らした。
「お前が立ち上がってくれないと僕はポッチに食い殺されるかもしれん。すまないが立ち上がって僕の命を救ってはくれないだろうか」
カインが肩をすくめて下男に言うと、下男は慌てて立ち上がりポッチの背を撫でて宥めようとした。
「ポッチは――もしかして君はよく僕と父上が乗っていた獣車を牽いてた草竜じゃないか?」
長い首を甘えるように下男の腹に擦り付けていた草竜が、カインの言葉に振り向くと、「グアー」と小さく鳴いて懐かしむように目を細めた。
「驚いた……本当に理解しているんだな」
「ジルダ様がおっしゃるには、坊ちゃまの魔力が影響しているのではと」
下男の言葉にカインは眉をひそめたが、下男はカインの顔を見ないように下を向いていたので気が付かず、話をつづけた。
「坊ちゃまの魔力はとても強く、特別だとジルダ様はおっしゃっていました。ただ強く大きいだけではないので、毎回吸収に苦労するとも」
ジルダが苦労?いつも涼しい顔で大量の魔力を吸収して帰っていく姿しか見ていないカインは、下男の言葉に眉間の皺をより濃くした。
「ポッチは坊ちゃまが領地にいらっしゃる時から一緒におりまして。坊ちゃまの移動の際はいつも指導役の草竜と一緒に牽いてたんですが、3年前にそいつも死んじまったんです。一番長く坊ちゃまといるのはこいつだけになっちまったんですが」
草竜は群れで行動するので、獣車を牽く時は指導役の年配竜と組むのが草竜の育成の常識なのだと下男は説明した。
年配竜の魔力の影響を受けて、群れの習慣や役割を覚えていくのだと言う。
思い返せばその草竜も他の個体とは少し違う要素を見せていた気がするが、ポッチは調教を開始した1歳の頃からカインと過ごしていたので、より濃くカインの魔力の影響を受けているのではないかと下男は考えていた。
「その証拠にポッチは坊ちゃま以外には騎竜を許さないんです」
下男が一気に話して聞かせると、カインはなるほどと嘆息した。
「そうか。お前はあの時の草竜なんだな。気が付かなくてごめんよ――なのになぜ今日はそんなに嫌がるんだ?」
申し訳なさげに頭を下げる下男を無言で制して、カインはポッチに近寄ると手を伸ばした。
ポッチは少し首を傾げてカインをじっと見つめると、何か納得したように鼻息を小さく噴き出し、カインの手に顔を擦り付けた。
リライト版ではポッチは割と出てくる…予定です
いや、変わらないかな?




