第1話 灰色の情景
シドウマモルは目を開けた。
開けたというより、自然に開かれたといった方がいい。意識して目を閉じていたのを自分の意思で開いたわけではないのだから。
眠りから覚醒して、まぶたが開く時のようなものだ。あるいは気を失った状態から意識を取り戻した時のような。
そうだ。自分は意識を失っていたのだ。
視界に広がる灰色の風景と、そこにいる自分以外の4人の少年少女の姿を確認しながら、シドウはその事実を認識した。
灰色の街。
というよりは灰色の廃墟群。
灰色の建物に、灰色の地面に、灰色の空。
建物はコンクリート造り。地面もコンクリート。
空は分厚い雲に覆われているのだろうか? 空自体がそもそも灰色であるかのようにも見える。
グレーだ。何もかもが灰色に染まった景観。
古い白黒映画のようなモノトーン。
色鮮やかなのは、自分を含めた5人だけ。
4人の様子を観察する。
観察眼には少しだが自信がある。伊達に空手を学んではいない。他者を観察する目は養われている。対戦相手を観察して、洞察して、分析するのは試合において重要だ。
いや、観察眼に多少長けていると言えども、それは他者の身体、筋力、運動能力、格闘能力といった面に偏っている。内面、精神面においてはそれほどの観察力、洞察力があるとは言い難いが。
帽子を被った背の低い女子は困惑が顕だ。おどおどした態度でキョロキョロしながら、周辺とシドウ含めた他の4人の様子を伺っている。その動き、仕草は小動物を連想させた。
ひょろりとした金髪サングラスの男子は、帽子の女子のように臆病そうな態度ではないが、戸惑いを隠そうとしない。表情にはっきり出ている。ここはどこだろう? 自分はなぜこんな場所にいるのだろうか? と。
ガタイのいい茶髪の男子は険しいとも思い詰めているとも取れる顔で事態の把握のための思案に耽っている様子だ。
空手を学んではいるがどちらかと言えば細身のシドウより、茶髪の少年は体格面ではるかに優っていた。肩幅が広く、胸板が厚く上背もある。180センチはあるか。
生まれ持っての恵まれた肉体の持ち主と見た。
空手を習えば相当な実力者になれるだろう。
空手に限らずとも、どの格闘技であっても鍛錬次第で相応の実力を身につけられるはず。
惜しむらくは、立ち姿からしてなんの格闘技も経験していないこと。
別にシドウが惜しむことでもないが。
格闘技をやらずともこれだけの身体、あえて活かそうとせずとも活かせる。健康で体力があるのはそれだけで生きていく上で大きな武器となる。
一方で。
シドウは残りの1人、ポニーテールの女子を見た。
彼女は茫然自失としていた。
困惑というより驚愕している。自分の身に起きたことが信じられないあまり固まっている。固まって、立ち尽くしている。そう見える。
それはそうだ。当然だ。
ポニーテールの女子の驚きは理解できた。共感できた。彼女自身ほどではなくとも、シドウも驚いていたからだ。
ポニーテールの女子が呆然と立ち尽くしていることに。
彼女が立っていることに。
二本の足で、しっかりと灰色の地面を踏みしめていたことに。
自分の記憶に誤りがなければ、彼女はこの場所で気がつく前は車椅子に乗っていたはずなのに。
どういうことだ。
記憶の中の車椅子の少女。
凄まじい目をしていた。
暗い目だ。
世界に絶望しているような。
この世の全てを憎んでいるような。
シドウさえ、恐れをなすような。
そこにいるガタイのいい少年よりも体の大きい相手や年上と対峙した時でさえ、怯まなかったシドウなのに。
真剣を見せてもらった時に抱いた恐怖心に似たものを、少女の瞳はシドウに覚えさせた。
なんとなくだが察した。想像の域を出ないが、想像できた。
少女は歩けない。おそらく一生涯。
生まれついてではないだろう。先天的に歩けないのではなく、後天的に歩けなくなった。
おそらく事故。
ある日突然事故に見舞われ、二度と歩けないと告げられた少女の絶望の深さなど、到底推し量れるものではない。
だが、少女の瞳からは絶望が漏れ出している。
鈍い者は気づかないだろうが。
鈍くない、普通程度の感性の者でも気づかないかもしれない。少女の抱く闇に。
障害者か、事故にあって当分の間、車椅子生活を強いられているくらいにしか思わないのではないか。
あるいは気づかないのではなく、気づいていないふりをするのだろうか。
彼女の瞳に映る絶望に、あるいは希望の映らない瞳に、何も感じないことがあるのだろうか。
ただ睨むような目だとしか思わないのかもしれない。
自分の足で歩行できない、車椅子で不便をしていることで、心が少々荒んでいようにしか見えないのか。
シドウには見えた。はっきりと見て取れた。彼女の絶望が。
だからこそ、驚いている。ポニーテールの少女が立っていることに。
自分が立っていることに呆然としている彼女の瞳は、どこにでもいるごく普通の女の子のものに見えた。
つまるところ彼女も困惑はしているが、突然見知らぬ場所に自分が立っていたことより、立っていたこと自体に対する困惑の方がはるかに大きいのだろう。
気がつくと見知らぬ場所にいて、己の足で立てるはずのない者が立っている。ありえないことが起きている。
意識を取り戻す前に何が起きた。シドウは記憶を掘り起こす。
衝撃だ。
強い衝撃だ。
今までの人生で受けたことのない強い衝撃だ。
どんな強者の打撃とも比べものにならない衝撃。
そして、痛み。激しい痛み。
骨が折れている。
一箇所ではない。複数箇所。
二本、三本ではない。十は優に超える。
細かいヒビも含めれば、何十というような。
頭から血が流れているのもわかった。
頭だけではなかったかもしれない。
肌がピリピリとした。無数の擦過傷を負ったのが原因だろう。肉がえぐれている箇所もあったのではないか。
大怪我という言葉では済まない。
重傷どころか致命傷といっても過言ではないだろう。
それなのに!
自分は今! かすり傷1つ負っていない!
服が破れているどころか汚れてさえない!
自分は夢を見ていたのだろうか?
それとも今が夢なのか?
今が夢ならば、死にかけていた記憶が現実か!?
死にかけていた——
瀕死の重傷を負った記憶があり、その後意識は途絶えた。
そして今、傷一つなく奇妙な場所に移動している。
立つことさえ叶わなかっただろう者が立ち尽くしているという奇跡のごとき出来事が起きている。
あまりにも現実感がない。この世ならざる世界に来たかのようで。
来たかのようではなく、この世ならざる世界に来てしまったのだとしたら。
この世ならざる世界。すなわちあの世。
死後の世界。
シドウマモル十五歳は事故に遭い、死んだのだ。




