8.妹の様子が
ポケットの中でスマホが振動したので確認する。
アレさんから、急用が出来たから事務所に置いている荷物を取ったらそのまま帰っていい。明日もよかったら好きな時間に来てくれ、という旨のメッセージが届いていた。自由裁量勤務?ホワイトッ!
雪音とゴスロリ少女たちと一緒にいた時からアレさんの様子が若干おかしい気もしたのだが、何か気にかかるところでもあったのだろうか?
まぁアレさんはゴスロリ少女のことを知っていた様子だったし、初対面の僕に躊躇なく蜘蛛を渡したことを叱っているのかもしれない。僕だからよかったけど、普通は驚いて振り払うだろうし、なんなら泣き叫んでもおかしくはない。
ただ僕が驚き慣れているだけだ。特に昨日から。
現代ではあまり役に立たないけど、僕は一度通った道を簡単に覚えられる特技がある。が、そんなのはスマホを使えば誰だってできる。使いどころの少ない特技だが、場所を調べなくてもすぐに向かえるのはメリットになるときもある。
今回の場合だと、僕のこの特技が素直に役に立つ稀有なケースだと言える。
アレグリの事務所は、マップアプリに登録されていないのだ。調べても出てこないので、マップで見ながら向かうことができない。といっても近くに目印となる建物があればそこを目指せばいいだけではあるのだけど。
事務所に到着した僕は、出発前にアレさんから受け取った合鍵を使って中に入る。
庭の様相や、外に出しておくべき看板が建物の中に落ちているところからしても、どうしてもこの事務所がまともに機能しているとは思えない。両親の知り合いでなければ、とっくに逃げ出しているところだ。
ただほんのり、ちゃんと給料は出るのか不安にはなる。仕事はあるような口ぶりだったけど、ネットには出てこなかったのだ。もしかして、知る人ぞ知る隠れ家的な立ち位置にでもなっているのだろうか……なんて思ってみたり。
アルバイトを始めるのはいいけど、今日のところはよくわからないまま終わってしまった。
だんだんと外は薄暗くなってきており、人のいない乱雑な事務所の中は、とても薄気味悪く感じてしまう。
さっさと出よう。
「ただいまぁ」
なんだか今日は疲れた。家族で買い物に行って、アルバイトをすることが決まってそのまま働いてきて。朝から【念動力】なんて超能力を手に入れて、僕の日常が大きく変化していくのを感じる。
ああ、そうだ。後でお風呂へ入る前に筋トレをしよう。日課にするのだ。一日筋トレと運動しただけでステータスが結構上がっていたので、モチベーションは高い。が、ちょっと外がもう暗いので今日は走るのなしで。
ランニングは早朝というイメージがあるので、僕も早朝ランニングでも癖付けてみようかな?それなら学校が再開しても生活リズムに無理なく組み込めそうだ。
起きられればだけど。
「おかえり、どうだった?アルバイト初日は」
「夜嗣、変なことはされなかったかしら?」
「うん、よくしてもらったよ。ちょっと仕事内容はまだ理解できないけど……」
「そうか。ならよかった」
「もし変なことをされたら、ちゃんとお母さんに言うのよ?」
「わかったよ母さん」
父さんがいつになく元気がない。と、いうよりも母の機嫌を伺いながら話している感じがする。
そういえばアレさんとの関係を聞いていなかった。母の態度からして明らかにただの知り合いではなさそうだが、この場で聞くと絶対に藪蛇なので、また父さんと二人きりになったときにでも聞こう。
こんなになるなら別に紹介してくれなくてもよかったんだけどな、という気持ちが、感謝の中に少しだけ芽生える。これでギスギスして一家離散とかいやだよ、僕。
雰囲気の悪いリビングから逃げるように自分の部屋に行き、筋トレを始める。といっても腕立て伏せと、腹筋のトレーニングくらいしかすることはない。まだ筋トレ器具を使うような次元にないので、所謂自重トレーニングとやらの動画を調べてマネしてみるのだ。
結論。超初心者向けの筋トレもきつかった。けど腕立て伏せは11回できた。こうして筋トレに体を慣れさせていけば、どんどん筋肉ムキムキマッチョマンへと進化していけるのだろう。
ゴリゴリのマッチョになった僕の姿を想像して、その体と顔のアンバランスさを思い浮かべた僕は、適度に細マッチョを目指すことにした。
「あれ、雪音おかえり」
「兄上もただいまなのだ……」
お風呂に入るため、リビングを通過しようとした僕は、ソファで真っ白に燃え尽きそうになっている雪音に気付いた。
僕より少し後に帰ってきたようだ。うちには門限というものがないので、これくらいの時間に帰ってきても誰も何とも言わない。僕は基本出不精なので門限がなくても遅くなることはあまりないけど、雪音はちょくちょく遅くに帰ってくる。この見た目でよく補導されないよな。
それにしても雪音は随分疲れ切っている。
「どしたん、話聞こか?」
「兄上よ、我もそのネタは知っておるのだが……実妹にするべきネタではない……」
それはそう。
いつもならネタの応酬にノリノリで乗っかるのに、余程疲れているらしい。
昨日はあんなに走り回って息切れひとつしていなかったのに、そんなに疲れることをしたのだろうか?
「あぁ、もしかして蜘蛛の子のことで悩んでる?」
「……兄上、あやつのことは知っておったのか?」
「いや?初対面」
「そうであろうな……いきなり兄上に蜘蛛を渡すから、気が気でなかったぞ……」
「大丈夫だよ、僕蜘蛛好きだし」
蜘蛛は益虫。害虫を食べてくれるし、よくみたら顔も可愛いから好き。
そんなことを考えている僕の顔をじーっと見つめた雪音は、深いため息をついた。
「そういう意味じゃ……まぁよい。だが約束してほしいことがある」
「なに?」
「もし今後外であやつを見かけても、話しかけないようにしてほしいのだ。今日は蜘蛛を渡すだけであったが、次は何をするかわからんでの」
ふむ、あのゴスロリ少女、相当なドッキリ好きなのか。もしかしたら線引きが少し苦手なのかもしれない。このドッキリで驚かないから、もっと過激に行こうなんて言う人もたまにいるし。
まぁ僕もさすがに一人でいるとき、あの子を見て話しかけようとは思わない。なぜなら職質される可能性があるから。
妹なら妹です~って言えばいいけど、妹の友達です~は怪しさ全開である。
「わかったよ。でも向こうから来たらさすがに話すよ?」
「その時は見つかった時点で我かグリモワールに連絡を入れるのだ。すぐに行くでの」
グリモワール……アレさんか。雪音、アレさんのこと苗字で呼び捨てしていたんだ。
それにしても見つかったというのはなかなか言葉が強い。まるでゴスロリ少女からは逃げなければならない、そんな存在かのような言い方をしている。
殺人鬼でもあるまいに……それに殺人鬼ならなおさらアレさんならともかく雪音へ連絡するわけにはいかない。
アレさんはあの高身長に加え雰囲気がやけに強そうなので、ちょっとした殺人鬼相手なら余裕で勝っちゃいそう。いや、呼ばないけど。
万が一そういう状況になった時のためにも、【念動力】の練習はしておいて損はなさそうだ。
「はいはい、覚えておくよ」
「わかってなさそうなのだ。兄上、約束なのだぞ?ほれ、指切りじゃ」
雪音は、こちらに小指を突き出してくる。
中学3年生にもなって、約束するのに指切りをしようとする雪音は、やはり幼く見えた。
僕はその姿に若干のほほえましさを感じつつ、雪音と指切りをした。
風呂と晩飯を済ませた僕は、ステータスのメモを取る。
――――――
筋力:36
反応:65
瞬発:51
精神:63 2up
魅力:55 5up
【念動力:レベル1】
36×63×1
2268g
――――――
僕が後でわかりやすいようにメモを取るだけなので、余計な表記は省き、ステータスが上昇している場合は増分を記載する。
その下に、筋トレの回数や今日起こった色々を書いていく。ステータスの部分を除けばほぼ日記だ。
魅力に関しては、増えたり減ったりする指標がいまいち僕にもわからないのだが、結構上がっている。
今日買ったばかりの化粧品たちを使うことによって、若干魅力が向上した?そんなすぐ容姿がよくなっているとは思えないが、うねうね髪の時は下がっていたことを考えると、現時点の容姿が若干よくなっていると考えてもいいと思う。
もしくは、容姿以外に「魅力」を左右する何かがあるのだろうか。
よく、「男は見た目じゃない」なんて言葉をまことしやかに語られているけど、それに近しいかもしれない。今日は精神の値も上昇しているので、中身も伴って魅力的になったとも考えられる。
精神の値もどういう条件で上昇するのかはわからないが、これに関しては今後【念動力】の出力に関係する大事な項目となる。
可能性程度の話だが、今までしたことのないような出来事を体験し、それを通して成長することで伸びるのではないだろうか。
今まではめんどくさがってやらなかったことでも、これからは積極的にしよう。それで精神の値が成長していくのなら、効率的なステータス上昇論といえるかもしれない。
そんなことをノートにつらつらと書き終えた僕は、そのノートを見つからないようにベッドの下に隠す。
今日も色々動いたので眠い。明日はどんな能力がガチャから出てくるんだろう。
布団に包まれながら天井を見上げると、一匹の蜘蛛が部屋の角にいるのが見えた。
あの蜘蛛も、ずいぶん長いことこの部屋にいる気がする。出てきたり隠れたりで常に見えているわけではないけど、あの蜘蛛のおかげでこの家ではゴキブリやムカデを見たことがないのだろう。
蜘蛛の寿命ってどれくらいなんだろうなぁ、などと考えながら僕は眠りに就いていた。