32.インフレ
目が覚めると、自室の壁掛け時計は朝の5時を示していた。
カーテン越しに、昇りかけの太陽が僕の部屋を照らしている。
そういえば、今日は登校日だっけ。ゴールデンウィークの中間にある、平日。
学校行って、帰りに鼠を探さないとな。昨日みたいにサクサク見つかるといいけど。
部屋の中央には、相変わらずのガチャガチャの機械。もう驚かない。
「いつの間に帰ったんだろ」
僕の記憶は、アレグリで気絶して以来途切れている。
普通に考えれば、アレさんが家まで送ってくれたのだろう。雪音はあんな体躯だし、気絶した僕を連れて帰れるとは思えない。
昨日散々歩き回っていたのに、風呂も入らず寝ていたのか。
ちょっと汚いとは思うが、先にランニングでもしてから帰ってシャワーを浴びよう。
500円玉を手にして、ガチャを回す。毎日回しているはずなのに、なんだか久しぶりな気分だ。
一日が濃すぎるんだよね、最近。
なんて思いながらガチャリとハンドルを回す。
出てきたのは赤いカプセル。昨日と同じだけど、赤いのが出やすいのかな?
――――――
【全知天啓】
天は全てを見ている。天はあなたの近くに存在する。
一日に一度、ひとつのことだけ、どんな情報でも神の視点から知ることができる。
ただし、神の力が及ばない事象は知ることができない。
――――――
ふむ。つまり、一日一回、自分の知りたいことに対してだけ全知になれるってことか。
うんうん、強力で使いやすいね。
どう足掻いでも「なんでそんなこと知ってるの?」ってなる能力だけどね。
使いどころはいくらでもあると思う。神とやらが本当に全知なら、どんな未解決の問題もわかってしまうんだろう。
ミレニアム懸賞問題でも解けば一躍有名人だ。
問題は、答えだけわかってしまうのか、それとも関連する知識も手に入るのか、という問題だ。
百科事典のように情報が手に入ったとしても、なるほどよくわからん状態になってしまいそう。
これに関しては一度使ってみないとな。使い方も例のごとく分かるから、特に困らない。
何か知りたいことがないか考えておこう。
実に一日ぶりのステータスも確認しておく。
――――――
姫宮 夜嗣
15歳
状態:譛ェ險ア蜿ッ
筋力:37
反応:66
瞬発:51
精神:9223372036854775807
魅力:48
覚醒異能力:
【明滅する時の王】▽
常時発動能力:
【虚偽感知】▽
特殊技能:
【自己分析】▽
【念動力:レベル5】▽
【悪魔召喚】▽
【全知天啓】▽
契約技能:
【魔王(神聖)】▽
【言語理解】▽
【干渉対象】▽
――――――
あ、念動力のレベル上がってる。じゃなくて。
うん、昨日よりもツッコミどころ満載だ。
状態の文字化け、精神の異常値、契約技能とかいう新しい項目。
まぁ、契約技能の部分はパイモンさんと契約したから出現した部分だろう。一部の権能が使えるとか言ってたし。
とりあえずなんとなく理解できたので、三角形の部分を押して詳細を確認してみることにした。
――――――
【魔王(神聖)】
王たる存在に相応しき者が持つ権能。
等しく王たる存在でなければ、立ち向かうことすら許されぬ。
不滅かつ無限大の魂を持つ精神生命体となり、その肉体と魂は【位階:王】へと変換される。
【位階:王】未満からの干渉でダメージを受けない。
位階に関わらず、すべての神聖属性攻撃を無効化する。
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――――――
【言語理解】
あなたはもう迷わない。
成り立つすべての言語が理解できる。
――――――
――――――
【干渉対象】
智天使の魔王:パイモンにより【干渉】の対象に指定されている。
世界・状態に関わらずパイモンからの【干渉】を受けられる。
――――――
さて、既に【全知天啓】を使ってみたい衝動に駆られているぞ。
とりあえず、【位階:王】ってなんだ。【干渉】はなんとなくわかる。パイモンさん、別れ際に向こうからコンタクト取る的なこと言ってたし、そのことだろう。
なんだ、僕は王になったのか?新世界の王になったのか?不滅かつ無限大の魂って、僕は不死なのか?
異常に精神の値が高い、というか高すぎるだろ、何桁あるんだこれ。
どっかのバトル料理漫画よりもインフレが激しい。これも、精神生命体とやらになったのが原因か?
僕は気付けば、人間をやめていたようだ。
「石の仮面なんて被った記憶ないけどなぁ」
どこかの流儀では人間を超越する時に人間をやめるぞと掛け声を出さなければならないようだが、吸血鬼になったわけではないので、それもまた違うか。
どっちかというと盾の……ではなく。
【念動力】の出力を鍛えるために筋トレも頑張ろう!とか言ってたのがバカバカしくなる。
勿論、パイモンさんが契約を打ち切ってしまえばこの能力はなくなるのだろうから、借り物でしかないのはわかっている。それにしたって、強力すぎて現実味がないのだ。
いや、そもそもガチャガチャから能力が手に入る時点で現実的じゃないけど。
それに筋トレに関しては自分の非力さを痛感したので、これからも継続する予定だ。目指せ鉄塊。
後は自分の状態だけど……精神生命体になったから健康とかそういうのを超越して、ステータスがぶっ壊れてしまったのだろうか?
それにしたって、文字化けとは。まるでステータスがプログラムで動いているような気分になる。
日本語で表示しようとしてたけど、日本語じゃないところから干渉を受けちゃって、それで表示できなくて……なんて。ありえるけど、それを知ったところでどうにかなる話でもない。
今日中に他に知りたいことがなければ、この状態について【全知天啓】を使って調べてみよう。
ランニングをするためジャージに着替え、リビングへと向かう。
カーテンを閉め切っており、日が出ているとはいえ薄暗い部屋のソファで。
「……雪音?おはよう」
「……」
雪音がうつろな目をして座っていた。
いつもの快活さがない。話しかけても反応しない。
リビングの電気をつけ、消沈した妹の前に立つ。
悩みを聞くのも、仕事でいない親の代わりとして兄がするべきことなのだ。
「雪音。どうしたの?」
「……に、うえ……?」
ひょっとすれば、聞き間違いかと思うほど小さい声。
ぼんやりと僕の顔を見つめてきて、あにうえ、確かにそう呼んでくれた。
「うん、兄上だよ。大丈夫?」
「どう、して、おきて。ゆめ?」
「ゆ、雪音?」
虚ろな目をしたまま、僕に縋り付いてくる。
顔をぺたぺたと触り、僕という個人をどうにか認識しようとしている。
まるで、死んだ人間が生き返ったのを目撃したかのような。
「あにうえっ」
ひしっ、と僕の体に抱き着く雪音。
妹とは基本的に仲が良いが、こんな風に甘えられた記憶はない。
その上で、先ほどの態度。僕が混乱してしまうのも無理はなかった。
思わず硬直してしまい、中空に手を彷徨わせながらどうすればいいか悩んでいると、勢いよく雪音が僕の体から離れる。
直後に雪音は、気恥ずかしさからか紅潮する頬を自身の手で軽く叩いた。
「いかんのだ。体に精神が引っ張られてしまう」
「あ、いつもの雪音に戻った」
そのいつもの厨二病的なセリフ。安心する。
妹が厨二病で安心するというのも字面が凄いが、僕にとっての日常が帰ってきた感覚がして。
ここ数日が非常に濃かったのだ。そう思ってしまうのも致し方あるまい。
「ワハハ!兄上よ、グリモワールが血相を変えて兄上を運んできたときは思わず笑ったぞ!なにをしておるのだ!」
「あはは……自分でもよく覚えてないんだよね」
雪音は嘘を吐いた。笑ったんじゃなく、やっぱり心配してくれていたんだろう。
でも、さすがに今のは【虚偽感知】がなくてもわかるよ。これまでも、二人で一緒に暮らしていたんだから。
しかし、アレさんが血相を変えて運んできたのには僕も驚きだ。いつでも冷静で、全てを見通すような目をしている。そんなイメージだったから。
「……?」
「ん?なにかついてた?」
雪音は、おもむろに僕の右頬を左手で撫でると、不思議そうな顔をしながらその左手を見つめた。
埃でもついていたのだろうか、だが興味を無くしたとばかりに手を振ったので、投げ捨てたのだろう。コラ、ゴミ箱に捨てなさい。
とはいえ目に見えるサイズのゴミではなかったようなので、どこに行ったかはわからなかった。
「さて、兄上。ランニングであろう?我もついて行こうではないか」
「お、大丈夫?無理しなくていいんだよ」
「大丈夫なのだ。すぐに着替えてくるから、待っておれ」
病み上がりだと思われる僕を慮り、気丈に振舞っているだけなら、無理しないでほしい。
が、大丈夫というその言葉に嘘はなかった。今は、一緒に居たいのかもしれない。かわいい。
連休はアルバイトを始めたので、ずっと一緒にいたわけではない。が、妹も僕も。今日から学校だ。
この後離れてしまうのがわかっているからこそ、甘えたいのかな。かわいい。
僕の妹は世界一かわいいと思う。




