10.お前のものはボクのもの
「やぁベリアル」
「やめるのだあああああうわああああ!!!」
僕が雪音をその名前で呼ぶと、雪音は頭を抱えてその場に崩れ落ちた。
友達とはっちゃけて真の名前なんかを決めて、それを身内にバラされたらそりゃ恥ずかしいよな。
「兄上よ……忘れろとは言わないからどうか他の人が居る場所でその名を呼ばないでほしい……特に父上と母上の前では!」
「お、おう……わかったよ、ごめんね」
「仕方ない……ティナの接近に気付くのが遅れた我の責である……」
「なに、ボクが悪いの?この世界でのキミの名前、聞きなじみがないから咄嗟に出てこない」
「よし、ティナは一度黙っとれ」
コテコテの厨二病ムーブなのに、あまりにも自然体。ティナは、ロールプレイを極めているようだ。家族の前でも口調だったり言動や行動が厨二で手遅れな雪音がこうして恥ずかしがっているのに、ティナはそういう様子が一切ない。
この世界、ってことはベリアルという名前は元々居た世界での名前とかいう設定なのかな?
「兄上よ、これは違うのだ。この世界というのも、あー、なんというかその」
「雪音」
「な、なんなのだ……?」
混乱し始めてあたふたとしている雪音の肩に手を置き、まっすぐ目を見る。
「大丈夫。僕は理解がある方だから、そういう設定だって納得してるよ」
「設定」
目を見開き、僕の言葉を反芻している雪音。
厨二病に罹患した人の中には、設定を真実と思い込むタイプもあるだろう。
だが、この様子だと雪音はそうじゃないみたいだ。少なくとも我が家の中でそういう話が出たことは一切ないので、そういうのを信じていると思われるのが恥ずかしい「設定は設定として楽しむ」タイプの厨二病だろう。
だから、友達とどれだけ自分たちの設定で遊んでいても僕はそれで恥ずかしがる必要なんてないと思う。
「そうじゃ、設定。設定なのだ!ワハハハ!のうティナ!そういう設定で遊んでおるだけよのう!」
「は?ベリアル、どうしたの?」
「そうなのだ!我が名はベリアル!天より堕ち悪徳の限りを尽くす堕天の魔王ベリアルなり!訳あって現在はこの姿で地球に住んでおる!という設定なのだ!設定故他意はない!よな、兄上!」
「え、うん。そうなんじゃないの?よくわからないけど」
「お兄さん、ベリアルはもうおかしくなってしまった。ボクと仲良くしよう」
雪音がおかしくなってしまい、ドン引きする僕。理解あるとは言ったけど、急にハイテンションになって名乗りを上げ始めるのは流石に怖いんだよなあ。
まぁ口調から察していたけど、雪音は魔王ロールらしい。ではゴスロリ少女改めティナはなんのロールをしているんだろう?
そしてこの子は今なにをしているんだろう?
仲良くしようとか言いながら僕の腕に抱きついてくるティナ。これが同級生とか、身長が近いならドキっとした場面かもしれないが、相手は雪音と同じ出るとこ出てない(失礼)見た目幼女だ。
女性に対するドキドキよりも、朝から幼女二人とキャッキャしてる不審者として警察に目をつけられないかのドキドキの方が数段勝るのでやめてほしい。
「おい!離れるのだ!我のだぞ!!」
「ベリアル、前から言ってる。お前のものはボクのもの。ボクのものはボクのもの」
「なっ、どこのガキ大将なのだ!とにかく離れるがいい!」
僕とティナを引きはがす雪音。ありがとう、おかげで事案にならないで済んだ。
引きはがす勢いが強かったのか、よろけて倒れかけるティナ。ちょっとおふざけにしては力が強い気もしたので雪音に一言言おうと思ったら。
突如として、周囲の空気が一変した。
「ベリアル。ボクはボクが欲しいと思った時に邪魔されるのは嫌いだと言わなかったかな」
「ティ、ティナ?落ち着け、今のは我が悪かった、だからそれを抑えるのじゃ」
「ううん、ダメ。やっぱり一度叩きのめさないとわからないみたい」
ビリビリと、まるで地面まで振動しているかのようなプレッシャー。
全身に鳥肌が立ち、寒気がするほどの空気感で押しつぶされそうになる。
これが、本当に設定だけの話……?
「ボクはティナ。ティナ・バエル。全ての蜘蛛魔族の頂点にして大いなる王の称号を賜りし蜘蛛の魔王。ボクは欲しいものを手に入れるため、ベリアル。君を叩きのめす」
名乗りを上げながら、ゆっくりと手を挙げて雪音の方に向けるティナ。
ただのお遊びのはずなのに、本当になにか魔法でも放つような……。
そこまで考えて、ひとつの可能性が頭をよぎった。ガチャガチャを回しているのが僕だけじゃなくて、ティナも回しているという可能性。もしそうだとすれば、【念動力】のような攻撃に使える能力を手に入れているのだとすれば。
助長された厨二心は、その能力を使わずにはいられない。
ろくに使えない僕の【念動力】では止めることなんてできない!
「それじゃあ、行くよ」
「雪音!」
咄嗟に雪音の前に立ち、庇うように抱きしめる。
……?
身構えた僕の体には、何ひとつ衝撃は与えられなかった。
そりゃ、そうか。僕が言えた義理じゃないけど、そんな非現実的なこと、あるわけがない。
あまりの剣呑とした雰囲気に飲まれてしまい、僕も思わず体が動いてしまった。
少し恥ずかしいな、なんて思いながら後ろを振り向くと、ティナは宙ぶらりん状態であった。
「……ごめんなさい」
「フフ、ワタシに謝ってどうする?夜嗣君と……雪音ちゃんに謝るんだ」
いつの間にか登場したアレさんに首根っこを掴まれ、少し泣きそうになっているティナ。
少し前までアレさんの姿は視界にすら入っていなかったのに、すぐそこの曲がり角で待機でもしていたかのようなタイミングだ。
「お兄さん……雪音ちゃん、ごめんなさい」
「おぁっ、わ、我は全然構わんぞ!ワハハ!なにせ絵瑠ちゃんと我との設定上のおあそびなのだからな!な!」
「え?あ、うん。大丈夫。そうだよ、遊びなんだから大丈夫。演技派すぎてびっくりしちゃった」
急に二人がお互いのことを名前呼びしはじめた。
アレさんに聞かれるのは恥ずかしいのだろうか?
「フフフ、いい子だね。それじゃあベリアル。バエル。君たちに話があるからワタシに付き合いたまえ。少年、先に帰っていいよ。雪音ちゃんはちゃんと後で送るから」
「は、はい。わかりました」
しっかり名乗りを聞かれていたのか、厨二全開の名前で改めて呼ばれる雪音とティナ。
てっきり恥ずかしがるかと思ったら、二人とも顔色が悪い。
どうしたのか聞きたかったけど、どこか怒っている様子のアレさんの前で悠長に話す気になれず、僕はそのまま帰路に就いた。
帰ったら雪音と話そう。
帰宅し、軽くシャワーを浴びたのちに、ラップをかけて作り置きされていた朝食を食べていると、有名な俳優の記者会見が流れていた。父と母は出かけたのか、家に車もなかった。こんな時間からみんな活動するんだな。
テレビを見る限り、どうやら華々しい栄光を飾る表とは別に、裏で少しばかり世間様に顔向けできないことをしていたらしい。
誰だって裏の顔はある。だけど、裏の顔だってちゃんと制御しないとこうして明るみに引き摺りだされてしまうのだ。
やれ、反省しているだの被害者には申し訳なく思っているだの、そういう反省の言葉を俳優が言うたびに僕の首の後ろでチリチリと違和感が走る。
僕には、これが【虚偽感知】の効果であることが理解できた。
嘘です!みたいなアラートが出るよりかは幾分かマシだけど、こうも嘘ばかり吐く人間の答弁を聞いているとさすがに鬱陶しくなってくる。これも、能動的に使うか使わないかを選べたらよかったのに。
嘘だけではなく建前にも反応している気がする。その違いがなんなのかと聞かれると、うまく答えることはできないが。
今後こうして嘘や建前を使われるたびにそれをわかってしまうのだ。僕は辟易とした。
それはとても窮屈な人生になるだろう。親しい人間にだって、嘘は吐く。誰も傷つかないための嘘や建前は、社会を生きていくうえで必要なことだ。
朝から濃い体験をしたからか、ドッと疲れてしまった。思考がよくない方向へと向かいそうになる。
よし、今日は【念動力】を色々試してからアルバイトに行こう!
そう心に決めた。
雪音やティナが発言していた内容に【虚偽感知】が反応していなかったこと、この時の僕は気付くことができなかった。




