その三
「この・・・東京へ」
修二は我に返り、辺りを冷静に見渡した。誰もいないと確認すると、情けない声で叫ぶ一歩手前で己を保ち、聞こえるもう一つの声を確かめた。無感動で表情のない、冷たく突き放す自身の声を。
お前は見たんだろう?お前の飼い猫は死んだんだな?
あぁ死んだだろうな。見たのは確かだ。
では何故認めていない?
認める努力はしたが、でも綺麗なままで終わらせることが出来るなら、それでも駄目か?それに、これでも認めているつもりだけれどな。
別に構わないさ。馬鹿なことではない。そんなもんだろう・・・そんな。
意識が舞い戻ってきて、咄嗟に目の前の問題を理解した。修二は瞬きもせず歩き出し、アパートの入口へ向かっていった。
「おい・・・俺の家だぞ・・・」
誰にたいした言葉でもなければ効力もない言葉だったが、修二は発して動物たちの群れに進み入る。大柄の雑種犬を押しのけてドアまで進む。足下をネズミが走り抜け、危うく踏みつけるところだった。
ようやくドアまで辿り着くと鍵を開けて中へ入った。すると部屋の中を見て修二はついに叫び声を上げた。部屋の中は何十といった猫たちに占領されていたのだ。顔を上げると窓が開いている。修二は吐いた息を吸うことも出来ず、ショックで窒息しそうになった。動物特有の臭いが鼻について修二は何も考えられなくなる。さらにはドアを閉めることも出来ずに後ろから迫る動物たちの波に押し込まれていった。
あっという間に修二の住むボロアパートは動物で一杯になってしまった。
何が何だか分からずにもがいた修二だったが、逃げ出さなければならないことは感じた。自分の身に危険が差し迫っていることは感じ取れる。しかしドアへ引き返すことは出来ない。修二は足下にいた黒いラブラトールレトリバーを足で避け、それからキッチンシンクに集まった猫を払いのけた。そして台所の窓から逃げ出そうと台所によじ登った。しかしそれも無駄な行為だった。
窓を開けた瞬間、何か黒い固まりが修二めがけて飛んでくる。それは修二の右肩にぶつかったかと思うと舞い上がり、タンスの上に落ち着いた。それはカラスだった。
「ジェイク!」修二は叫んだ。
窓枠を握ろうとするが、カラスがぶつかった肩が痛んで思うように手が上がらない。修二は枠をつかみそこね、動物たちの波へダイブした。下になった動物たちのお陰でそれ以上の怪我はなかったが、もう逃げ出すことは出来ない、そう直感した。
突然一匹の犬が吠えた。さっきのラブラトールレトリバーだ。するとつられたように他の動物たちも鳴き出す。犬も猫もネズミも鳩も、カラスも何もかも・・・
「止めろ!何だ!」修二は叫んだ。
しかし止まらない、悲鳴にも似た動物たちの大合唱。
「頼む!助けてくれ!何で・・・おれ・・・どう・・・」
・・・・・
動物たちの叫びは何の前触れもなく終わった。早朝の静けさが部屋を包み込む。ただ一人、修二だけは泣き出していた。涙を流し、横にいた柴犬にもたれ掛かって泣いた。何か分からないものに修二は悔いて泣いていた。
だが当然このままでは終わらない。
そしてそれはやって来た。
カタカタカタカタカタカタ・・・
アパートが揺れ出した。その揺れは次第に強さを増し、修二は泣くのをぴたりと止めた。正確には泣くことを忘れてしまった。それは地震だった。しかもかなり強い地震だ。部屋のものが倒れだし、動物たちがざわついている。四つの足で畳の床に踏ん張りながら地震に耐えている。修二も必死に床を捕まえて耐えた。何も言葉が出ず、滝壺のような轟音が耳を襲い、どうすることも出来ない。
修二は死を覚悟していた。こんなボロアパートなどあっという間に倒壊して下敷きになってしまうだろう。揺れる中で修二は思った。多くの猫や犬の死体と一緒に自分の死体も発見される様は、奇妙な光景として残るはずだ。だが、まだ、死にたいなんて。死にたくない・・・
永遠に続くような気さえした。
どれくらいの時間が流れただろうか、地震は止んだ。しかし修二のボロアパートは大きな地震であったにもかかわらず倒壊することはなかった。動物たちは一匹、また一匹とアパートから出て行った。黒曜石の固まりのような黒々とした目を修二に向けて犬たちは去っていく。鋭い琥珀色の瞳を向けて猫は出て行った。漆黒の闇の色をした“ジェイク”はひらりと舞って窓を飛び出していき・・・何もいなくなった。修二を残し、部屋からは何もいなくなった。
そのあと地震の規模がマグニチュード六.五の大型の地震で、そこら中に多大な被害が出たことを知った。修二のアパートの付近でも多くの家が半壊し、中には全壊する古いアパートもあった。しかし修二のアパートは何ともなかったのは不思議なことだ。地脈の走り方だとか、地盤のことだとか色々と考えてみたが、無意味だったし、考えもよらないことだった。パンクしそうな回線を使って、しつこいネズミのように安否を確かめてくる家族や友人からの連絡は面倒でならなかったが、実際の被害は何もなかった。外では倒れたコンクリート塀が乗り捨てた自転車を押しつぶしていたが、修二には何もなかったのだ。
専門学校を卒業して、それから二年間、最後には耐震性の問題で取り壊されるまで修二はアパートを変えることはなかった。片道四十五分をかけて仕事へ通った。
誰にもこのことは言わなかった。自分の中だけで納めておくつもりなのだ。どうせ誰かに言っても信じてくれやしない。あんな地震の中で運がよかったんだろ?なんて言われるのがオチだ。
修二はニヤリと笑って冷蔵庫から鮭の切り身を取り出した。そしてそれを座布団の上に座った、白と黄土色の毛色をした猫に差し出した。
「さぁ、好物だろ?食っていいぞ、なぁジェイク」
「ジェイクという猫」終わりです。
動物には不思議な能力があって、人の死だとか、災害などの危険だとか、そういったものを感じ取る力があるといわれています。でもそれは動物だけにでしょうか?私は人がそれらの能力を忘れてしまっているだけではないかと思います。
今回は短い物語でしたが、やはりここまでの短さだと主人公の人格を伝えるのは難しいですね。
感想を聞かせてもらえると嬉しいな。